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20マイクロ秒で晩ごはん

NHK『きょうの料理』に「20分で晩ごはん」という企画がある。 忙しい人に向けて、20分でメインも副菜も作ってしまおうというやつ。 毎回この企画は楽しみにしている。本当によくできている。番組の長さにもちょうど合っているし、講師の先生のアタフタする姿を見られるというテレビ的面白さもあり、何よりもレシピとして便利で重宝する。 いっとき、この「20分」がどんどん短くなった時期があった。「20分でも時間が長すぎるという視聴者の声に耳を傾けて」という。 傾けなきゃいいのになー、と

    • 【レシピ】パプリカのパン粉焼き

      料理記事を連続で書く以上、レシピ紹介、みたいなのがないとな、と(なぜか)思い、たまにのっけていこうと思います。思い付きで作ったものばかりなので、量はテキトウです。とにかく手がかからないものを。 ① パプリカは成人男性の人差し指くらいの太さに切る。 ※自分の指の長さや太さを知っておくと、そことの比較で世の中のレシピによく書いてある「5mm太さ」とかのイメージがわきやすいと思います。わたくしの場合、人差し指の一番太いところが2cmなので、それをものさしにしています。 ② フラ

      • 旦那に料理をさせるには……

        「旦那にも料理をさせる方法」みたいなインターネット記事をご覧になったことがあるだろうか。 「最初はうまくいかないかもしれないけれど、男はプライドが高い割に単純だから、おだてているうちにうまくなります」 みたいなことが(言葉の程度の差はあれ)どの記事にも書いてる。 結構すごいことだ。 「これ、性別を逆にしたら相当ヤバい言説だろ」ということが、「男性と料理」というテーマにおいては非常にしばしば見かける。 それと、こういう記事でもう一つ気になるのが、「料理に対する憎しみ」

        • 料理男子の参入障壁②

          義父母の住んでいるあたりは筍がとれるので、春先に妻を通じて、堀りたてのやつを義母にねだってみたところ、相当怪訝な顔をされたという。なんでまたお前の夫は筍を湯がこうなどと思っているのか。気でも違ったのか。 確か最初は2本くらい送っていただいたと思う。 そこで作った若竹煮や天ぷらの写真を送ったり、また、うちに遊びにきた際にわたくしの料理を食べてもらったりするうちに義母の態度が変わってきた。 まず、わかりやすく送ってくれる筍の数が増えたのだ。年々増えていっている感じがする。今

          料理男子の参入障壁①

          数年前、九州の義母から送られてきた大量の日向夏をマーマレードにしたことがある。多すぎて消費しきれないので、妻が幼稚園のママ友に配った。 そのときに「相手を選んで配った」という話を聞いて、ふうんと思った。 つまり、「〇〇ちゃん(子どもの名前)パパ」として幼稚園内で認識されているわたくしが、日常的に料理やパン作り、お菓子作りをする人間であり、決して伊達や酔狂で発作的に作ったわけではない、ということを知ってくれているママ友に配った、というのだ。 「だって、よくわからない中年男

          料理男子の参入障壁①

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(4)

          さて、ラテンアメリカ文学を読み始める際の一冊目としてふさわしい、『百年の孤独』ではない作品。 第1位 『精霊たちの家』(上)(下) イサベル・アジェンデ(河出文庫) コレでしょう。ストーリーさえ良ければ長くても大丈夫、という方はコレ。 べらぼうに面白い。ラテアメ的魅力にもあふれている。わたくし自身、これをきっかけにラテンアメリカ文学が好きになりました。 マジックリアリズムが炸裂しながら、ある家族の何代にも渡る歴史が語られる。 それって、『百年の孤独』と同じなのでは……と

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(4)

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(3)

          小説としてあまりにもとっ散らかっている、というのがラテンアメリカ文学入門の一冊目として『百年』をオススメしないもうひとつの理由である。 何言ってやんでいそこが魅力なんじゃねーか、というご意見には心から賛同する。 しかし、以前の記事でビートルズのたとえを出したけれども、やはり『百年の孤独』は『ホワイト・アルバム』なんですよね。 ビートルズを聴いてみたいんですけど、という人にはやはり『ラバー・ソウル』とか『アビイ・ロード』を最初にオススメする、というのが人情というものではな

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(3)

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(2)

          さて、ラテンアメリカ文学に挑戦する際の第一冊目として、『百年の孤独』を勧めないのはなぜか、に関してついに書いていきます。 登場人物に同名異人が多すぎる。ほぼ、ここに尽きます。 主要登場人物「アウレニャノ」22名、「アルカディオ」5名。 見間違いじゃないですよ、マジで22名。 まあこのことが、この小説の大きな仕掛けになっているし、おそらく小説全体のテーマにも密接に関わっている魅力のひとつですが、それにしてもタフな読書にはなる。 で、たぶん『百年』を読む前の人ってこの事

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(2)

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(1)

          『百年の孤独』は、ラテンアメリカ文学入門の最初の一冊としてはどうなのか、という話題に移る前に、「ラテンアメリカ文学とわたし」について少し書いておきたい。これは典型的な「ラテンアメリカ文学が苦手になる」パターンだと思うのです。 出会いは、学生の頃、「新潮・現代世界の文学」シリーズとして出ていた『百年』を古本屋で購入したときにさかのぼります。 今から思えばこれが間違いの始まりだった。まあ、今ハードカバーで出ている「ガルシア=マルケス全小説」バージョンの『百年』はまだなく、当時

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(1)

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(0)

          2024年6月26日、G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』がついに文庫化される。 めでたいことだ。 「名作らしいし、さすがにチェック」と購入する方も多いかもしれないが、春樹の新作出たから読んでみるか、的なノリで読み始めると絶対に途中で挫折する作品ではあると思う。 「ラテンアメリカ文学でも読んでみるか」というときの一冊目として、最良の選択とは言えないような気がするのだ、この作品は。 いや、もちろん素晴らしい小説だと思います。ただ、なんというか「ビートルズを聴いてみたい」

          『百年の孤独』から始めない、ラテンアメリカ文学(0)

          『映画を早送りで観る人たち』について語るときに僕たちの語ること、なんてタイトルをつけるやつがいたとしたらそんな奴はロクでもないに決まってる~『映画を早送りで観る人たち』を読んで(2)

          この本を読み始めてずっと気になっていたことが「早送り=時間の蹂躙」については手厳しいけれど、多くの場合わたくしたちは、映画を観る際にそれと同じくらい「空間を蹂躙」してるんじゃないかということだ。 最近カメラでものを写すのが好きになっているのですが、素人とはいえやはりそこそこ構図などは考える。タテヨコ比や明るさがすこし違うだけで写真の印象はめちゃくちゃ変わる。 素人ですらそんなふうなのだから、映画製作者の、こういった部分に対するシリアスさというのはおそらく想像を絶するもので

          『映画を早送りで観る人たち』について語るときに僕たちの語ること、なんてタイトルをつけるやつがいたとしたらそんな奴はロクでもないに決まってる~『映画を早送りで観る人たち』を読んで(2)

          『映画を早送りで観る人たち』について語るときに僕たちの語ること、なんてタイトルをつけるやつがいたとしたらそんな奴はロクでもないに決まってる~『映画を早送りで観る人たち』を読んで(1)

          「映画を早送りで見る人」ネットでこの話題を見て以来、ずっと心にひっかかっていた。 意を決して(大げさ)、本を購入した。タイトルが提示する問題を軸に、日本経済、キャリア教育、いろんな方向に話が進む。 本当に面白い。面白いのだけど。 読んでいてずっと頭にあったのは、結局、情報がアップデートされた、昔からある「最近の若者はけしからん」論に過ぎないのではということだ。 この本に描かれた状況は、テクノロジーが生まれれば(ここでは「定額動画配信サービス」「早送り機能」)人間の行動

          『映画を早送りで観る人たち』について語るときに僕たちの語ること、なんてタイトルをつけるやつがいたとしたらそんな奴はロクでもないに決まってる~『映画を早送りで観る人たち』を読んで(1)

          気違いになるのに忙しすぎた人~父について(12)

          父の死後、父の兄と話をする機会があった。この伯父の家とうちはかなり長い間、絶縁状態になっていた。アルコールの問題も勿論あったろうが、詳しいことはよく知らない。  葉山に住んでいるその伯父が、父の状態が最もひどかったころに何度も父を見舞っていたらしい。熊本まで。20年以上前。全然知らなかった話だった。  おれが大学に進学するころ、父の状態はどんどんエスカレートしていった。東京へ行く前にはおれの頭の悪さを罵倒する言葉のみが(一方的な)コミュニケーションだった。入学式ではネクタ

          気違いになるのに忙しすぎた人~父について(12)

          気違いになるのに忙しすぎた人~父について(11)

          葬儀の前の日に喪主あいさつを読む練習をする。ネットには3分以内で、とある。喋る商売なので、わりかしこういうのはきっちり時間どおりに仕上げたい。まあ合格だろうというレベルにして当日を迎えた。 葬儀の日。あいさつを述べる。父親に最後言えなかったこと、という話から始めた。 もう長くないとわかってから、父親に言おうとしていたけれど言えなかったことがあります。それは「酒を飲まんまま人生を終えようとしているね、よかったね」という言葉。  この言葉を発した途端に、心が完全に崩れ落ちた。

          気違いになるのに忙しすぎた人~父について(11)

          気違いになるのに忙しすぎた人~父について(10)

          がんで亡くなる数日前、父はやたらにいろんな人に電話をかけた。親類や近所の人。自分はもう死んでしまう、ということをまわらぬ口で。やたらハイテンションで。最期を迎える人間はそういう精神状態になるということもあるのかもしれないが、別の要因も実はあったようだ。  以前は抗うつ剤を大量に飲んでいたらしい。もちろん正式な手続きで処方されたものだが、とにかくびっくりするくらいの量だったということだ。ところが固形物が喉を通らなくなって、薬も飲めなくなる。それで精神のバランスを崩したという。

          気違いになるのに忙しすぎた人~父について(10)

          気違いになるのに忙しすぎた人~父について(9)

          家に帰ってみると、テレビのブラウン管が破壊されていたことがあった。テレビにビール瓶を投げつけたらしい。破壊衝動、というのはアルコール依存症に共通する特色なんだろうか。わからないけれど父にはそれがあったように思う。自己破壊も含めて。 同世代の人ならわかると思うけれど、NHKで毎週『エド・サリヴァン・ショー』をやってた頃。高校時代のことだった。これがしばらく観れなくなったのには参った。 割れたブラウン管、母親は最低限の片づけしかしなかった。「見せしめ」のためにそのままにしてお

          気違いになるのに忙しすぎた人~父について(9)