#10「人助け」しないという選択
今朝、ランニングをしていると、近所のおじいさんに声をかけられました。
「困ってます。助けてください。」
「はい、いいですよ! どうされたんですか?」
詳しく聞いてみると、電気の接触が悪く、煙が出ているそう。「電力会社で電話してもらえますか?」とのことだった。
ん? 自分で電話すればよくね? え、電話がない? あ、そっか。できないのか。
言い忘れてました。声をかけてきたのは、ごみ屋敷のおじいさんです。
いいうわさは聞いたことなかったですが、絡んだことなかったので、偏見はなしでとりあえずおじいさんを助けようかなと思ったんです。
電力会社にとりあえず電話してみました。オペレーターの方に状況を説明したのですが、状況が少しややこしいので説明するのに苦労しました。(言語化能力あげていきたいです笑)
ところどころ分からないところがあったので、おじいさんに聞いたのですがろいろ、「ん?」って思うことが出てきました。ハンコがない、支払いしてる人とおじいさんの名前が違う、停電してるけど直してない、、、、、あげるとキリがないんです。
一応、電力会社の人が現地まで来てくれることになりました。ふぅ、一件落着。
ほんの10分くらいの出来事でしたが、いろいろ考えさせられました。このきっかけに感謝ですね。
「助けを求めてきた相手によって断ることは罪か否か」
とても悩ましい。皆さんならどうしますか?
そういえば、これまでの人生でも、こういう経験が多かった気がします。
残りのランニングの時間で答えを出しました。(すぐ答え出たのであんまり悩ましい問題ではないのかもしれません笑)
結論としては、「相手によって断る」です。
なぜなら、「おじいさん」、「電力会社のスタッフ」、「自分」、関わった人が ”本質的に幸せ” じゃないからです。
自分の行動軸の話にもつながりますが、自分の行動軸のひとつに「関わる人が全員笑顔になる」というのがあります。(行動軸もろもろは、また違う日にきちんと投稿しますね)
今回の場合で行くと、みんなが満面の笑顔ではなかったと思います。
もしまた、こういう場面に遭遇したら、「すみません。」と言って断ります。
今日決めました。人に助けを求められたとき、それが本質的な「人助け」だったら、自分は動きます。そうじゃなかったら動きません。自分のために。相手のために。
ではまた明日✋
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