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池袋のへぇ('ω')
お仕事の関係で池袋に久々に上陸。
学生時代とか、以前はよく来てましたけど、このご時世ですから全然来なくなりました。
( ˘•ω•˘ )
メトロポリタンホテルの横に元池袋史跡公園という場所があります。そうと知らなければ気付かないで素通りしてしまいそうな、猫の額ほどの一角です。
こちらは「池袋」というの地名のゆかりの地とされているそうで、とりあえず写真だけでも、と立ち止まってみた次第です。
![](https://assets.st-note.com/img/1647154812357-JopA6LCMfP.jpg?width=1200)
何でも、かつて「丸池」と呼ばれる池がこちらにあって、周辺の村の水源になっていましたが、やがて池は枯れて、地名だけが残ったそうです。
……と、説明書きにありますが、それでなんで池袋?
なんだかモヤモヤします(・´з`・)
調べてみたところ、この丸池の別名が「袋池」だったので池袋だそうです(諸説あり)。へぇ(@_@)
メトロポリタンホテルから徒歩3分の場所に豊島区郷土資料館があります。少し時間があったので、さっそく行ってみることに。
1559年「小田原衆所領役帳」にはすでに「池袋」という地名が確認できます。なるほど、室町時代からこの辺は池袋なんですね(*‘ω‘ *)
1649年の武蔵野田園簿には「池袋村」の記述があります。江戸時代は武蔵国池袋村と呼ばれていたんですね。周辺は巣鴨村・長崎村・下高田村・雑司ヶ谷村などで、のどかな田園風景が広がっていたとのことです。
日本有数の歓楽街となった現代では考えられないですね(; ・`д・´)💦
当時は池袋村より、お隣の巣鴨村の方が、津藩藤堂家の下屋敷があったおかげでにぎやかだったそうです。津藩藤堂家といえば藩祖は藤堂高虎ではありませんか(*‘∀‘)……ちょっと心くすぐられます。
江戸城から少し離れたこの辺にお武家さんの下屋敷ができたのも、明暦の大火の影響で、江戸城周辺の武家屋敷が焼失したからなんですねー。
お武家さんも江戸っ子も、季節ごとの飛鳥山見物(特にお花見)を楽しみにしていましたし、また中山道もありましたので、そういった理由からも巣鴨辺りの方が栄えたのでしょうね。
(ヘッダーは天明時代の飛鳥山花見の様子を描いた浮世絵です。)
地域の郷土資料館に足を運んでみると、いろいろと貴重な情報が仕入れられていいなって思いました。
催事も結構充実してますね。これからもまめにチェックしていきたいです。
(=゚ω゚)ノマメ
◇
最後まで読んでいただきありがとうございました。
紀行文というほどでもないのですが、思い出の整理と思いまして☆彡