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僕の考える、父と子の繋がり

 さてさて、軽トラ生活…、何とか、かんとか過ごしておる訳でございますが、すっかり、JA共済に翻弄されて事故対応にて、自らの業務、諸々おろそかになっておる訳でして…

 そんなこんなで年明け、やっと月末になって、昨年より当方をお手伝い頂いている移住者、ナオヤくんに会った時の話。ナオヤくんは30代半ば、子供が1歳半くらい。

 ちゃんと子育てやってるか??との質問に、「子どもがこんなにもかわいいとは思わなかった」なんて話から、「だけど、子供の面倒を見るけど、僕だと嫌がって、最後はやっぱりママになっちゃうんです…」との回答。で、グズグズの子供をママに渡す。という事をやっていたという事で、そんな訳だから、子供と1晩を二人きりで過ごした事が無いと。
今日は僕の考える父親について。

 僕自身父親になって、妻、即ち母親と、娘である子供。

 どの世界でも、現段階の人類では(※科学的なあれはここでは抜きとして…)等しく、私たちは母親の胎内から生まれた。母親と子供の繋がりというのは、ゼロから、魂が宿り、生命が誕生するまでの神秘的な時間。時間という概念すらまだ無い中で命は誕生する。その時間は、新たな生命、即ち、子供にとっては、おそらくは果てしなく感じる宇宙のような時間の中で、その時間を母親と共に、確かに、繋がっていた。おそらくは、母親が光となって、子供のガイドとなっていたのではないか。

 その繋がりは、悲しいかな、男性である父親たちには決して作る事の出来ない繋がり。母と子の繋がり。そう。私たち自身も母親と繋がっていた。

 母親が子供と喧嘩しているのと、我々が子供と喧嘩するのでは訳が違う。絶対的な神秘の繋がりが元にある。そうなると、我々父親は子供とその繋がりをつくれないのか?って話なんだけど・・・

 母親の胎内にいた頃の果てしない未知なる時間と、地球に生まれ育ち、人類として過ごす時間。これは、感覚的にどれくらいなんだろう??

 だから、我々父親は、母親が胎内で子供とつちかった時間を、人生の中で時間をかけて繋がりを作る。そうすると、ナオヤくんは「子供の人生一生ってことですか??」と。

 いやいや、一生じゃなくって、それが16とか18とか20とか、早い子で10とかなんじゃないかな?そこまでにしっかりと父親と子供の繋がりを作ることを意識すれば、母親と同じ目線で子供と繋がることができるんじゃないかと思う。

 子育てができなくて当然だし、間違う事もある。だけど、母親が子供と胎内で過ごした時間を、外に出てきた人類の時間軸で、僕たち父親がいかに、その時間を子供と共に過ごすかで、子供との繋がりは変わると思うよ。ってな話をした。

 そう。これが、僕の考える、母性社会における、父親の役割。

 僕は、いま、娘と居られて本当に幸せだ。だから、僕はこれで合っているんだと思う。一日一日に繋がりが深くなるのを感じる。そして、先々、きっと、娘は僕たち家族を離れる。

 つながりが深いゆえに、より深い、ひとつ目の『愛別離苦』を経験するのだと思う。肉体的な「離」ではなく魂の「離」だけど、根底は繋がっている。そこで初めて、我々男も、産みの苦しみに適う何かを知るのだと思う。けれども、そこまでに繋がりをしっかりと作っておけば、何も心配することは無いと思う。

 正直に言うと、僕と父親の関係は極めてドライだ。お互い、こんなはずじゃなかった。的な部分も本音ではあるんだけど、そこは昭和だよね。男同士は口には出さない。僕は、娘とこんな感じの関係は嫌だな~想像すると耐えられないw

 世のお父さんたちは、もっと気負うことなく、イクメンだとかそんな言葉に囚われるんじゃなくって、普通に子供と絆を深めるだけでいいと思う。もちろん我々も間違う事もある。そこは、ゴメンってちゃんと言えるかどうかだ。

 あとはそこにある愛を噛みしめれば良いだけだと思うな〜

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