「負けねぇぞ 気仙沼」~東日本大震災から12年 東北地方を巡る~
前置き
今年で東日本大震災から12年が経ちました。
私は一昨年からこの時期東北地方の被災地を巡ることにしています。
過去二年は震災について実際に現地に赴き見て聞いて被災地で起こったことを学び、今後起こりうるであろう災害に対して今自分が出来ることを考える機会にしていました。
過去二回被災地に行った結果、災害に対応するための術や継続すること、伝承することの大切さを知りました。
またそれだけではなく、現地に行かなければ分からないこと気付かなかった事も知ることができました。
私が気になった点はというと被災地にはまだ活気ある町に完全に戻ったとは言えないという事です。
私が過去に回った伝承館ではかつての町並みと今現在の町を比べる写真を展示している所が多かったですが、見比べると道路は綺麗に整備されましたが住宅等の人の住む町並み完全に戻ったとは言えないものが多かったです。
各市町村で復興のスピードは違いますがかつての賑わいを取り戻すのには長い時間が必要だと感じました。
12年経ちましたが復興への道のりはまだ道半ばです。
人が暮らすための環境整備、商業再開、若者の働き先の受け皿、魅力の再発進を進め、人が戻る流れを取り戻せた時に初めて復興と言えるのではないのでしょうか。
今年は被災した町のその後にフォーカスしてその町の魅力を少しでも紹介出来ればと思い宮城県は気仙沼市に向かいました。
今回3/11と3/12に訪れた各施設の紹介と感じたことを綴っていきたいと思います。
道の駅 大谷海岸
なぜここに立ち寄ったかと言うと、ここ道の駅 大谷海岸が映画「すずめの戸締り」のシーンに使われているからです。
他にもここで販売されているクリームサンドやバニラソフトも登場しています。
ご存知かもしれませんが「すずめの戸締り」は震災をテーマにした新海誠監督作の映画です。私は去年この映画を見てナイーブで難しい題材を取り扱った今作に感銘を受けました。震災に目を背けず発信することで震災の理解を深めるキッカケを映画にして作ったのです。
新海誠監督の映画は細かい描写や設定があり、一度では気づかないギミックが散りばめられているのも有名です。見ていない方は是非ご覧になってほしいです。
私はここの産直市場で生牡蠣とウニご飯、アイナメの刺身等購入しました。
漁港で水揚げされる地魚・魚介類は鮮度抜群で大変美味しかったです。
ここ三陸・金華山沖は世界3大漁場と呼ばれています。
その理由は親潮(寒流)と黒潮(暖流)がぶつかる潮目であること、リアス式海岸は山地が海の間近なので、森のミネラルをたっぷり含んだ山水が絶えず海へ流れ、そこで海水と混ざりあうことにより世界有数の植物プランクトンの発生地となります。牡蠣やほやはプランクトンを食べて育つ極上の環境が整っています。
このように様々な条件が重なり「三陸・金華山沖の海の幸=美味しい」になるそうです。(同じような事を昔グルメ漫画で読んだ記憶があります)
お土産も気仙沼のものならここで全て揃うくらいの品揃えでした。近くをお立ち寄りの際はぜひ。
映画に使われたことで新たな観光地として賑わって欲しい場所です。
岩井崎
私がここで龍の松を見ていると地元の方が話しかけてこられました。
聞くと龍の松は死んだ木をネジで打ち付けて加工したハリボテ。〇〇〇万もかけて作った芸がないもの。鰯の頭も信心から、、、云々と、どうやら納得いっていない様子でした。
部外者の自分が言うのも恐れ多く感じましたが「これを見て震災のことをどう感じるかが大切なんですかね、、、」と言うのが精一杯でした。
他の町で震災の復興予算の使い道で問題になっているものをTVで見ました。
その町は高さ約10m、長さ3kmの防潮堤を立てましたが、景勝を損ねるコンクリートの壁は決して住民が望んでいたものではありませんでした。
現地の方とそうでない人では感じ方、考え方は違うと思います。
全ての人の納得のいく形をとるのは難しいですがこのモニュメントを見て何かを感じ取って帰ることが出来ればそれは意味あるものだと私は思います。何年も復興のシンボルとして残る物なら尚更そう思います。
その人にこの後は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (旧気仙沼向洋高校) へ行くと伝えるとそこは母校であること、昔はラグビーが強かったが今は汚れるからだれもやらなくなってしまったなどと。どこか嬉しそうに話していたのが印象的でした。
大谷海岸で食べたもの全て美味しかったですと伝えた後に別れました。
私はここ岩井岬から徒歩数分の民宿に泊まったので翌朝も散歩しに来ましたが岬から見る朝日はとても綺麗でした。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (旧気仙沼向洋高校)
まず始めにシアター鑑賞をしました。
実際現地に来てその土地の映像を見て体験した人の声を直接聞くことで映像がよりリアルに見えると感じます。来館された方々は頭をピクリとも動かさずじっと映像に見入っていました。
2:47に巨大地震に襲われ、何十波も襲いかかる津波に絶望し、日が暮れてから雪が降り。夜になれば津波の浸水により港の石油タンクが倒れて重油が溢れ出し、多数の漁船と瓦礫に燃え広がり気仙沼港一帯が火の海に包まれました。完全に鎮火したのは二週間後だそうです。
被災者の事を思うと今でも胸がいっぱいになります。
次に語り部の方と共にグループで校内を回りました。
校内の被災状況や発生当時、生徒と職員の避難経路を詳細に説明していただきました。この学校の津波の到達地点は4階の床から25cmだそうです。地上からの高さは12m25cmです。
校舎に残ったのは重要書類を保護するために残った教職員、北校舎の改修工事を行っていた工事関係者は屋上に避難し難を逃れたそうです。
校舎屋上から見える杉ノ下地区の高台(11m)に避難した方達は津波(13m)に襲われ約60人が犠牲になりました。
この高台は明治三陸大津波(1896年)の時に津波が来なかったことで市の指定避難場所になっていました。住民の大部分が過去の津波の襲来の経験から「高台に避難したら安全だ」と思い込んでいたそうてす。
災害時は避難場所を一ヶ所と決めず複数覚えておく必要があると語り部の方も仰っていました。また高台の高さを知らない住民も多く実際の高さは地盤沈下で9mだったとも言われています。
ここの語り部さんは今年高校を卒業された方で三年間この活動をしているそうです。語り部は高校を卒業だったり就職というタイミングを迎え活動継続できている人が少ない、どうしても辞めてしまう人が多いと聞いていましたが、災害を継承するために今も活動してくれていることに感心しました。
多くの若者達の語り部がいることで過去を学ぶことが出来、未来を切り拓く次の世代へと受け継がれていると感じました。
震災の日の写真の展示で「水をくむ少年」という写真がありました。
幼い少年が満杯の水が入った焼酎ペットボトル4Lを両手に食いしばった口、力強く歩む姿の写真です。
語り部さんによると、この時瓦礫を踏んで足に怪我を負ったまま一ヶ月給水所から水を運び続けたそうです。
少年は「みんなの役に立つことはこれしかない」と思いながら行動していました。10歳の少年です。
この写真はちょっとやそっとのことでは負けてられないなと奮い立たせるものでした。俳優の故高倉健さんは遺作となる最後の映画の台本裏にこの写真を貼って撮影に挑んだそうです。「毎朝、この写真を見るとぎゅっと気合が入る」と語っていたそうです。
こちらのコーナーは撮影不可だったので是非ネットで検索して見てもらいたいです。
最後に「感じたこと 伝えたいことコーナー」の一部に来館者の感想をポストイットに記入して壁に掲示してあります。伝承館ではよくあるものですが人それぞれの感じ方があり自分だけでは見つけられない発見もあり参考になるものが多いです。
小・中学生の感想が多いのですが大人子供関係なく、様々な意見を取り入れることにより知見が広がると思うので見るようにしています。特に小さい子のストレートな感想にはハッとするものも多いです。
民宿旅館 沖見屋
ここ沖見屋は事前のリサーチによると食事が評判との事で泊まることに決めました。海も近いということで朝散歩もできる点もポイント高かったです。部屋についているバルコニーからも海が一望できます。
私が泊まったのは一泊二食付き9900円
2食付きでは7700円8800円のプランもありました。
料理は地の物を中心に全て食べられるか心配になるくらい品数豊富なメニューでした。
なまこ酢、マグロの胃袋、マグロのテール煮、ホヤの刺身など普段馴染みのない珍味系で酒の進むものや、毛ガニ、カサゴの唐揚げ、刺身、イカのバター焼き、炊き込みご飯、牡蠣のボイルなどまだまだ書きたらない程のものでした。
印象的だったのは気仙沼名物のホヤの刺身は初めてでしたが癖もなく、美味しくいただけました。(水曜どうでしょうのイメージが強く、美味しくないものだと思っていました、とんでもない)
大谷海岸でも感じましたがこちら地方の海産物に外れは無いです。私の住む町も漁業が盛んで魚介類を食す機会は多くありますが気仙沼のポテンシャルには驚きました。
私は高校生の時に小さな地方スーパーでバイトしていたのですが、そこのスーパーは鮮魚コーナーに力を入れていて毎年秋になると気仙沼産の戻り鰹を仕入れていました。当時の私は((沼でカツオ??))よくよく調べたら宮城だと分かりましたが何故わざわざ気仙沼産なのかと(千葉県の勝浦もカツオは有名なので)疑問に思ってはいたのですがここ気仙沼で様々な魚介類を食べてようやくその意味がわかったような気がしました。
こちらの宿のメニューは季節事に旬の海の幸を提供するのでまた違うシーズンにも訪れたいものです。
夜に岩井崎まで行けば真っ暗なので星空も綺麗に見れそうな気がします(今回は花粉の時期だったので夜散歩は控えました)
気仙沼は魚市場方面にもホテルがあり、近くには居酒屋等飲食店が多いので素泊まりで潮風に当たりながらはしご酒も楽しめそうです。
安波山(あんばさん)
ここでは日出テラス、星のテラス、山頂と各ビューポイントからは気仙沼の代名詞、リアス式海岸の特徴である入り組んだ湾が良く見えます。
旅先の運動にはこのくらいが丁度いいですね。お手軽とはいえ靴は歩きやすいものをお勧めします。
震災当日、気仙沼市内でロケをしていたサンドウィッチマンの2人はここ安波山へ避難していたそうです。
気仙沼シャークミュージアム
ここが思いのほか見どころたくさんで、どちらの展示も値段に見合わない濃いものでした。
シャークミュージアムは壁一面に色んな種類のサメの写真があったのですが(((何故メガロドン((絶滅種 体調最大18m(美ら海水族館のジンベイザメは8.8m)のサメ))がないのか!残念!)))と思っていたら映像を見る部屋の入口がメガロドンの口になっていました。 歯の化石も隣にありました。
歯と言えばサメの歯はベルトコンベアー式になっていて数週間で生え変わるようです。サメの標本で確認できましたが恐ろしい口内をしていて夢に出ないか不安になりました。
K-port
ここは私がどうこう言うより記事を見た方が伝わると思うので記載します。
私が来店したのは3月12日、お店の人に聞くとこの日は兼さんはいらっしゃらないとのこと。4日の日には来ていたそうで今も最低月一でお店に立っているのそうで皿洗いも普通にこなすようです。
お店にいなくても謙さんはできる限り手書きのメッセージを朝一FAXで送ってくれるそうで、その日の力強いメッセージを見ることが出来ました。
前日以前のものはファイリングされており、見るとほぼほぼ毎日メッセージがありなんて律儀な人なんだと伝わりました。
渡辺謙さんの人柄に触れたことによって、改めて謙さんの映画を見てみたいと思いました。
今現在、気仙沼の民宿つなかんのドキュメンタリー映画「ただいま、つなかん」が宮城や東京の一部で放映されていますがそちらのナレーションを渡辺謙さんが担当しています。全国順次公開とのことでこちらも是非見てみたいです。
コヤマ菓子店
ここのお店を知ったのはYouTubeからでした。その動画は震災で避難中に津波の映像を店主が収めたものでした。
避難するために車の渋滞や迫り来る津波から逃げる車が写っており近くにいた人の辛酸な声も入っていて津波の悲惨さ、絶望的な光景が映し出されています。
こちらの動画の概要欄に店主の言葉があるのでそちらを読んでいただけたらと思います。
⚠︎︎津波の映像が流れますので苦手な方はご注意ください。
こちらのお店では名物のはまぐりもなかくっきーなど数点お土産に購入しました。名物なだけに美味しかったです。味は「岩井崎の塩」が好みでした。
すがとよ酒店
お店に入り商品を手に取り見ていると息子さんが「何かお探しでしょうか?」と直ぐに尋ねて下さいました。日本酒が得意でない私は気仙沼の地酒を購入したいと要望すると知識豊富な息子さんは米の産地も教えて頂きにオススメを数種類紹介してくださり無事選ぶことができました。
レジへ進むと女将さんがお酒の瓶を見て一言「まあ色鮮やかだこと!」と「甘そうなお酒ばっかりですみません笑」と自然と会話が進み、気づいたら途中で"お母さん"と呼んでいました。
ここすがとよ酒店は、前の週にNHKの震災の特集を見て知ったのですが、女将さんは震災で壮絶な体験経て、2016年にまたこの地にお店を構えることができました。
まとめ
今回宮城県気仙沼市を訪れて触れ合った人達には皆パワーを感じました。
パワーと言っても荒々しいものでは無く表面上は穏やかで温厚そうですが中身は真っ直ぐと芯の通った人達が多いと感じました。
というのもあれだけ悲惨な震災を体験してもめげずに立ち上がり、復興する姿を街の至る所で見てきたからです。
ここ気仙沼にしっかり地に足をつけ生業を立てて生活する人達に地域愛も感じました。
その想いは訪れた人たちにしっかりと伝わり、逆にこちら側が勇気や元気をもらえるような気がします。
気仙沼市、本当に見どころたくさんのいい所でした。皆さんも是非お立ち寄りし気仙沼だけと言わず東北地方を盛り上げて貰えたら思います。
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