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夢科学 #05:ユングの「人間と象徴」#01、基礎知識編
夢についてさらに深掘りするための本を学習してみました。フロイト派では「夢は抑圧された願望充足夢が多い」と学びますが、ユングは「人間の無意識は個人的なものだけでなく普遍的なものがあり、夢に登場するものの一部は集合無意識下の元型である」と考えます。具体的にどのような内容なのか知りたいので学習してみました。
夢の基礎知識
言葉やイメージはその直接的・明確なイメージ以上のものを指す際に「象徴」として扱われる。例えば動物は普遍的な宗教的象徴として扱われる。人間は夢を見る際にこのような象徴を無意識的・自然発生的に創造する。
ユング心理学では、心には確かに未知の部位がありそれらは自然の一部であると考える。「意識できない、未知の心の部分」が無意識である。一方で、科学的には心の未知の部分・無意識にはどのような定義も与えることはできないという批判的な学説も紹介している。
個人的には、このような「心の未知の部分」はほぼ確実にある。夢では意識できない心の未知の部分が作り出したとした思えない現象や、奇妙な言語の連想が起こるからである。
ユング・フロイトの違い
ユング心理学とフロイト心理学の違いは、「より遠大な目的」の探求か、神経症的なコンプレックスの解消かという点にあるとユングは解説している。例えばフロイト心理学では「男が鍵を開ける」という夢は性行為の象徴であると見做し、それにまつわる自由連想や患者個人の男性・鍵・ドアに関する心的外傷やコンプレックスの発見を目指す。対してユング心理学では患者の見たイメージである男性・鍵という特定の形態そのものに注目する。
深層心理学とミソネイズム(新しいもの嫌い)
ユングは「無意識」を論じようとする深層心理学がかなり厳しく批判された過去に触れてそれらを新しい思想や考えに対するミソネイズム(新しいもの嫌い)であると批判している。個人的には、神経反射や睡眠中の意識できない寝返り・いびきと同様ほぼ確実に無意識というものは確実に「在る」と考えるようになった。
ミソネイズムが進化論や電磁気学に対して極めて非合理的な批判をした実例として、ユングは「人は猿から進化した」「電灯から電気が漏れる」というミソネイストの滑稽な風刺画をあげている。人間の心理には意識上の思想・信条や自分自身の生活世界を一変させるような変化・進歩を毛嫌いするという、生物としての本能が「無意識」に備わっているという良い実例だろう。
夢の分析 - 象徴の個別性と普遍性
ユングによると、夢や記号表現に登場する象徴には個別的なものと、文化圏や人類社会で共通の普遍のものがあるという。ユングは精神科医の生徒に「象徴についてできる限り勉強すること、その上で夢を分析する際にはそれを全て忘れてしまうこと」と教えているらしい。これは象徴の指す意味をできるだけ連想できるようにしておくとともに、それをフロイトのようにエディプスコンプレックス・小児欲動論などの決まりきった解釈に無理やり当て嵌めない事が重要だからである。
ユングはフロイトの催眠療法を批判していて、「精神医療は患者の症状を治した上でその人格の成長を支えなければならない」という持論を展開する。催眠療法のような患者を一時できに変性させる治療法では根本的な効果はないと見ているらしい。
「個人から離れて人類という抽象的な観念に向かえば向かうほど、我々は失敗に陥りやすくなる」
性格のタイプ論
ユングによると、とある人の性格を分析することは夢や無意識・神経症を分析するのにも有効であるという。ユングはまず大きな分類として内向的・外交的、さらに異なる軸の人格として、思考・直感・感情・感覚のうちどの能力を意識的に使うかを性格のタイプ分類に用いている。内向・外交が2つの対立になるのに対し、思考・直感・感情・感覚は円状の羅針盤の向く方向が切り替わるようにして作用するという。
夢の願望充足説・歪曲説への反論
ユングはフロイトの「すべての夢は願望充足を目指している」という説に反対している。夢には願望充足のような一様な目的によって生じるのではなく、それ自体が無意識がとっている自然な形であるという。
夢象徴における元型
ユングによると、夢はすべての人に共通の「元型」があるという。これらは渡り鳥の飛行やアリのフェロモンなどと同様、本能的に決まっているという。フロイトの「昼間の残留物」に対して、これを「大古の残留物」と読んでいる。神話と夢に共通するシチュエーション元型として、地獄や天国に行く・魔物や巨人に襲われる・小さな動物や水に入り込んでいく・星や惑星へ行く・流星が落ちてくる・世界の4隅に神や怪物が住んでいるというものを挙げている。
「楽園」幻想と無意識の元型
ユングによると、ファシストによるレーベンスラウムや共産主義者による統制経済社会を人々が熱望するのもエデンの園やバベルの塔といった「楽園」の元型を無意識に人々が追求しているからである。科学や国家のためという「こじつけ」をしておきながら、結局人間は往々にして幻想や無意識に支配されているものである。
予知夢
ユングは未知の科学が夢において予知が行われる理由を解明するのではないかと期待している。個人的には、アインシュタインの相対性理論や熱力学第二法則の発見は未来の予知など絶対にできないことをほぼ確実に証明しているように思える。
科学的に可能かは別として、「これはもしや予知夢か?」と個人的に思ったものがある。男が殺人の罪を告白するのだが、その際「27人の人を殺しました、女性や子供も、生活を支えようと優しくしてくれた人も皆殺してしまいました」と泣きながら懺悔する。「27人の誰かが、もしくは27という数字が何か関係のある日に恐ろしい事件が起こるのではないか?」と気がかりになっている。
無意識を忘却した現代人
ユングは心の全体は意識できる心の総体であり、それ以上の何かではないという現代人の科学至上主義を批判している。同じ理由で、キリスト教徒や仏教徒の聖書や八聖道を信じさえすればいいという宗教的な思考停止も批判している。科学至上主義も宗教原理主義も、どちらも個人の無意識を無視して抑圧する思想だからである。同じ理由で、無意識の源泉は主に性欲や小児欲動であるとするフロイトの心理学をもユングは非難する。
ユングによると、無意識は男性と女性・善や悪・光と闇、これらの対立する2軸を含んだ中性的なものであるという。
人々は積極的に夢や無意識に意義を認め、個人個人がそれらに向き合うべきであるとユングは考える。現代人がそれをする機会があるとすれば、瞑想やアウトドアに励んだり夢日記を毎日習慣的につけてみることだろう。