日本史B 近世8 享保の改革と田沼時代
Ⅰ享保(きょうほう)の改革
8代将軍 徳川吉宗(よしむね)
倹約令をだし幕府の支出を減らす
上げ米(あげまい)
大名に対して石高1万石に付き米100石を上納させる
参勤交代の際に江戸にいる期間を従来の1年から半年に縮める
新田開発と年貢の増収
町人請負新田=町人の資本で新田の開発することを許可した
定免法(じょうめんほう)=豊作・凶作にかかわりなく一定の年貢を徴収する方法
以前は検見法がおこなわれ、豊作・凶作によって年貢量が変化した
幕僚における年貢率を従来の四公六民(年貢率40%)から五公五民(年貢率50%)に変える
米価下落と享保の飢餓
享保の改革で一時的に年貢量が増加
米の量が多くなりすぎて値段が下がる
米があっても収入が減ってしまう
大坂の堂島(どうじま)米市場を幕府の公認にして米の価格を統制しようとしたが失敗
享保の飢饉(ききん)が発生し享保の改革は挫折する
政治改革
相対済し令(あいたいすましれい)=金銭貸借の問題を当事者間で解決させること
裁判事務を簡素化しようとした
目安箱(めやすばこ)=人々の意見を投書させるための箱
小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)などが作られた
足高の制(たしだかのせい)=旗本の人材登用制度
その職に就いている間のみ石高の不足分を支給する
大岡忠相(おおおかただすけ)が江戸町奉行に登用される
公事方御定書(くじかたおさだめがき)=裁判や刑罰の基準を定めた
その他の事項
荻生徂徠(おぎゅうそらい)・室鳩巣(むろきゅそう)、田中丘隅(きゅうぐ)なども登用した
漢訳洋書輸入の禁の緩和=キリスト教関係以外の洋書は許可された
青木昆陽(あおきこんよう)や野呂元丈(のろげんじょう)などにオランダ語を学ばせた
甘薯(かんしょ)(さつまいも)の栽培を奨励
青木昆陽に栽培させる
Ⅱ田沼時代
田沼意次(たぬまおきつぐ) 18世紀後半
10代将軍徳川家治の時代 側用人から老中に出世した
株仲間の奨励=独占販売権などをもった同業者組合を奨励
見返りとして運上(うんじょう)・冥加(みょうが)といった営業税を徴収
銅・鉄・真鍮(しんちゅう)・朝鮮人参などを幕府直営の座を設置
長崎貿易の奨励:貿易の際の支払いは銅や俵物(たわらもの)といった海産物とした
金や銀の流出を防ぐため
ロシアとの貿易計画
工藤平助(くどうへいすけ)の「赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)」がきっかけ
最上徳内(もがみとくない)を蝦夷地に派遣した
印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)(千葉)の干拓
享保の改革ではないので注意
天明(てんめい)の飢饉
1782年:東北地方の冷害が原因
1783年:浅間山の噴火
家治の死去と共に田沼は失脚する
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