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甘えの何が悪いのか分からない

「〇〇は甘えだ」

そう語る人間をSNSでも現実でもよく目にする。

人それぞれ何を苦にするかは異なるのだから安易に甘えと断ずるのは誤りだ、という話は以前に述べた


だが本当はそれより前の段階で疑問がある。

そもそも甘えることがなぜ悪いのか、という疑問だ。

僕にはいくら考えてもなぜ悪いのかがわからない。

ネットで調べてみても、やはり納得のいく回答は見当たらなかった。


では本はどうだろう?

「甘え」を含むタイトルを検索すると、土居健郎氏の著作がいくつかヒットする。

そのなかでもっとも有名な『甘えの構造』をだいぶ前に読んだが、僕の記憶する限り、なぜ甘えが悪いのかについてはここでも語られていなかった。


なぜ甘えは悪いのか


甘えてはいけない理由として、よく挙げられるのは

「自分の力で解決できなくなる」

というものである。


だがそれは逆ではないだろうか?

甘えているから解決できなくなるのではなく、解決しようとしてもできないから甘え(のように見える行動)が出ているのではないか?

たとえば以前僕の働いている倉庫でこんなことがあった。


A君という青年は勤務中に何度もトイレに行く。

たまにそういう日があるのではない。いつもそうなのだ。

ある日、そんなA君を同僚の中年オヤジが怒鳴りつけた。

「みんな忙しいのに便所ばっかり行ってんじゃねーよ!!」

そしてA君がいなくなったあとに次の言葉が続く。

「まったくよ、甘ったれてんだよなアイツは」


A君は甘えているのだろうか?

おそらくそれは違う。

僕が思うに、A君が頻繁にトイレに行くのは意思の問題ではなく体質の問題だ。


たとえば過敏性腸症候群という有名な病気がある。

ごく簡潔にいえば、下痢やおならが止まらない病気だ。

これは自分の意思でどうにかできるものではない。

仕事中に何度も抜けられて負担が増えるのはわかるが、それ以上に辛いのはおそらくA君本人だろう。

「自分の力で解決する能力」は必ずしも努力で獲得できるとは限らない。

「人間は努力すれば何でもできる」と信じている人は幸福だ。われわれのように対人援助の仕事に従事しているものは、人間の能力に限界があり、われわれの抗し難い不可解な力が人間に働いていることを、いつも認めさせられるのである。どう努力をしても知能が低いままの子供がいる。交通事故で足を失った人は、その足をとり返すことはできない。われわれは時にいいようのない絶望感におそわれる。

河合隼雄『コンプレックス』岩波書店.


実家暮らし=甘え?


「甘え」は「自立」とセットで語られることも多い。

自立とは主に経済的自立を指す。

要するに、親元を離れて自分ひとりで生活することだ。


「実家暮らし=甘え」という風潮は今なお根強く残っている。

ではこの場合の甘えは何が悪いのだろうか?

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