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『共鳴する部品表 BOMが起こす組織再生ドラマ 第四章』
第四章:抵抗勢力との攻防
東都精密工業で「BOM導入プロジェクトチーム」が正式に発足してから、すでに一か月以上が経過した。
メンバーは若手取締役の佐野をリーダーに、設計部から横井、生産管理の永井、購買の林、倉庫管理の田代、そしてIT担当の井上。さらにアドバイザーとしてコンサルタントの千葉修二が関わっている。チームとしては、まず業務フローを「可視化」しながら、小規模ラインからBOMを試験導入してみる──という段取りで進めているが、すでに早々と壁にぶつかっていた。
「どうも、設計部門が非協力的なんですよ」昼休み、チームのメンバーが集まった会議室で、永井が眉間にしわを寄せながら愚痴をこぼす。
「設計部長の薮下さん、表向きは“わかったわかった”って言うんですけどね、肝心の図面管理とか品番整理の作業を、ろくに進めてくれないんです」
「分かる。横井くん自身も手伝ってくれてはいるんだけど、薮下さんが動かないと、設計部全体の協力が得られないんだよね」佐野が同調してため息をつく。
一方、横井は苦い顔のままテーブルを見つめている。
「僕は部長に“うちもBOM導入に乗り気です”って何度も言ってるんですけど、どうもピンときてないみたいで……。薮下さんは、職人気質なんですよ。細かい標準化やデータ登録が柔軟性を奪うと思ってるんだと思います」
「柔軟性ね……それが逆に、設計変更時の混乱を引き起こしてるわけだけど」田代が肩をすくめる。
そんなメンバーのやり取りを聞きながら、千葉は静かにメモを取りつつ口を開く。
「薮下部長は、私がヒアリングしたときも“現場で対応すれば済むことを、いちいちシステム化すると面倒だ”という趣旨の発言をしていました。確かに、個人の頭の中で完結してしまうノウハウも多いようです。ですが、それだと会社全体の仕組みにならない」
「要は、薮下さんとしては、自分の設計ノウハウを『外部から横やりを入れられる』と思っているんじゃないかと……」井上が控えめに補足する。
薮下がBOM導入に否定的な根底には、「会社のやり方を変えると、自分の長年の実績やアイデンティティが否定されるのでは?」という恐れがあるのではないか──というわけだ。
佐野は苦々しい表情でうなずいた。
「誰も薮下部長の技術を否定するつもりはないんだけど、あの人がそう思い込んでしまったら説得は容易じゃないよね」
「でも、設計部門に協力してもらえないと、BOMなんて半分も機能しないんだから」永井が声を張り上げる。
部品表は、まず設計部門が“どの部品を使い、どのように構成されるのか”を明確に定義してこそ価値が生まれる。ここが曖昧なままでは、購買・生産管理・倉庫がいくら頑張っても意味がない。林は苦い表情で言葉を探す。
「じゃあ、いま設計部長との連携がいちばんの難関というわけですね……」
「そうだろうな。あの人が動かなきゃ、設計部全体が動かないし」と佐野がうなずく。
翌日、佐野と千葉は連れ立って設計部長の薮下を訪ねた。午後イチの打ち合わせ予約を取っていたものの、薮下の部長室の扉をノックしても、ややぶっきらぼうな声が返ってくるだけだった。
「おう、入ってくれ」
そこには大きなデスクがあり、その周囲を取り囲むように書棚やファイルラックが配置されている。古めかしい紙の図面がずらりと並ぶさまは、まるで小さな図書館のようだ。薮下は椅子にもたれながら、モニターに映ったCADデータをチェックしているらしく、どこか不機嫌そうな面持ちだった。
「お忙しいところ失礼します。プロジェクトリーダーの佐野です。こちら、コンサルタントの千葉さんもご一緒です」佐野が頭を下げると、薮下はぎこちなく「どうも」と返す。
「先日お伝えしたBOM導入の件で、設計部の協力が不可欠なので、改めてお話を伺いたいと思いまして」佐野が切り出すと、薮下のまぶたがピクリと動く。
「協力ね……まぁ、うちの横井を会議に参加させてるんだから、それでいいんじゃないのか。そうそう、今日だって横井は客先打ち合わせだよ。新製品の形状変更があってな」
「ああ、その件は横井さんから報告をもらっています。カタログ規格外の特殊仕様ですね」千葉がすかさずフォローする。
すると薮下は、やや驚いたように眉を上げた。
「……そこまで聞いてるのか。まあ、あんたが噂のコンサルさんか。正直言ってね、私はあんたたちのやり方をすんなり受け入れるつもりはないよ」向かい合う椅子に腰を下ろした佐野は、軽く息をのむ。ここまでハッキリと拒絶姿勢を示されると、やはり困ってしまう。
「もちろん、すべての仕事を一夜でBOMに載せられるとは思っていません。ただ、現状はあまりにも部品情報が統一されていない。設計変更が伝わらず、生産ラインや倉庫が混乱しているのは薮下さんもご存じのはずです」
「まぁな。だが、それならもっと設計と生産管理・購買の連携を強化すればいいだけだろう。私は昔からそうやってきた」薮下はあくまでも「現場同士の連携」で事足りると考えているらしい。
しかし、そのやり方が通用していたのは、社内に今ほどの離職や世代交代が起きる前の話だ。
「私どもは、現場の連携を否定するつもりはありません。むしろ、設計部さんが長年培ってきたノウハウを、会社全体で共有する形に進化させたいんです。今のように口頭や個人の判断に頼る方法では、人が変わったら再現できませんし、トラブルが起きたときの原因追及も難しい」千葉が言葉を選んで話すと、薮下は苦い顔で机をトントンと叩いた。
「ふん、確かにうちの若いのは、昔ほど現場で学ぼうなんて気概がないのかもしれんな……。だが、だからってすべてをデジタル化して、設計の自由度が奪われるのはごめんだ」
佐野は一瞬、反論したい気持ちに駆られたが、まずは薮下の本音を聞き出すことを優先する。
「設計の自由度を奪うつもりはありません。むしろ、設計変更をスピーディに共有できる仕組みがあれば、余計なコミュニケーションミスが減り、設計部門が本来やるべき仕事、つまり創造的な設計に集中できるはずです」
「口で言うのは簡単だがな……」薮下は視線を落とし、何か思い悩むような様子を見せる。
しばし沈黙が流れる。外からは図面を扱う音や、何人かの設計者が打ち合わせをするざわめきが聞こえてくる。
「私らが数十年かけて覚えた職人のカンや経験は、BOMなんてシステムに落としきれない部分がある。その価値が分かるか?」薮下がぽつりと言うと、千葉はうなずきながら応じた。
「もちろん分かります。私もITが万能とは思いません。ただし、いま起きている問題の多くは、“属人的なノウハウが共有されない”ところから発生しています。そこを多少なりともルール化できれば、社内全体の効率は確実に上がります」
「要は妥協点を探ろうってわけか。……まぁ、嫌だ嫌だと言っても、社長や佐野さんが進めるんだろうからな。それに完全反対したら、俺が保守的な人間だと批判されるだけだろう」
「そんなことは……」佐野が口を開きかけると、薮下は片手を上げて制する。
「わかったよ、少し考えさせてくれ。横井には今後もチーム活動に協力させるし、俺も必要な情報は出す。だが本格的に設計のルールを変えるって話になったら、ちゃんと説明してくれよ。“メリット”がどれだけ現実的なのかを」
「もちろんです。具体的な例を示せるようにします」そう言って佐野が頭を下げると、薮下は再びCAD画面に目を戻し、話は終わりだというように手を振った。──プロジェクトチームとしては、一応の一歩前進かもしれない。しかし、薮下がこのまま素直に協力してくれるかどうかは分からない。佐野と千葉は、背筋に冷たい汗を感じながら部長室を後にした。
設計部門の抵抗は根強いものの、プロジェクトチームは既に取り組んでいる「小規模ラインでのBOM導入」をさらに拡大していく方針を固めた。具体的には、比較的構成が単純な製品や、受注頻度が安定している製品から順次BOMを整備し、部品番号や在庫情報をシステム上で管理していく。すでに一部のラインでは、明らかに工程の混乱が減り、ムダな在庫も削減できているという報告が上がり始めていた。
IT担当の井上は、工程データや品番データを集約する試験システムを構築し、サーバー上で運用を始める。複数部門が同時にアクセスできるように設定したWeb画面には、部品の基本情報や在庫数、最終更新日時が一覧表示される仕様だ。
「このシステム、意外と使いやすいじゃない」工場長の松尾が画面を覗き込んで感心する。
「たとえば、部品Aを組み付ける製品がどれなのか、いくつ必要なのかが一目で分かる。設計変更があったらアラートが出るから、誰がいつ更新したかも追跡できる」もちろん、まだテスト運用であり、すべての製品に適用しているわけではない。しかし、これまでは現場の作業者が「どこに何があるか分からない」と走り回っていた時間が、かなり減ったのは事実だ。
「これが全社展開できたらすごいことになりますね」田代が倉庫の一角でうれしそうに言うと、林(購買担当)も笑顔を見せる。
「現場が混乱しなくなるし、購買としても余剰在庫を抱えなくて済む。もっと早くやれば良かったのに……と思うくらいだわ」
だが、その一方で、設計上の情報がまだ共有されていない部分は更新が追いつかない。購買が「どこか別の既存部品で代替できないのか」と問い合わせても、設計図が曖昧なままでは回答が得られない。結局は口頭で確認しなければいけない場面が多く、改革は半ばで止まっている。
ある日の午前、工場の組立ラインから「部品が足りない」という緊急連絡が入った。もともとBOM試験導入ラインではない、複雑な製品を扱うセクションだ。
「なんで在庫がなくなったんだ!? 先週、購買に追加発注を依頼しただろう!」組立リーダーが怒鳴る。購買担当に伝えたはずの発注依頼が、どうやら別の伝票番号で管理されており、一部未処理のままになっていた。
慌てて調べてみると、その製品は設計変更が何度も入っており、必要とされる部品の品番が本来と異なっていたことが判明する。しかも、口頭で伝えていた情報とシステムのマスターが食い違っていたため、購買担当が正しい品番を認識できなかったのだ。
プロジェクトチームの永井が現場を確認し、頭を抱える。「こういうことがあるから、BOMをきちんと整備しなきゃいけないのに……。まだ未導入のラインは、相変わらずトラブル続きだ」
「納期に影響は?」佐野が心配そうに尋ねると、永井は首を横に振る。
「ギリギリセーフかもしれないけど、外注先に特急で部品を作ってもらう必要がある。コストがかさむし、信頼も落ちる」
この一件で、いまだにBOM整備を拒みがちな設計部門や、一部管理職の「システム化なんて形式だけだろう」という主張がいかに危ういかが、改めて社内に示された。──しかし、だからといってすぐに“わかりました”と協力してくれるような柔軟な人たちばかりでもない。プロジェクトチームの苦闘は続く。
そんな社内がバタバタしている頃、営業部門のほうでも不穏な動きがあった。競合他社が「同じ製品ジャンルで、かなり低コスト・短納期な提案をしている」という情報が顧客筋から入り始めているのだ。東都精密工業が長らく取引してきた大手自動車部品メーカーが、海外のサプライヤーとも積極的に連携しているという噂だ。今後、従来の受注量が減らされるリスクが高い──そうなれば、会社の売上全体が大きく落ち込むことになる。
「どうするんですか、このままじゃまずいですよ」若手営業マンの一人が、部長に詰め寄るが、部長も歯ぎしりするばかりだ。
「わかってる。だがな、うちはコスト競争力が弱まってるのは事実なんだ。何より、納期が遅れ気味だというクレームが一番痛い。これを解消しない限り、競合他社に奪われるぞ」
営業部門としても、BOM導入による業務改善には期待を持っている。もし設計や生産管理、購買がしっかり連携し、在庫リスクを減らして短納期生産ができるようになれば、顧客への提案も強気でできるはずだ。
ただ問題は、いつその体制が整うのか、目処がまったく立たないことである。現状、BOM導入には賛否が渦巻いており、スピード感をもって進んでいるとは言い難い。
この事態を憂慮した社長・黒岩隆司は、役員会で声を荒らげた。
「みなさん、営業からの報告は聞いたでしょう。もし当社がこのまま納期とコストの両面で改善を果たせないなら、主要顧客を失う危機にある。BOM導入を決めたのに、いまだに現場で揉めているのはどういうことですか?」視線が大塚など古参の取締役に向けられるが、彼らも表情を曇らせるだけだ。
「現場には現場の事情があるでしょう。あまりにも急ぎすぎると混乱が増すとも聞く」大塚はぼそりと弁明するが、黒岩は一刀両断に否定する。
「混乱はすでに起きている。これを解消しなければ、いずれ会社が潰れる可能性すらある。もちろん、私も無茶なスケジュールでやれと言う気はないが、少なくとも“やり抜く”覚悟がなければ何も変わりません」厳しい口調に、役員会には重苦しい沈黙が漂う。
その空気を割るように、若手取締役の佐野が力強く答える。「我々プロジェクトチームは、すでに成果を出しているラインがあることを報告します。そちらは納期遅れや在庫過多のトラブルが激減しました。問題は、設計部門や一部古参の方々が協力してくれないことで、全社的な拡大が進まないことです。ですが、あくまで話し合いを続け、早急に進めたいと考えています」黒岩は満足げにうなずく。
「そうか。ならば、私からも設計部長の薮下君に直接話をしよう。彼は優秀な人間だ。理屈をしっかり示せば納得してくれるはずだ。とにかく、急いでくれよ、時間がない」
このあと、黒岩は千葉とも個別に打ち合わせを行い、「社長としてできるサポートは惜しまない」と明言した。トップダウンによる圧力が功を奏すかどうかは分からないが、少なくとも会社の危機感だけは共有されつつあった。
数日後、薮下は社長室に呼び出された。普段は気さくな黒岩だが、今回は相当怒りをこらえているらしく、淡々とした口調でこう切り出す。
「薮下君、君がBOM導入に懐疑的なのは聞いている。だが、ここまで社内が疲弊しているのに、なぜもっと協力してくれないんだ?」
「いえ、私は反対しているわけでは……。ただ、現場を知らないコンサルが机上の空論で押しつけてきても、それが本当にうまくいくかどうか……」
「現場を知らないわけではないぞ、千葉さんは各部署を丹念に回ってヒアリングしてる。そもそも君こそ、現場の若手とどれだけ対話している? 個人技で凌いできた時代は終わりだ。設計部門が変わらなければ、この会社は変わらないんだよ」
黒岩の厳しい言葉に、薮下は唇を噛む。古くからの付き合いである社長にそうまで言われると、さすがに動揺を隠せない。しかし、薮下もまた「自分のやり方を否定された」という被害意識から逃れられないでいる。自分は何十年も、この会社の技術力を支えてきた。それを一言で「属人化」と片付けられるのは耐えがたいのだ。
「わかりました。私も、もう少し前向きに考えます」そう言うのがやっとだった。黒岩は「頼むぞ」とだけ言って、その場は終わりになる。
その夜、薮下は自宅で図面ファイルを眺めながら一人考え込んでいた。(本当にBOMなんて導入すれば、すべてうまくいくのか? 俺が知ってる“現場”は、そんなに単純じゃないんだが……)心の中には葛藤が渦巻く。会社のために自分がしてきた努力が、今や障害として扱われているように思えてならない。しかし、同時に、ここ数年のトラブルの頻発や若手との意識の乖離を思い返すと、「このままではいけない」という危機感も拭えない。薮下自身が立ち止まっていたのは事実なのだ。
そんな折、社内にさらなる火種が生まれた。設計部の中堅社員である橋本が、他社へ転職を検討しているという噂が流れたのだ。橋本は社内でも優秀なエンジニアとして知られ、複雑な新規設計案件をいくつもこなしてきた。それだけに、彼の転職話は設計部にとって一大事だった。
「なんでも、ウチより規模の大きい会社からヘッドハントを受けているらしい。給料も良いし、最新の開発環境が整ってるんだってさ」横井は複雑そうに同僚に漏らす。
「橋本さんがいなくなったら、設計部は誰がその案件を回せるんだ……?」
実は、橋本が担当する製品ラインも、BOM非対応だった。なぜならば、「ベテランエンジニアが個人で管理しているカスタム設計」だからである。これが転職により橋本ごとノウハウが抜けたら、会社として大きな損失になりかねない。薮下は焦りを覚える。(やはり、個人の頭の中にノウハウを貯めすぎるのは、リスクが大きい……)だからといって、即BOM導入に飛びつくのは、薮下のプライドが許さない。だが、自分の部下たちが次々と流出していく未来は、さすがに耐え難い。
「橋本、お前、本当に出ていくのか?」薮下が声をかけても、橋本は「考え中です」とだけ答える。
悩みは尽きない。会社全体はBOM導入を急げと声を上げる。社長からもきつく言われた。優秀な部下が流出する危機もある。薮下は初めて、自分が頑固に意地を張り続ければ、会社が取り返しのつかない事態に陥るかもしれないと痛感し始めた。
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![滝崎 浩正(たっきー)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169153594/profile_4ea1d900c5e40fe9827de68c6cb9c965.png?width=600&crop=1:1,smart)