父性社会と母性社会
いつもまとまっていない話なのですが…すごく言葉が足りませんが、誠に有り難いことに、年一回、都留文大で講義をやらせて頂いているのですが、現在一人ブレストを行っておる訳でしてwまぁ、そんなんです。
最近すごく思う事があります。人類というのは、『父性社会』というものを、この数千年続けてきたのではなかろうか。僕の思い付きの言葉なので、明確な定義とかあったらスンマセン。まぁまぁ、で、僕の思う『父性社会』って、『力』なんだと思うんです。暴力、武力、戦力、権力、支配力、経済力などなど…
で、この数千年、暴力ってモンはもううんざりだ!!って言っているのに、結局、またしても暴力の世界に戻る。ってのが、昨今の慣れの果ての世界情勢なのではないかと思う訳です。
我々人類は、この『力』を基にした考え方というのが間違っていたのではなかろうか??
現在我々が見ている『母性』というのは、『父性社会』における『母性』なんだと思うんです。つまり『父性社会』で何かが違ったと思うなら、『母性社会』試してみてもいいんじゃね??って思う訳です。
『母性社会』における『母性』って、それは『愛』なんだと思うんです。慈愛、博愛、敬愛、家族愛…優しい言葉に変わりますよね。お暇な方は想像してみてほしいんです。結構楽しいんですけどw
今の世の中、男女立場が逆だったら??
前提として、『父性社会』の女性ではなく、『母性社会』の女性、『母性社会』の男性。女性の上司が当たり前、育休とかは大前提、父親の子育て当たり前。政治家は女性ばかりw
父性社会における女性ではダメです。いわゆる妬み嫉みひがみの女性社会ってやつは、父性社会の中にいるからなのではないかと推測しています。
母性社会というものが大前提にあれば、自ずと命を大事にする世の中になっていくのではなかろうか。自ずと手を差し伸べる世の中になっていくのではなかろうか。子供を惜しみない愛で育てる世の中にならないだろうか??
僕は最近「愛」という言葉を多用する。だけどこれは、性愛でいう愛ではない、恋愛で言う愛でもない。母親と繋がっていた時の、胎内にたしかにあった、誰しもが通った『愛』だ。
ここへ行く方法は一つ。だけど、行き方は千差万別。
怒りを捨てる事だ。
たまに不安は訪れる。まだまだ、もっと先があると思う。ただ、何よりもあの『怒り』に割いていた時間は『平穏』になる。あの、毎日何かにイライラしていた僕でも捨てられた。僕を昔からご存知の方からすると、信じられないだろうがw正直な所、僕も自分でもこの状況を理解するのに戸惑っていますw
選挙とかで世の中を変えるって、それもわかるけど…それよりも、怒りを捨てる人が増え、どっかで、その人数が逆転したら、母性の愛を中心とした、母性社会が形成されたら、今の世の中もっと変わるんじゃね??って。今の世の中ひっくり返ったら、それでいいんじゃね?とも。
そう。これは僕の妄想w
妄想でも、理想でも、夢想でもいい、想いがあれば、それは伝わる。怒りは伝播する。愛も伝播する。
そろそろTVを消しませんか??TVは怒りや不安、恐怖が多いですね。消したらかなりなくなりますねw
自分を信じる事。自分を赦す事。怒りは自分の内にある。
怒りを手放せば、世界は広がる。
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