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愉快な強盗物語には心が踊る:『黄金の7人』
日本の場合、刑法235条によると、他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役または50万円以下の罰金に処するとのことだ。人のものを盗んではいけませんと言われながら育ってきた。日本に限らず、人間の共通認識として、盗みは絶対的な悪なのである。
しかし、それでいて、物語という虚構の中であれば、窃盗という行為は美化され、許容され、しかも望まれてすらいるのではないか。フランスの小説家、モーリス・ルブランが書いた『アルセーヌ・ルパン』という怪盗は現在も世界的な人気を博し、日本でも『ルパン三世』は広い世代から愛され、『名探偵コナン』の中でも怪盗キッドというキャラクターはわーきゃー言われるほどである。現実世界では誰からも非難され、絶対的な悪として法に裁かれ、人間に責められる行為であるのにも関わらず、なぜ虚構の中では支持され、ましてや英雄のように崇め奉られるのか。不思議だ。
イタリアの映画監督、マルコ・ヴィカリオ『黄金の七人』を観た。『ルパン三世』の元になったと言われる本作は、教授と呼ばれる男、その情婦、あとは6人の強盗団、彼らが銀行の金塊を盗むという物語である。教授が指揮官として6人の男たちに指示を出し、6人がそれぞれの任務を遂行する。知略の限りを尽くした隙のない計画、陽気で愉快な6人のおじさんたちが無駄なくテキパキと銀行の金庫から大量の金塊を運び出す動き、予想外の出来事によって幾度も計画が露呈する危機が訪れる緊張、跳ねるように軽い音楽。物語の展開はテンポよく、小気味良い彼らのセリフや表情が愛くるしい。
例えば、金庫の真下に強盗団がたどり着き、金庫の床に開けた穴からボロボロと金塊が落ちてくるシーンは、夢のような幸福感、多幸感に溢れている。そして機械的なレーンに乗り、ベルトコンベヤーや金塊用エレベーターなどを経てタンカーの中に金塊が詰め込まれていく。このドキュメンタリー的な手法で金塊を追っていくカメラの使い方は、簡潔で整っていて気持ちが良い。
そして様々な危機を乗り越えて無事金塊を運び出し、ここからが本当の面白さである。この教授と他の6人の間に確かに主従関係のようなものが存在し、金塊を独り占めしたい教授と分け前が欲しい6人の強盗団、そしてロッサナ・ポデスタが演じる妖艶な情婦の間で、人間の汚さを露わにしたドロドロのバトルが始まるのだ。人間のエゴとエゴのぶつかり合う汚さのおうほうあは、良い酒の肴になりそうだ。
両者の間で妥協点を見出し、解決したかのように見えたのも束の間、ひょんな過失からせっかく盗んだ金塊を失ってしまうオチは、『893愚連隊』という日本映画のオチと全く同じもので、ハッピーエンドで終わらせてたまるかというマルコ・ビカリオのひねくれた感性に、僕は、深い共感を感じた。
そして何より、教授の情婦を演じるロッサナ・ポデスタが美しく、妖艶で、官能そのものだ。峰不二子のモデルになったというだけあって、美しい身体の曲線が強調される衣服を身に纏い、特に何をするというわけではないが、画面にあって欠かせない存在となっている。
自他ともに認める善人である僕も、強盗団に感情移入をしてワクワクする傑作映画である。
この映画には続編がある。『続・黄金の七人/レインボー作戦』だ。僕は続けてこの2本を鑑賞したのだが、やはり1作目を上回る続編を作るというのはいつの時代も難しいらしい。お馴染みの陽気な強盗団はやはり愛らしいのだが、どこかワチャワチャしすぎていて、話がいろんな方向を向いてしまっている。1作目を上回ろうと新しい要素を取り込めば取り込むほど、映画としての流れから逸脱してしまう。これがシリーズものの難しい点であり、そう考えると『ミッション・インポッシブル』は回を重ねるたびに面白さとアクション要素は増しているので素晴らしい。結論が変なところに着地をしたが、『ミッション・インポッシブル』の新作が楽しみだ。