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車と峠、呼吸をする、私と世界とセンス

走る走る、走る

山、自然、道、路上。
車で行く。 アクセルを踏む。
ヘアピンカーブ、40キロぐらいに落とせばいけるな。
コーナーを一つずつクリアする。
私は、曲がる感覚を確かめていく。
進む感覚を確かめていく。


2024/11/02 台湾に上陸したらしい台風の影響で雨の日

いつもの山に行こう。
前日、夜に行こうとしたのだがコンディションが悪すぎた。走り屋に煽られて萎えたからという理由もあった。だから日中に行くこと決意したのだった。

2024/11/02

悪天候。だが腕試しにはちょうどいい。
登竜門である。ここをクリアしなければどこにだっていけない。
一番馴染みの峠、まず越すべき難関はここである。
ここで、車と対話をしよう。私たちはどんなことができるのか。一歩ずつ確かめていくことから始めよう。

ラジオを聴きながら、ワイパーをケチらず使いながら、無事に登頂ができた。(ラジオから志磨遼平がゲストで出る番組の告知を聞く。最近自叙伝を出したことは知っていた。詳しくは知らないがピンとくる人なので番組をメモしておいた。)
頂上にある小屋のような店。そこに客は誰もいなかった。
だがコーヒーを頼めたので頼む。一人でセガフレードのホットコーヒー啜る。持ってきた希望の心理学を読む。hopと信頼の話を懐かしみつつ読んだ。うんうん、と頷きながら。

店には大きな窓があった。窓の外は雲だらけでグレーだった。
働いている人たちはいた。少なくとも三人はいらっしゃったか。
一人足が不自由そうな方がいた。私はトイレを借りてもいいか訪ねたりした。
店を出るとき、お気をつけてと言われた。
悪天候だったからだと思うが、私にはどうにもそれ以上の気遣いを宿した言葉として聞こえてしまった。気をつけて進もう。他愛もない声かけが嬉しかった。

車で少し移動する。そこから散歩をした。
雨の中をびしょびしょになりながら歩く。カルデラ湖にたどり着くまで歩いた。ほとりまで進み、湖をじっと見つめて突っ立つ。さぞ不審に見えていたことだろう。
目の前には、風で波たった水面があった。対岸には山が見える。(山の上にも山があるって不思議であるが、そうなのだからそうなのだ。)
いろんなことを思い出し、頭をよぎっていく。取り止めもなく時流のように、目の前の水面のように、ダーッとよぎっていく。
しばらくして、どんどん暗くなるし寒くなると思った。だから車に戻ることにした。

この山に来たら、勢いに任せて誰かに連絡をするのが私との約束だった。
前回、それをしたのは5年ぐらい前になってしまったのだろうか。いや6年か。そう考えると恐ろしい。なのでこの決まり事が実行されるのは今日で二度目。
かつての私と同じように、今日の私も、一番最初に頭に浮かんだ人に連絡をとった。普通ならしないような連絡だ。相手に迷惑かもしれない、なんてことは当然よぎるが、ここでそれを考えることはしない決まりだ。道徳を忘れて利己的になる。
過酷な道中はこの勢いを得るためだったとも言える。ここはそんなことをするのに持ってこいの場所。
その結果はどうであれ、動くための景気づけができるのだ。

ちなみに、6年前の私が動いた結果は、それ自体はうまくいかないものだった。だけど、その行動に悔いはなかったし、エキサイティングで祭りなものだった。今でも思い出深いものだ。特に誰かに話したわけではないのだけど。
利己的になるなんて、その程度のことと言い切ってしまえるのかもしれない。だけど、行動しないよりはいいという判断だ。とにかく飛ぶことを良しとする。
「誰かとの共同の決め事であれば話は別だが、自分のことを一人で決めてもいいのであれば、肝心なのは身も蓋もない直感だったりする」みたいなニュアンスのpostが流れていたことを覚えている。そのことを痛感する感じがある。

私は、帰路の途中で、「自分で自分を信じんだよ、自分で自分を信じられなかったらお終いだろ」と大学生の頃のように叫んだ。


2024/11/03 予報はずれの晴れの日

場所にたどり着く。名前のない路上。
歩く。写真を撮る。
空を見ると鳥が飛んでいた。風に煽られて、空にいた。
滑空をしていた。

2024/11/03

通行止めを発見。
「ここから先へは進めません」というやつ。
その先には何があっただろう。対岸を見つめて想像することしかできない。

2024/11/03

川が流れていた。
だから私は川を見つめていた。
写真も撮った。
すると、後ろから散歩をしていたおじさんが「いい写真撮れた?」と声をかけてきた。
おじさんは、この近辺で行われたテレビの撮影をたくさん知っていて、そのことを教えてくれた。
ヒーローものや、徳光さんの番組、あぶない刑事の撮影もあったという。地域の子どもたちとスタントマンのエピソードを話してくれたりもした。
最後の方、なんと言っていたのか聞き取れなかった。今日は祭りがあるとか、あいつは飲兵衛だからとか言っていた。
最後、頑張ってと言ってくれた。
私がしょぼくれていたように見えたのかな。何か悩んでいるようにも見えたのかもしれない、実際そうだから多分そうだろう。私は一人でいると、そんな風に見られて言葉をかけられることが非常に多い。(この点に関しては不服であるが仕方がないと思っている。)
今回も今までと同じような、そして特に深い意味なんてない儀礼的なものなのだろうけど、なんだか、残る。
あのおじさんは、帰る家がある人だっただろうか。少なくとも友達はいるのだろう。そして多分、家も、帰る場所も持っている人な気がする。

思えば、見ず知らずの人の話を聞くのは久しぶりだったが、年長者の話を聞くのも久しぶりな気がした。
色々得て、失ってきて、なお生きている。私の勝手な想像なんだけど、そんな姿をしていた気がした。もしかしたら私の未来の姿か。
堆積させてきたものが、流れてきた時間の量が違う。堆積物が宝でもガラクタでも、その実績は大いなるものと言っていい。

言葉をそのまま受け取って「頑張らねば」というよりも、「生きねば」という意訳の方がしっくりくる。生きなければならないことは、わかっていた。


もちろん、ここ数日は「ありあまる富」を聴いていた。龍が如く8の影響もあったけど、引き払い支度をしていた私にすごくマッチしたから。いつ聴いても良い曲だ。あと「薔薇色の日々」も聴いていた。

車で帰ろうとした時、ミスチルのand I love you が流れてしまった。やられた、動けなくなる。しばらくしてから帰る。

車内で木枯らしに抱かれてあたりも聞いたが、宮本浩次の「冬の花」も聴く。とにかく恋心に泣かないで欲しかったのかな。というかミヤジってすげぇなって改めて思い知らされた。
「悲しくって泣いているわけじゃあない。生きているから涙が出るの」
「こごえる季節に鮮やかに咲くよ。ああ、私が負けるわけがない」
「泣かないで私の恋心。涙はお前にゃ似合わない。ゆけ、ただゆけ、いっそ私がゆくよ。ああ、心が笑いたがっている」
「胸には涙、顔には笑顔で。今日も私は出かける」
天才だ。

BLANKEY JET CITYとゆらゆら帝国も聴きながらぶっ飛ばして帰路に着く。
途中、かつて家だった場所の横を通る。その時はブランキーが流れていた。
「小さな恋のメロディ」。。「行くあてはないけど、ここには居たくない」
「ガソリンの揺れ方」。。「そんな言葉に興味はないぜ。ただ鉄の塊にまたがって。揺らしているだけ。自分の命揺らしているだけ」
ロックンロールで私は蘇る。それ以外にもうどうしようもないから。
でも東京事変の「落日」も流れた。始めて落日の主人公に共感したよ。というか始めて詩がすっと耳に入ってきた。悲しい気持ちだぜ。でも美しさがあることを忘れてはならないという気にさせてくれたよ。
「2時間だけのバカンス」も流れた。私がそっと友達に会いに行く時に聞いていた頃を思い出しながら。
)。


2024/11/04 よく晴れたある日

また別の場所。思い出がある場所。
今日はそこを目指すことにした。

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