『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(4)
さて、ラテンアメリカ文学を読み始める際の一冊目としてふさわしい、『百年の孤独』ではない作品。
第1位 『精霊たちの家』(上)(下) イサベル・アジェンデ(河出文庫)
コレでしょう。ストーリーさえ良ければ長くても大丈夫、という方はコレ。
べらぼうに面白い。ラテアメ的魅力にもあふれている。わたくし自身、これをきっかけにラテンアメリカ文学が好きになりました。
マジックリアリズムが炸裂しながら、ある家族の何代にも渡る歴史が語られる。
それって、『百年の孤独』と同じなのでは……と思う方もいるかもしれない。
そうです。この作品、ことあるごとに『百年』と比較され、『百年』の模倣だと言われ、作者のアジェンデ自身がそうした批評にうんざりしているということが、解説にも書かれている。
いや、でもこれはこれで『百年』と関係なく素晴らしい。
また、登場人物がそこまで多くないので、キャラクターが頭の中ではっきりと造形されるので本当に楽しい読書体験。
面白い面白いで進んでいくものの、最後すげえ血なまぐさくなるんだけれども。作者はチリの軍事クーデターで暗殺されたアジェンデ大統領の姪にあたる。他の作品ももうちょっと手に入りやすい形で出たらいいのになあとすごく思う。
タイトルが似てて、同じラテアメだからといって、間違ってリョサの『緑の家』を買うことのないようにしてください。ラテンアメリカ文学的に昇天してしまいます(異なる5つの話が時系列バラバラで進行し、最後まとまる、という非常にラテアメ的、リョサ的な小説)
第2位 『エレンディラ』 G. ガルシア=マルケス(ちくま文庫)
マルケスの面白さが、エッセンス的に詰まった短編集。最初の「大きな翼のある、ひどく年取った男」の出だしなんかは、ショートコント的でほんとにバカバカしくて素敵。「おはなし語り」としてのマルケスの強度を堪能できる一冊。ただ、「この作品は、現代のフェミニズム的観点から見て……」的分析が好きなヒトにはオススメしません。それ言い始めるとですね、ラテンアメリカの大体の作品は「正しくない」です。すいません。ラテンアメリカ文学に代わってわたしが謝っときます。
第3位 『楽園への道』 M.バルガス=リョサ(河出文庫)
ラテンアメリカ作家で、最も気軽に作品を手にとれる作家はマルケスではなくリョサかもしれない。文庫が多く出ているという点で。この作品は、多少長いですが、まじでするする読めます。水のように飲める日本酒みたいな。マジックリアリズムではないものの、リョサの特徴である「複数物語の並行進行」で進み、しかし複数とはいってもこの作品は2つだけなので、ストレスなく読みすすめられる。画家のゴーギャンがいかにロクデナシだったかがわかる小説。でもこれ読むと絶対にゴーギャンの絵を見たくなると思う。
次点 密林の語り部 バルガス=リョサ(岩波文庫)
『精霊たちの家』と並んで個人的思い入れがめちゃくちゃある小説。一般受けするかどうかがイマイチわからないので次点にしましたが。なんというか、カフカとサリンジャーを濃ゆいラテンアメリカソースで煮込んだような小説。多くのラテンアメリカ小説と同じく「物語る」という行為についての小説。このね、「物語る力」というものを心の底から信じているというのが、このジャンルの本当に面白いところ。
カルペンティエルが入ってないじゃないか、とかフアン・ルルフォはどうした、ボルヘスは……とか言われ始めると困ってしまいますが、まあ最初の一冊としては、上記の作品たち、なかなかいいんじゃないかと思います。
文庫版『百年の孤独』、すげえ売れてるみたいですね。いろいろ書いてきましたが、こういう作品が売れて、ニュースになるというのはやはりめでたいことだと思います。
おわり
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