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追憶の君へ-『華麗なるギャッツビー,2013ver』感想

とても良い映画を観たなー、と。
自分はとても好きな映画だった。

ギャッツビー、ディオみたいだね。
ギャッツビー、デイジーに殺されたみたいなもんだけど、それでよかったんだろうなぁ。

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再会ってのはでかいテーマで。それが序盤に起こるのが良かった。再会した後の話だ。ニックの立ち回りのおかげで物語が進んでいったね。だから物語としてもとても綺麗だった。原作読んでないけど。
結局ギャッツビーは死んでしまったけど。幸せだったんじゃないかな。全てはあの人のために。全てを捧げる人生。情熱だね。俺はギャッツビーめちゃくちゃ好きだよ、憎める訳がない。トムに一言言われてキレるシーンが、もう「描いてくれてありがとう」としか言えない部類のシーンだった。感情的で、生々しくて最高だ。ギャッツビーの底の悲しい部分がチラッと見えてしまう。系統は違うけど、ジョゼでのつねおが殴るシーンに対しても人間描きの凄みを感じたよ。そして、同じことされたら多分俺もそうなる。相当過去が嫌だったんだね。最低の侮辱を味わってきたのだ。だから俺はそうはならんと、希望を求めて生きたのだ。実業家的というか、そういうのは俺もわかる。社会階層だとかなんだとかで、「熱意の冷却」をされてしまう人はかなり、かなりいるのだろう、無自覚・自覚問わず。そんな残酷な世界で、そうはならんぞ、と歯を食いしばって進むのは、俺は最高に好きだ。
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全く冷めていない。これがロストジェネレーションの時代の物語か。

「過去は変えられるのか、過去は変えられないのか」
ギャツビーだって、変えられないと気づいていだろ。でもその上で信じてんだろ。変えるがどんなニュアンスかはわかんないけど、少なくとも取り戻せる、と。
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「LOST」を取り戻すために、立ち上がって闘うギャッツビー。
非常に人間的。自由とはこういうことなんじゃないのかなぁと思ってしまうよね。そんなギャッツビーに、俺も賛辞を送る。拍手。

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金がないからって会いに行けないのがギャッツビーの性なのか、そこが悲しい物語だよね。

「会いたい人に会いにいく」だよ。ただそれだけでいい。他に何がいるというのだ。

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夏祭りの花火のような、美しく、儚い映画であった。

ありがとなフィッツジェラルド。ギャッツビーは華麗だったよ。

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批判もあるんだろうなぁ
あるとするならなんだ
理想に生きすぎている、ってとこだろうか、「求めすぎなんだよ」ってやつ

それ酷だよなぁ、それ言われるの酷だよ。
ギャッツビーには求める理由があるのだよ。それを突き放されるの結構きつい。
その理由が、彼の一番のエンジンだろ。それがあるから推進力が生まれる。
それこそがギャッツビーなのに。

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うーん、
人生の全てが語られているような気すらしてしまったな
呆気にとられる感じがある。わー、、ってなる

この人、という葛藤以外に、他に何があるだろう。

人生模様で、際立った箇所が「この人」だろうに

絶望するにはまだ早いよねぇ。
取り戻す、取り戻すのは大事。
俺が俺であるために、というやつだ。

それに、まだ歌も歌っていない。歌うことは生きることらしいし。
ギャッツビーにも歌って欲しかったな。

・・・
ギャッツビーという人間の描き方がうますぎた
人格形成の経緯に納得感しかない。
俺が激しく共感しているからだろうか

結局は、感情、ダマシオ的には情動ってやつか?
それが人間たらしめる最大の要因、って立場なのかなぁ俺って。

感情のダイナミズムがドラマを生んで、そこに「その一線」を超えた先の何か、あるいは自由があるのではないか、って立場ということ

感情的な幸せが訪れたら、人って幸せなのかなぁ、って、今ふと思った。
嬉しい、気に入らない、悲しい、楽しい。
それが素直に出せるのが、一番清々しいんじゃないのかなぁって。

あぁそうかもしれないね。

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ギャッツビーはめちゃくちゃ感情的な人間だよ
その煉獄をきれいに見せている技術を手に入れているだけで。
それがすごい好きなのかも。

逆にニックは社会的な人間なのか?
それはそれで好きだが、手放しにそうだとは言えない感じがある。


もうちょい上手くいってりゃギャッツビーももうちょい笑ってられたのにな。
いやー儚いな。
うーーんん、、いや、ギャッツビーは過去も変えたし、永遠の記憶を手に入れたのではないのだろうか。そういうことなんじゃないのか、そういうことにしておいて欲しいよ。

・・・
あぁドストライクだ。やはりロストジェネレーションには俺に必要なものが詰まっているなぁ、直感していたが、やはり、だ。まさに、という感じ。自分を重ね合わせるわけではないけど、俺にとって必要な物語だということがひしひしと伝わってくる。俺はこれを知らないといけない。そういう直感がある、今日知ったけど、多分まだあるだろう。

多分「LOST」というテーマでその時代と俺がつながっている。そこは間違い無いと思うんだよ。彼らが、好きだったもの、嫌いだったもの、言いたかったこと。言えなかったこと。それを確かめたい。知りたい。

失うこと。失ってしまったこと。

失ってしまった人は、では、どう生きればいいのか

その問いに答えることがそのまま俺の人生だと言い切ってしまっても、いいのだとずっと思ったりする瞬間が、あったりなかったり、いや常にある。

その問いに答えてきた人たちだと思うから

勝手に帰る場所がなくなってしまったのは本当に悲しいことだよ
大切な人たちや、恩義のある人々、その居場所。いや、、、それはすなわち自分自身である。それが、俺は一時期、diffusionだと思っていたけど、それだと説明しきれていないともう気付いている。個人に起こるあーだこーだではない、発達的なあーだこーだではない。一定の知見を与えてくれて、それは有用なんだけど、決してそれだけではない。そうじゃない。もっと、家族でバーベキューした時、焦げ目が網目上になったウィンナーに醤油をかけた時の匂いを嗅いだ時のような、確信的なものがそこには存在していない。その時の「おいしそ」って思うような何かが、その文脈にはないんだよ。そう鼓動、生命の感じと言ってもいいかもしれない。または思い出、だろうか。。。。
つまり全てだ。全てが自分と結びついているのであって、、、みたいに考えていくとわかんなくなるからまぁいいや。
拡散することではない。拡散以上の拡散がその人の起こった場合の現象について俺は興味がある。そしてそれはロストジェネレーションが一定のガイドラインを引いてくれている、という感じだ。

失うことは、悲しい。あぁ悲しい。
それでもどう生きたのか。人間はどうなれるのか。

そんな時代だったのだろう。かつての俺よ。かつての君よ。

・・・


大きく、対極的に捉えて。
もう一度深呼吸して、俺はまた行ってみるよ。

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