店主のやる気がなくなる前に。
上七軒の界隈の中、もう少し詳しくいうならば、北野天満宮の目の前の交差点から南東の方へ斜めに伸びる道を下り、しばらくした後、東西にまっすぐの道と交わった点の鋭角にあたる場所に誠養軒はある。中華そばの誠養軒を知ったのはつい最近のことだけれど、近くの古本屋へ立ち寄ったついでにふらっと寄ってみようかということで、誠養軒の暖簾を潜り、お店の扉を開けたのである。
店に入る。テーブル席はたった2つ。カウンターはいくらか散らかっており、多少片付けねば座れそうもない。ラジオからはしゃがれた声が聞こえている。「こんにちは」と挨拶をすると、奥から店主の老人が出てくる。僕は壁に貼ってあるメニュー表を見て、中華そばとビールを注文する。「生ビールはないけど瓶ビールならあるよ。外から好きなの取ってきて」と言われ、僕は一度店の外へ出てから瓶ビールの入ったアサヒのケースからサッポロ黒ラベルの中瓶を取り出し、中華そばを待ちながらしっぽりとやることとする。
中華そばが来るまでのつまみ代わりに、壁のメニュー表をじっくりと眺めていると、「定休日:月曜日、毎日やる気がなくなり次第、帰ります」と明朝体で書かれている。「スープがなくなり次第」とか「50杯限定!」のラーメン屋さんはよく見るけれど、「やる気がなくなり次第」というのは見たことがない。こちらの店主は程よく適当な人間であることがよくわかり、今僕の中華そばを作ってくれているのだと思えば、店主の老人のやる気がいくらか残っているという奇跡に大きな感謝を捧げたくなる。
中華そばは運ばれてきた。チャーシューとネギとモヤシ。シンプルな具材の上に、多めの胡椒が振りかけられている。ビールとの相性は抜群だ。おっと、丼の底からもチャーシューが出てくるではないか。麺の下にチャーシューが沈んでいるとは如何なる作り方をしているのか、店主の適当さ故のことなのかと思いながら食べていると、店の電話がなった。「はい誠養軒です。はい。はい。餃子8人前ですね。はーい。」とのことだけれど、餃子8人目は少し多すぎるのではないか。一般的なお店で餃子を頼むと、5~6個の餃子が出てくるけれど、その8倍だから40~48個の餃子を今から焼くということか。しかも慣れた風で注文を取っていたから、それくらいの餃子の注文は頻繁に受けるということか。そんなことを考えていると、僕も餃子を食べたくなって、1人前の餃子を注文した。
8個の餃子がお皿に乗って運ばれてきた。この8人前というと64個ということか。凄まじい。と驚きつつ、小皿に醤油と酢を程よく調合し、餃子を口に運ぶ。薄い皮で表面はパリパリというかもうパキパキである。すかさずビールをゴクリ。もうひと口ゴクリ。餃子をもうひとつ食べては中華麺をズルズル。「餃子はどんなですか?」と老人。「おいしいです」と伝えるとそうかそうかと言わんばかりに笑っていた。餃子の8個なんてあっという間にぺろっと平らげてしまい、残ったビールを全て飲み干し、中華そばのスープをいくらか飲み、勘定を支払って僕は誠養軒をあとにした。
ひとつ良い店を知った。店主のやる気のあるうちに店に入れるだなんて、運が良かった。店主のやる気がどれくらい我慢づよいのかは知らないけれど、誠養軒に行こうと思うならば、店主のやる気がなくなる前に暖簾を潜らねば、あの中華そばは味わえない。