【最新作云々67】いかに生きるべきか、そして死ぬべきか... 最期まで自分らしくありたい頑固者の父を死出の旅へ送り出す娘たちの苦悩と惜別の映画『すべてうまくいきますように』
結論から言おう!!・・・・・・・・こんにちは。(>ω・)
世間的にすっかり卒業シーズンですが、まずもって思い出すのは中学校の卒業式・・・の前日の一コマ、なO次郎です。
今回は最新の洋画『すべてうまくいきますように』です。
脳卒中で病院に緊急搬送された高齢男性が自分の身体の状態に鑑みて"自分らしさを保っている内に人生を終えたい"と安楽死を望み、その頑固な父の最期の切なる願いを託された中年姉妹とその家族が彼と向き合う様を描いたヒューマンドラマ。
殊更に家族の思い出を反芻したり、父を翻意させようと尽力するようなセンチメンタルな描写は抑えられており、あくまで身体が不自由となった父が死出の旅に出るまでの本人とその周辺の生活を時にユーモアを交えつつ淡々と描いているのが印象的です。
"安楽死"というとどうしても悲痛で重厚なテーマとして扱われる傾向が強く、"自死"を描くからには哀しみや諦めの悲愴感がドラマとして漂うものですが、一風変わったアプローチの作品ゆえに取っつきやすく、何より誰しもがいずれ彼我の立場となることを避けられない問題であるため、なおのこと高齢による問題の別種の捉え方として意義深い作品だと思います。
このあたりの作品に感じ入った経緯のある方には是非ともおススメです。
ラストまでネタバレ含んでおりますので予めご了承ください。
それでは・・・・・・・・・後味が悪い!!
Ⅰ. 作品概要
※日本語版ページが存在しないため、翻訳等で閲覧ください。
冒頭から既に"事後"であり、父アンドレ(演:アンドレ・デュソリエ)が脳卒中で搬送された病院に長女エマニュエル(演:ソフィー・マルソー)が駆け付けるところから物語が幕を開けます。劇的な導入とせず、劇判も流れずに淡々と物語に入ることで作品のカラーを暗示しているようです。
それから後顧の憂いを断ち切るように、娘たちの協力を得て近しい人たちとの最後のひと時を段取っていきます。
シャーロット・ランプリングの出演はほぼその場面のみでしたが、さすがはベテラン女優の貫禄であり、重ねた人生の重みと悟りを開いたかのような達観した眼差しは、これぞ存在感、というものでした。
昔から自身の確固として頑健な哲学と信念を持ったアンドレのこと、当初こそ端から安楽死を既定路線として突き進もうとする父の姿にショックを隠せないエマニュエルとその妹パスカル(演:ジェラルディン・パイリャス)でしたが、梃子でも動かぬ意思を感じ取ってその段取りを整えていきます。
姉妹は二人とも既婚者なものの、エマニュエルは子どもは居らず、パスカルは物心ついたばかりの息子が居ます。
フランスでは安楽死が合法化されていないということで、父をスイスへと緊急車両で移送しての処置、ということになるのですが、ただでさえ肉親の自死をほう助するということへの忌避感に加え、自国で違法とされている行為を完遂するために国を跨いでのグレーな死出の旅に関して本人に代わって段取りを整えていくその心中は如何ばかりのものか、と観ているこちらの心配は尽きません。
ただ、先述のように作品全体としてのトーンは決して陰鬱とはなっておらず、それどころか孫息子の音楽発表会を楽しみにするあまり安楽死結構の予定日を数週間何の気無しに延期するくだりなど、さり気無くも優しいユーモアに満ちています。実際の発表会の場面では祖父と孫の最期の邂逅の舞台に際して幾重にも感極まっている姉妹の家族一同に対し、肝心のアンドレが居眠りしてしまっているシーンなどはついついクスッと来てしまうところで。
そしていよいよもってのアンドレの安楽死を迎える前夜、パスカルは当初の予定を変更して「姉さんと過ごしたい」と、エマニュエルと二人で抱き合って眠りに就きます。
父を運ぶ緊急車両を迎える直前に警察からの事情聴取云々のアクシデントは有ったものの事無きを得て、アンドレ自身が翻意することも無く、厳かにスイスの地で安楽死の処置が執り行われ、冒頭と同じように飾り気のない淡々としたエンディングを迎えます。
個人的に気になったところとしては、アンドレが自身の身体の麻痺に対し、リハビリをはじめとした症状軽減の努力を全く志向していたそぶりが無いことでしょうか。
プライドが高く、それまでの己の人生を思い通りに送ってきたアンドレにとり、完全な状態へリカバリー出来ないことがわかっているリハビリは眼中になかったのかもしれませんが、"出来なくなっていくことを楽しむ"という境地を研究することもまた、人生の黄昏時だけに存立し得る美学かとも思うのですが・・・・はてさて。
Ⅱ. おしまいに
というわけで、今回は最新のフランス映画『すべてうまくいきますように』について語りました。
"安楽死"というかなりセンシティブな内容を扱った作品ではありますが、それを額面そのままにセンシティブなものとして観客に突きつけるのではなく、人としてのユーモアを保ったまま生を全うする一つの選択として描いているのが造り手側の何よりのメッセージでしょう。
ガチガチに法制化して制度として整えてしまうと有象無象の圧力として作用してしまうのでそれは決して望ましくありませんが、選択肢として存在することで却って一日一日を大事に自分らしく生きられる、という側面はあるのかもしれません。
とりとめがなくなってきたので今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・・・・どうぞよしなに。
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