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〈新たなる傷つきし者〉と破壊的可塑性

 本稿はフランスの哲学者カトリーヌ・マラブー(1959〜)の書籍『新たなる傷つきし者: フロイトから神経学へ、現代の心的外傷を考える』(平野徹 訳、河出書房新社、2016年)の読了に際した備忘録である。
 ヘーゲル哲学からとり出したマラブーの思想の核となる「可塑性」という概念では以下の三つの意味を考慮する。

① 粘土などのように、かたちをうけとることのできる物質のもつ能力
② 逆に、かたちを与える能力で、彫刻家や整形外科医などがそなえている能力
③ 「プラスチック爆弾 plastic」や「プラスチック爆弾による攻撃 plastiquage」という語が証言するように、あらゆるかたちを爆発させ破砕する可能性p.42〜43

〔可塑性の定義については『わたしたちの脳をどうするか』pp.10-11を参照〕

 マラブーが本書で述べる心が変容する決定因となる傷にそなわる可塑的な力は③の「かたちの破壊による創造」p.43であり、これを「破壊的可塑性」と呼ぶ。
 ここでマラブーが本書の起源と述べる「個人的事情」の一端を振り返っておきたい。まずはマラブーの祖母がアルツハイマー病によりこうむった脱人格化、以前と変わらぬ外見とは裏腹に、「別のだれかがいるという、存在に関わる衝撃的な現象」p.8に直面して「新たな同一性をつくりだす苦痛」p.9をめぐる思考を開始している。
 この「個人的事情」が示すのは、アメリカの鉄道建築技術者フィネアス・ゲージが左前頭葉の大部分を破損する事故から生還した後、「もはやゲージではない」と言われるほど人格と行動が根本的に変化をこうむった有名な症例のように、誰しもが、本書の表題でもある〈新たなる傷つきし者〉になりえるということである。この〈新たなる傷つきし者〉という呼称については、「従来の精神分析が把握できないような心の傷を負ったすべての者、すなわち、精神分析の管轄に入るものと了解・認知されえないような心の傷の負傷者をさす」p.32ととしており、脳損傷をこうむった彼らは、「昔日の医学における悪魔憑きや狂人、精神分析における神経症者にとって代わる」p.42者である。
 マラブーは「反 - フロイト」ではないことを明言(p.35)しながらも、その限界を正確に明示する。というのも、フロイト以来の精神分析で用いられる自由連想は、想起すべき過去を前提としているため、脳損傷やPTSDのような痕跡の貯蔵庫ないし心の完全な破壊という状況を思考することができないのだ。こうした事情から、フロイトが自身の病因論を基礎づけた〈性事象〉sexualitéに対して、「脳の機能の損傷原因となる価値に特化した性質」p.23として新たに〈脳事象〉cérébralitéを導入する。このように精神分析による〈性〉に対して、〈脳〉の物質性を神経学との橋渡しによって持ち込み、両者が思考してこなかった領域に切り込んでいく。
 重要なのは、偶発的な一撃によってまったく予期せぬ変容を遂げた〈新たなる傷つきし者〉たちが、一体何に苦しんでいるのか、その苦痛の存在を描き出すことであり、「過早な治療、緩解、治癒といった効果への執着が、破壊的可塑性が突きつける、臨床と哲学を横断する問題の消去につながりかねないと指摘することである」(p.251)。地球規模に広がったさまざまに複雑な形態をとる心への暴力、まさに残虐性をめぐる問題の考察を、神経学と精神分析との連携によって実現する可能性を探る。

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