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『共鳴する部品表 BOMが起こす組織再生ドラマ 第十二章』
第十二章:繋ぐ意志
東都精密工業は「選択と集中」という大胆なスローガンを掲げ、EV向け部品の量産化に全力コミットする方針を打ち出した。社内ではBOM導入を核にした改革がさらに加速し、不採算部門や旧来の受注案件を整理する動きが始まっている。しかし、その過程で大きな痛みが伴うのも事実だった。
とある朝礼で、社長の黒岩は従業員たちにこう告げる。「諸君もご存じのとおり、我々はEVという新時代の波に乗るために、あえて苦しい決断をしています。古くから支えてくれた顧客との契約を一部終了し、老朽化したラインを閉鎖して、新たなラインを立ち上げる。もしかすると、これらの変化に戸惑う人も多いでしょう。しかし、どうか信じてほしい。もし我々がここで変わらなければ、数年後には会社そのものが立ち行かなくなる。それを避けるために、今こそ皆で力を合わせて“次の一歩”を踏み出す時だと考えています。私や役員たちが手探りで進めるこの改革は、決して独りよがりではありません。BOM導入の成功例が示しているとおり、私たちの会社にはまだ“変われる力”がある。どうか皆さん、力を貸してください。痛みを伴う改革ではありますが、必ずや未来を切り拓くと信じています」社員たちは暗い面持ちの者も多いが、社長の声にじっと耳を傾ける。かつてのような諦めムードは薄れ、「このままではいけない」「変わらなければ」と皆が感じているのだ。
工場では、EV部品の量産に向けた「新ライン」の準備が本格化した。従来の生産設備を一部流用しつつ、治具や加工機械を大幅に刷新し、BOMに連動した生産管理システムでラインを統合する壮大な計画だ。工場長の松尾は、これまで組立や加工で経験を積んだベテランたちと、CAD/CAMに精通した若手エンジニアを混成チームに組み込み、“アナログとデジタル”の融合を目指している。
「いいか、ここでは人間の職人技も必要だが、BOMを通じて誰が作業してもミスが少なくなる仕組みを整えるんだ。お前たち熟練者は、若手にノウハウを教えるだけじゃなく、BOMシステムにそのノウハウを書き込んで共有してほしい。若手は若手で、ITや自動化の知見を提供して、ベテランを助けろ。そうやって、どちらも単なる“労働者”ではなく、“考えて動く技術者”になってくれ」
職人たちは最初こそ戸惑いを見せるが、試作プロジェクトの“修羅場”を経て「意外と使えるじゃないか」と思い始めたBOMの魅力を認めていた。若手もベテランの知恵に驚きつつ、ITが当たり前の世代ならではの速度で、新ラインの設計を手伝っている。
一方、下請け工場との協力体制も加速した。BOMポータルを活用できる企業だけが優先的に受注を得る仕組みになっており、そこに乗れない企業は事実上“切り捨て”られる形になるという厳しさもあったが、そのぶん連携する企業は深いパートナーシップを築き始めている。
設計部では、橋本と横井が中心となり、エレクトロモビリティ社からの新たな仕様要望に対応するための再設計に着手していた。試作プロジェクトでは高評価を得たものの、量産化に向けてはさらなるコストダウンと加工性向上が求められている。
「今度はモジュール構造を少し変えて、共通部品を増やせば加工負荷を減らせるかもしれません」横井がCAD画面を見つめながら言うと、橋本は隣でBOM画面の部品表を確認する。
「共通部品化のメリットは大きいけど、強度や熱処理の条件を下げすぎると性能が落ちる。そこは薮下部長にも相談しながら詰めよう。BOMには仮登録して、購買と工場側にも早めに情報を渡しておきたい」
こうしたやり取りが軽快に進むのも、BOM導入により設計・生産管理・購買・倉庫が同じデータをリアルタイムで閲覧できる環境が整いつつあるからだ。橋本はふと、数ヶ月前まで“紙の図面”と“個人の記憶”に頼っていたころを思い出し、苦笑をこぼす。
「本当に変わったよな、ウチの会社……。俺もここで残る決断をしてよかったのかもしれない」
「僕も同感です。もうグダグダの状態には戻れないですよね。次は、量産で“本当の成果”を出したいですね」と横井も笑い返した。そこで横井が思い出したように言葉を継ぐ。
「そういえば……モジュール構造の話、佐伯さんにも意見を聞いてみたいですよね。昔から“共通化”には熱心でしたし、アイデアも豊富だったし」
橋本は少し肩をすくめ、「そうなんだよな。彼なら“ここを統一すれば製造ラインがもっと楽になる”とか、いろいろ提案してきそう。でも、最近まったく顔見ないな……」と口にする。
「うん。どうしてるんでしょうか? たしか同時期に入社して、最初は一緒に新製品開発もやってましたよね」
「実は、佐伯さん、今は旧ラインのトラブル対応に借り出されてるらしいよ。内燃機関向けの大口顧客案件がまだ切れなくて、そっちはそっちで設計変更が頻発して修羅場みたいなんだとか。社内としては“選択と集中”でそこもいずれ整理したいんだけど、簡単に契約打ち切りにはできないらしくて」
横井は眉を下げつつ、「なるほど……そっちも別の戦場なんですね。会社全体でBOM改革を進めたいのに、既存案件もぎりぎりまで対応しなきゃいけないわけか」と納得したように頷く。橋本は苦笑する。
「いろいろ大変みたい。でも、旧ラインが落ち着いたら合流してくれるって話だよ。佐伯さん、共通化とかモジュール化のアイデアけっこう持ってたし、合流したらさらに面白くなりそうだな」
「そうですね。BOMは“全社連携”が鍵だし、佐伯さんの経験が大いに役立つはず。落ち着いたら、一緒に新製品のほうもガンガン回していきたいですね」そう言い合いながら、二人は画面を覗き込み、CAD上でのモジュール構造の最適化を続けていく。この数ヶ月で急激に変わった会社の姿を思えば、やがて佐伯も合流して、より強固な設計チームが出来上がる――そんな期待が静かに膨らんでいた。
さらに、薮下がかつて大事に抱えていた“薮下ノート”がついにデータベース化され始めている。IT担当の井上が音頭を取り、ノートに書かれている設計ノウハウやトラブルシューティングを体系的に整理し、BOMの拡張機能としてアクセスできるようにしたのだ。たとえば「特定の材質を用いるときの注意点」「旧型工具を流用する場合の公差調整」「特定の仕上げ工程での温度管理」など、熟練者の“経験知”をキーワード検索で素早く参照できる仕組みだ。
ある日、橋本が新しい設計プランで悩んでいると、井上が声をかける。
「橋本さん、薮下ノートDBに“類似ケース”が登録されていますよ。合金の選定基準とか、やけに細かいコメントがあるんですけど……これ使えません?」
「本当だ。部長、こんなの書いてたんですね。助かるなあ……。これで試行錯誤の回数が一気に減りますよ」
薮下は照れ隠しに咳払いしながら言う。
「そりゃ、若いころからいろいろやってきたからな。まあ、実際に使いこなすのはおまえらのほうが上手いだろうが」こうして、“職人芸”と“デジタル化”が融合を深め、設計部がさらなる進化を遂げつつあった。
一方、社長の黒岩と経理部長の小林、佐野は、ふたたびメインバンクとの交渉の場に臨んでいた。今回は、コンサルタントの千葉も同席し、先日まとめた「選択と集中」の具体的な改革案をプレゼンする。
「当社は不採算部門を大幅に縮小し、EV向けに人材と資源を集中させる方針です。これにより、従来より低下していた利益率を改善し、量産ラインの立ち上げとともにEV関連売上を倍増させる見込みです。下請け企業への支援も、BOMポータルを活用できるパートナーに限定し、集中投資することで混乱を最小限に抑えています。今回ご用意した事業計画書をご覧いただければ、投資のリスクとリターンの全体像を把握できるはずです」
銀行側の担当役員は真剣な表情で資料をめくり、質問を続ける。
「なるほど、ずいぶん思い切ったリストラ策ですね。“選択と集中”により、従来ラインを大幅に削減するとなると社内の反発もあるでしょうが……想定のコスト削減はかなり大きい。EV分野での拡張が計画どおりいけば、投資は回収できる見込みがありそうだ」小林も続ける。
「はい、キャッシュフローの試算においては、エレクトロモビリティ社からの受注が確定すれば融資返済のメドは立ちます。もちろん、受注が取れなかった場合のリスクもありますが、今回はBOM導入での実績や試作プロジェクトの好評価が裏付けになります」
担当役員は深くうなずき、「以前よりも具体的ですね。正直、まだ不安は残りますが、ここまで踏み込んだ改革案を出してくるなら、われわれとしても再度、前向きに融資を検討せざるを得ない。最終判断にはもう少し時間が必要ですが、光明が見えてきたと思います」そう述べ、今度は穏やかな笑みを浮かべてみせた。黒岩は胸をなでおろす。いよいよ金融面での突破口も、見え始めたのかもしれない。
しかし、新しい道が開ける一方で、営業部では苦しい表情のベテラン社員が目立つ。かつては長年の付き合いで回っていた安定受注が、今回の「選択と集中」方針で撤退対象になってしまったからだ。
「お宅とは何十年も一緒にやってきたじゃないか。今さら契約打ち切りだなんて、どういうことだよ!」ベテラン営業マンの杉山は、長い付き合いのある中小メーカーから怒鳴り声を浴び、何度も頭を下げている。
「すみません、本当に申し訳ありません。社内の方針転換で、EV向けに生産体制を集中せざるを得ないんです……。もちろん、いきなり全部切り捨てるわけではなく、少しずつ縮小していく形で……」
「ふざけるな! そっちの都合だけで散々……」怒号が電話越しに響く。杉山はなんとか謝罪で応じるしかない。同僚の営業マンも似たような苦労を重ねており、社内には「これで本当にいいのか」というモヤモヤが蔓延する。だが、“選択と集中”は既に経営トップが決断し、突き進む方針となった。営業部のベテランが泣こうが喚こうが、会社全体の方向は変わらない。それが組織としての残酷な現実でもある。
営業部内の不満が高まる中、若手取締役の佐野は急遽、部署のミーティングを開いた。そこで、感情的になっているベテラン営業マンたちに丁寧に説明する。
「私も、長年の顧客を簡単に手放すのはつらいと理解しています。でも、今のままでは会社がどんどん利益を失っていき、いずれはもっと悲惨なリストラになりかねない。EVに賭けるのは社長だけの思いつきではなく、社内みんなが必死に作ってきたシナリオなんです。営業部の皆さんには、その苦しい役回りを担っていただく形になり、胸が痛いですが……ご理解いただきたい。それに、EV分野で成功を収めれば、将来的に新たな顧客開拓の余地も広がるはずです」
「わかってるよ……。だが俺はもう十年以上、同じ取引先と付き合ってきた。それを『うちの都合でごめんなさい』って切り捨てるなんて、あまりにも不義理じゃないか……」杉山は唇を噛みながら言う。
「すべてを切るわけではありません。ある程度の時間をかけてソフトランディングさせる。どうかそこを説得していただきたいんです。私たちも最大限フォローに回りますから」
社内の空気は重いが、もう後戻りはできない。営業マンたちはやるせない思いを抱えつつも、会社の大方針に従うしかないと覚悟を決め始めていた。
そんな中、エレクトロモビリティ社から「二週間後に、量産体制の最終審査を行いたい」という連絡が入る。EV部品の試作品やデータ検証は高評価だったものの、実際に量産へ移行できるかを現場で直接確認したいという意向だ。
「予定より早いな……。おそらく競合他社の動きもあって、ウチの対応スピードを見極めようとしているんだろう」佐野がそう言うと、橋本は焦りの色を浮かべる。
「二週間じゃ、まだ新ラインが完成してないし、下請けの統合も途中ですよ。どう見せればいいんですか?」
「完璧じゃなくても、どれだけ本気で取り組んでいるか、そこを評価されると思う。BOMで全体を可視化している姿勢や、サプライチェーン改革の進捗をしっかりアピールしよう」社内は再び緊急モードに突入。松尾や薮下も、二週間後の現場審査に向けて、ギリギリまで改革の手を打ち続けることとなる。
この最終審査に際して、下請け工場の大和製作所がキープレイヤーとなりつつあった。大和製作所は小規模ながら高い金属加工技術を持ち、BOMポータルの導入にも前向きだった。何より、EV部品の特殊な加工依頼にも柔軟に対応できる若い職人が増えているという強みがあった。
生産管理の永井は大和製作所を訪れ、専務や現場リーダーと打ち合わせを重ねる。「お願いしたいのは、従来の分業を見直し、試作段階から仕上げ工程まで一貫して対応してほしいんです。そのぶん、当社からも加工ノウハウや治具の提供を惜しみません」
専務は腕を組んで思案する。「うちとしても、EV部品で踏み出せるなら大きなビジネスチャンスだ。BOMポータルはそこそこ使いこなせるようになってきたし、若手も意欲的だよ。やってみるか……」
こうして、東都精密工業が持つBOMによる設計・生産情報と、大和製作所が持つ高精度加工力が結びつく形で、新ラインの外注パートが加速していく。これが上手く回れば、エレクトロモビリティ社の審査で「強固なサプライチェーンがある」とアピールできるはずだ。
エレクトロモビリティ社の最終審査を前に、工場のベテラン勢や営業部のベテランたちが、ひそかに話し合いの場を設けていた。みんなそれぞれ不満や苦労を抱えながらも、「会社がこれほど本気で変わろうとしているなら、やれるだけのことはやってみよう」と腹を括り始めている。
「俺たちの仕事が減るかもしれないが、会社が潰れるよりはマシだ」
「これだけ必死にBOMやデジタル化をやってる若手を見ると、捨てたもんじゃないと思うよ。昔は“新人は背中で見て覚えろ”だったけど、今は一緒に画面を見ながら学んでる感じだな」
そんな会話が交わされるなか、工場長の松尾がやって来ると、ベテランたちは一様に頭を下げる。
「工場長、俺たち、やりますよ。最後まで付き合います。若手に全部任せきりじゃ寂しいからな」
松尾は目を潤ませつつ、力強くうなずく。
「ああ、頼むぞ。選択と集中なんて寂しい言葉だが……、でも、これで生まれ変わった会社に、きっとまた新しい道が広がるはずだ」
東都精密工業は今、社内外の多様なステークホルダーを一本の紐で繋ぎ直し、新しい企業価値を生み出そうとしていた。BOMで情報を繋ぎ、若手とベテランの技術を繋ぎ、さらには従来顧客からEV顧客へ――大きな転換点を迎え、痛みを伴いつつも意志を繋いでいく。
―経営陣は「選択と集中」のリスクを踏まえながら、投資計画とEV量産ラインを急ピッチで進める。
―設計部はBOM+薮下ノートDBで新しい設計手法を確立しつつある。
―生産管理・購買・ITはサプライチェーン連携を強化し、下請けと「デジタルな協同作業」の習慣を築き始める。
―工場はベテランと若手が協力し、EV用の新ラインを形にしていく。
―営業は苦渋の決断で従来顧客を縮小しつつ、新規EV案件に希望を抱く。
こうした“繋ぐ意志”こそ、東都精密工業が進化するための要だ。かつてはバラバラだったデータや人材がBOMによって結びつき、企業として一本の方向を向き始めていた。
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