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学校のおかげで嫌いになったもの

子供のときは苦手だったが大人になってから好きになった。

そんなものが僕には多い。

具体例をいくつか挙げていこう。


運動


小中学校に通っていた頃、僕は間違いなく学年一の運動音痴だった。


長座体前屈では膝にやっと手が届くかどうか。

100m走では毎回トップの人から10秒以上離されるぶっちぎりのビリ。

体力テストのハンドボール投げでは、平均記録が約20mのなか「6m」という女子以下の超絶パワーを披露した。


より深刻だったのは球技である。

ドッジボールでは開始10秒でコート外へ。

サッカーでは何の役にも立たないどころかオウンゴールで相手チームの勝利に貢献。

バレーボールでは自分のところに来たボールをすべて失点につなげることで、クラス最弱のチームを何度も作り上げた。


むろん周囲の視線は冷たい。

とりわけ勝ち負けにこだわる体育会系タイプと同じチームになってしまうと、体育の時間はひたすらクラスメイトから叱られ続ける時間と化す。

これで運動を嫌いになるなというのは無理だろう。



だが大人になると一転し、運動が好きになった。

今では誰に強制されるでもなく、川沿いを自転車で走ったり、近所の市民プールに行ったり、家でウェイトトレーニングをしたりしている。

散歩はもはや生活に欠かせない趣味のひとつだ。

運動がこんなに気持ちいいものだとは、体育の授業でイヤイヤ動いていたときには思いもしなかった。

しかもただ気持ちいいだけでなく、脳内に溜まったゴミが排出されて頭がよく働くようになる。

わたしがひとり徒歩で旅したときほど、わたしがゆたかに考え、ゆたかに存在し、ゆたかに生き、あえていうならば、ゆたかにわたし自身であったことはない。

ジャン・ジャック・ルソー『告白(上)』桑原武夫訳,岩波文庫


作文


小学校のころは作文が大嫌いだった。

400字詰め原稿用紙の右半分すら埋めることができず、いつも3行ほど書いたところで鉛筆が止まる。

なにを書けばいいのかまったく分からないのだ。

結局どれだけ作文をやらされても文章を書けるようにはならず、むしろ苦手意識が増すばかりだった。

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