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ヨコガワ

横川駅に降り立ったのは、とある土曜日の午前10時を少しばかり過ぎた頃。横川に決まった用事があるでもなく、横川に会う約束をしている友人がいるでもなく、ただ歩くために横川へやってきた。目的もなく、予定もなく、足が向くままに町を歩き回るのは、町を知るための最も簡単な方法である。

横川は、JR・路面電車・バスが集まる広島の交通拠点であり、多くの人が移動の経過点として横川を通過する。駅の周辺には飲み屋が密集しており、これまた多くの人が酒を飲むために横川へやってくる。駅の北側には住宅街が広がり、多くの人が横川に住む。人が町に入っては出てゆき、入っては出てゆく。そして残るべき人は残る。横川は古い町だけれど、健康そのものの町であるように感じる。

さて、横川を歩いてみる。老人が訪れる呉服屋、背表紙が完全に焼けてしまった文庫が並ぶ本屋、やけにハッピーアワーが長い居酒屋、宝くじも売っているたばこ屋が並ぶアーケードをくぐれば、喫茶ロマンが見える。かつて友人とこの店にて、お店のおばあちゃんとその日のカープが勝ってよかったねと話した喫茶ロマン。瓶ビールをいただいた喫茶ロマン。ただ、喫茶ロマンに入って休憩するにはいささか早すぎるので、歩みを進める。

午前10時から空いている飲み屋など、大阪にいけばあるかもしれないけれど、横川にはそれほどない。そのようなことは百も承知なのだけれど、飲み屋街を歩いていると時間に関係なく酒が飲みたくなってしまう。まだ開店の準備さえ始まっていない星の道商店街を歩き、暗めの路地に入ってみると、古本屋「本と自由」がある。が、こちらもまだ開店前。土曜日とはいえ、午前中から動き出す町はそれほど多くない。本来であれば、予定のない土曜日に、朝っぱらから酒を飲むことができたら気持ちがいいのだけれど、社会は酒飲みにとって優しいものではない。

住宅街の方へ歩いてみる。特に何があるわけでもなく、一軒家とマンションが並び、太田川の河川敷では少年・少女がサッカーの練習に励んでいる。僕の横を、緑と赤のポロシャツを着た、マリオとルイージみたいな二人組の老人が、「今日は日曜日かいのう?」「土曜日じゃ」なんて、漫才はこんななんでもないボケから生まれたのかも知らんと思えるような会話をしながら自転車でゆっくりと通り過ぎてゆく。

住宅街をぐるっとひと回り歩き、駅に戻ってくる。「本と自由」はまだ空いていない。「本と自由」を少しばかり、と言っても本当に30分くらい進めば、横川シネマがでーんと構えている。白地に赤いゴシック体で「横川シネマ」と書かれた看板は横川シネマのシンボルであり、また横川という町のシンボルであるとさえ思えるほど堂々としている。僕は横川シネマで『リコリス・ピザ』を2ヶ月ぶりに再鑑賞し、また町へ出て行った。

横川は古く、酒飲みが多く、お世辞にも綺麗ということはできないような、そんな町であるが、最近は若い人が横川に住みはじめたという話も聞く。古着屋やカフェ、本屋、映画館がある。酒も飲める。そしてそれらがギュギュっギュギュギュギュっと密集している。その点は京都の出町柳なんかに似ていて、横川の魅力をもっと上手に伝えると若い人も入り浸れるようになるのではないかと思う。そんな横川でもし働けたりするならば、幸せだ。

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