日本史B 近世2 豊臣秀吉と桃山文化
Ⅰ豊臣秀吉の統一課程
山崎(やまざき)の合戦で明智光秀を倒す
太閤(たいこう)検地=検地役人を派遣し統一的な土地調査を行った
石高制(こくだかせい)=土地の生産力をコメの収穫量で表示
※貫高制と区別できるようにしてください
一地一作人の原則=土地所有者を直接耕作者とする
大名に対して領地の石高に応じた軍役を負担させる
秀吉の権力確立
1583年:石山本願寺の跡地に大阪城の築城を開始する
1585年:関白に就任 翌年太政大臣に就任
聚楽弟(じゅらくてい)を建て後陽成天皇と全国の大名を招く
全国の大名に対して天皇と自分に対する忠誠を誓わせた
秀吉の対外政策
バテレン追放令=宣教師の国外追放を命じた
南蛮貿易は推奨したためキリスト教が広まることを阻止することができなかった
海賊取締令(1588年)=倭寇の禁圧
秀吉の国内政策
惣無事令(そうぶじれい)=戦いをやめて秀吉に領土の配分を任せるように命じた
秀吉が全国の支配を行うことを宣言した命令
刀狩令=農民から武器を取り上げて兵農分離を進めた
人掃令(ひとばらいれい)=武士が町人や農民になることを禁止した
秀吉の全国統一
奥州平定=伊達正宗らを服属させた
小田原攻め=北条氏政を滅ぼす
秀吉の朝鮮侵略
明(中国)を攻める計画を立てる
対馬を通じて朝鮮に対して入貢と明征服の先導役を果たすことを求める
文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)(1592・1597年)
肥前(佐賀県)の名護屋を拠点にして釜山に上陸
秀吉の死をきっかけに撤退
Ⅱ桃山文化
建築
城下町の発展とともに平地に城が建築されるようになる 姫路城は写真を覚える
中央の本丸には天守閣(てんしゅかく)が置かれる
大名の居住区には書院造の居館が営まれた
壁やふすまには華麗な障壁画(しょうへきが)が描かれた
桃山文化の絵画
濃絵(だみえ)の障壁画が代表
狩野永徳(かのうえいとく)「唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)」 絵を見て桃山文化のものと識別できるように!
狩野山楽・長谷川等伯・海北友松らも有名
桃山文化の芸能・芸術
侘び茶
千利休が大成する
阿国歌舞伎(おくにかぶき)
出雲(いずもの)阿国によって始まる
のちの歌舞伎のルーツ
蛇皮線(じゃびせん)
琉球から伝わる
三味線のルーツ
活字印刷術
ヨーロッパと朝鮮から伝わる
ヨーロッパからはヴァリ二ャーニによって伝えられた
お国焼き
朝鮮出兵によって朝鮮の陶工が日本に連行
有田焼・薩摩焼・萩焼・平戸焼などが作られる
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