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映画「ジョゼと虎と魚たち」から考える~刹那とか責任とか覚悟とか~

公開 2003年
監督 犬童一心
原作 田辺聖子
出演 池脇千鶴 妻夫木聡 上野樹里

大学生の恒夫(妻夫木)は、一見爽やかな好青年だが、同じ大学の香苗(上野)と付き合いながら別のセフレもいて、チャラいキャンパスライフを送っていた。そんなある日、雀荘のバイトからの帰り道、乳母車に乗って祖母と散歩するのが日課の自称・ジョゼこと、くみ子(池脇)と知り合う。くみ子は足が悪いというハンディキャップを背負っていたが、自分の世界を持つユーモラスで知的な女の子だった。そんな彼女に恒夫はどんどん引かれていき、くみ子も心を許すが、ふたりの関係は永遠ではなかった。
(アマゾン商品紹介より)

2度目の鑑賞です。
前回観たとき(たぶん2005年ごろ30代半ばだったかな)すごい良かった印象があるんですけど、今回、見返してみて、「あれ?」と思ってしまいました。
 とにかくブッキー演じる恒夫がチャラい。
もちろんそういう役どころで、一昔前のリア充大学生というのでしょうか。
前回観たときもチャラい薄っぺらい奴と思って観てましたけど・・・
以前にもまして感覚としてなんか愛せない、観ていてイライラして
温かく見守れないのでした。
なんだろう・・僕がオヤジになったのかな・・。

池脇千鶴が演じるジョゼのキャラクターも
前回はこの作品の最大の魅力だと思ったのですが・・・。
下半身麻痺の障害を持ち、一緒に暮らす祖母からは「障害は恥」「身の程をわきまえて家の中でこっそり生きろ」と言われ、それを受け入れて生きてきたジョゼ。
押し入れの中でゴミ捨て場から拾ってきた本を読むのが唯一、彼女の世界だった、という設定は面白く、かなり隔たってはいるものの知的教養もあり。
かと思えば
独特の関西弁で障害を逆手にとって卑屈でわがままな言動をとったり。
池脇千鶴の演技力とあわさって強烈な個性を放つ人間が出来上がってはいるのですが。
どうも、愛を知らないで育ったせいか、本質的な思いやりにかけているような感じが気になり、ジョゼのほうも現在の僕的には好きになれず・・・。

もちろんそれは監督の意図的な仕掛けなのでしょう。
これは「青春のほろ苦さ、すれ違い」を描いているのでしょうから。
そんな二人の青春のほろ苦さが、もっとも印象的だったのは
恒夫の両親にジョゼを紹介しようと、大阪から博多の実家へ、
友達の車を借りて出かた時のワンシーンです。

~~以下ネタバレあり。未見の方はご注意ください~~

途中休憩に入ったドライブインでトイレに行こうとジョゼをおんぶしながら、
「車いす買おうよ」と恒夫が言うと
ジョゼは
「いやや。車いすなんかなくてもかまへん。あんたがおんぶしてくれたらすむがな」
と言われます。
この時、恒夫はきっと・・ジョゼの人生までは背負えない・・
と思ってしまったのでしょう。
(投稿した画像のシーンです。ブッキーの顔。本気で嫌そうでしょ?)
ジョゼがトイレに入っている隙に「やっぱり行けなくなった」と実家に電話をかけます。
ジョゼはそれは知りませんが、恒夫の雰囲気から感じるものがあったのか
車に戻り、しばらく黙り込んでから、唐突に「海へ行け」といいます。
それで、結局二人は恒夫の実家のある博多にはいかず、
その場の思い付きでどこかの海へ行き、ラブホに泊まって帰ります。

その後数か月付き合って別れるという話です。

ほろ苦い恋の話です。
恋をしてHして、でも結婚とか将来とか意識すると途端に尻込みして
なんの覚悟も責任も背負いたくないという感じを痛切に描いているように思えました。

本能に身を任せ刹那的な恋に生きるか・・
思いやりと責任をもって生涯を共に生きる覚悟をするか・・
どっちがいいとかわるいとかは言えません。
ここ最近また瞬間瞬間の気持ちを大事に生きることもいいなあと思い始めたり。
普段はそんなに面白くもなく水や空気のような関係でも、
本当に大変な時に支えあえる関係がやっぱり大切かな。
と、思ったりもして。
僕の現在のパートナーとの関係性は後者ですが、
この映画でのジョゼと恒夫は前者だったのでしょう。

あれほど車いすを買うことを拒んでいたジョゼが
電動車いすで一人颯爽と走っていく姿を映したラストシーンに、
監督なりのメッセージがある気がします。
ほろ苦ですが決して悪くない、むしろ爽快な余韻が残りました。

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