仕事で余裕をなくした彼と
あなたが久しぶりに、自分のつらさを話してくれた時。
わたしは嬉しかったよ。
相変わらず言葉が下手くそだったから、
何の話されるのかって、一瞬身構えてしまったけどね。
その日も、勇気を出したわたしの話を遮って、
わたしの気持ちは聞こうともせずに。
でも余裕なんてなかったんだよね
きっと自分でも分かってるんだよね。
どこまで話したっけ、っていうあなたに、
何も話してくれてないよ、の代わりに、
わたしから見えたここ1、2ヶ月のあなたの状況を伝える。
「先月は〇〇で忙しそうで、〇〇の話はその時聞いた。
今月頭はいつからいつまで連勤してて、
記憶飛ばしかけてたり、
この日はわたしと△△のこと話したりしたよ。
でもあとは、しんどいとかクソとか、頭いっぱいとか
そんなことしか来てないよ。笑」
って、まあできるだけポップに。
ポップというか、まんま事実だけど。
わたしからしたら、全くもってコミュニケーションじゃないから辛かった、
・・・とは言わなかった。
あなた自身より鮮明に、あなたのしんどさを記憶してたことが嬉しかった?
ちゃんと見ててくれてるって思った?
それとも、自分の状況を客観視したら、
色んな意味でやばかった?
こっちこそ、色んな意味で全然笑えないけどね。
でもわたしが羅列したそれらを聞いて、あなたは笑ってた。
何日か前に、本当に素直な気持ちで、
「いっつも一人で、誰よりも頑張ってるもんな」
って伝えた時があったよね。
本当に心からの気持ちだったよ。
それが刺さったって言ったらおかしいけど、
それで崩れて、こういう話をしてもいいかなって思ったの?
笑ったあと、
「最近こーゆうのがあった。」
「そんで実情を話した。」って、
めずらしくぽつぽつ話し出した。
超過勤務があまりにも過ぎて、産業医面談したんだと。
そりゃそうだよね。
内容は若干違えど、タイムリーに、
わたしもちょうど一年前にやったよ、産業医面談。
たまに送ってきてた勤怠管理画面の写真。
わたしもしんどい時は、その場で受け入れる余裕なかったけど、
限界突破してたよね。
本社はどんな管理してんだって思ってたよ。
めずらしくそんな報告してくるあなたに
嬉しいって言ったらおかしいけど、
心の底からいとおしい気持ちが生まれた。
コミュニケーション取れることが嬉しかったんだよ。
「それで話していったら」
「そしたらこーやって言われた。」、って。
あなたはどう思ったのか、はそこにはなかったけど。
それはうまく言葉にできないのかな。
それでどう思った?とはわたしも聞かなかった。
そんなんしたんだね、
そうやって言われたんだね、って。いつも通り。
あなたの話を聞く時、いつもこんな感じなの気づいてるかな。
そうしたらあなたがたくさん話すから。
その代わり、わたしの気持ちを伝えてみた。
ただただ、本心。本当に心の底からの気持ちで。
「プレイヤーとしての本業も、マネージャーとしての責任者業務もやりながら、
何なら雑務も降ってきて。でもそういうの外に出さないで、着任してから一人でずっと頑張ってるんだよね。」って。
「あなたが壊れたら、会社だって損するのにね。もっと大事にしてって怒りたい。」って。
これが本心じゃなかったら何だろう。
わたしのいた業種の言葉しか使えないけど、きっと彼にもまんま当てはまると思う。
自尊心だってあるだろうし、分かったようなことも言いたくないけど、120%の寄り添いと共感しかなかった。心の底から。
昨年までのわたしと被ったし、
これが今伝えられる一番素直な気持ちだった。
わたしとの間で、
信じられないくらい幼稚なコミュニケーションしたりするけど。
そのせいで、わたしも現在進行形で傷つくことたくさんあるけど。
それに、
年齢ベースで話するのは好きじゃないけど、
沢山大変な思いしてきて、
そうは言ってもその歳で、その経験年数で、責任者任されて。
もちろん本業は彼にとっての天職にしか見えなくて、
わたしは間違いなくそこに惹かれたんだけど。
それがどんなに大変なことなのか
ちゃんと分かってるつもりだよ。
「それで本当に
何日もご飯食べれなかった」
っていうあなたに、
わたしも疲れてたから、次の日になっちゃったけど、
また本当の気持ちを伝えたの、きっと届いたよね。
「しんどかったね。」
「今月もたくさんしんどい思いしたね。」
「だいすきなラーメン、いつか一緒に食べようね。」
「話してくれて嬉しいよ」
って。
話しながら、わたしが癒されたよ。
わたしがあったかい気持ちになったよ。不思議だよね。
全てを横に置いといて、ほんとうにあげたかったものをようやくあげられた感じ。
普段の、空を切る心配は虚しいだけだけど、
最近のわたしは、
最近のあなたに、
ほんとは心からそうやって伝えてあげたかったんだなって。
それが叶ったっていうのは少しおかしいけど。
まだ大学生だった二十歳の頃、自分が書いた短歌の一文に、
「泣き顔の君を背負って僕もまた生きられる」
っていうのがあったのを思い出した。
泣いてる人、寄りかかってる側の人だけが、慰めを求めてるように見えるけど、
寄りかかられてる側の人も、それをつつみこんで受け入れてやることで、自分の慰めになってる、
っていう思いで詠んだ歌。
だから2人は同等だし、
背負われてる方は思いっきり力抜けばいいし、背負ってる方を周囲が賞賛したり非難したり、名前をつけたりする筋合いも必要もない。
ただふたりはふたりなんだ、っていう感覚。
当時のわたしとは、求めてる立場が違うかもしれないし、解釈ももっと深くなってるかも知れないけど、根っこのシンプルな感覚の部分は何も変わってない。状況に一般的な名前をつけたくない、っていう感覚もそう。
昔の自分が、今の自分をちゃんと救ってくれる。
今度じゃなくて、いつかでいいんだよ。
むりしてありがとう、とか返さなくていいんだよ。
あなたは私とは違うから。
しんどいの、頑張ってるの、分かって欲しかったんだよね。
もう大丈夫だよ。
わたしだってそんなに大人じゃないけどね。
そんなに自信もなかったけどね。
それでも、
安心も自信も、先にあげるから。
その目の中に、ちゃんと捉えてよく見ててね。