「愛を読むひと」映画感想
製作 2008年 米 独
監督 スティーブンダルドリー
出演 ケイトウィンスレット
レイフファインズ
デビッドクロス
あらすじ
1958 年のドイツ。15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)は気分の悪くなったところを21歳年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)に助けられたことから、二人はベッドを共にするようになる。やがて、ハンナはマイケルに本の朗読を頼むようになりマイケルの想いは深まっていくが、ある日、彼女は突然マイケルの前から姿を消す。数年後、法学専攻の大学生になったマイケルは、ハンナと法廷で再会する。彼女は戦時中の罪に問われ、ある秘密を隠し通したために窮地に追いやられ、無期懲役の判決を受けるのだった。時は流れ、結婚と離婚も経験したマイケル(レイフ・ファインズ)は、ハンナの最後の“朗読者”になろうと決心し、彼女の服役する刑務所に物語の朗読を吹きこんだテープを送り続けるのだったが…
恋愛ものとしてはなんとも切なく。
「ナチスもの」としては重厚な問題提起を突き付けられ、
考えさせられる、意義深い作品でした。
‼以下完全重大ネタバレ考察です‼
あらすじにある
「彼女は戦時中の罪に問われ、ある秘密を隠し通したために窮地に追いやられ、無期懲役の判決を受けるのだった」
の
ある戦時中の罪とは――
ハンナはアウシュビッツの看守でした。
「死の行進」に関与し、ハンナと他5人の看守で300人のユダヤ人を移動させ
立ち寄った村で教会に監禁した時、その教会が空襲にあい火災になります。
が看守たちは鍵を開けず、300人のユダヤ人は焼死しました。
その罪を問われた裁判で、他の看守たちは罪を逃れようと嘘の証言をする中
ハンナ一人が起訴事実を全面的に認め正直な証言をしていたのです。
裁判の争点は誰がリーダーか?という事になります。
ハンナはリーダーはおらず、6人がみな同等で相談しながら事を進めていたと言います。
しかし、他の5人はハンナがリーダーだった、報告書を書いた人物もハンナだと
と嘘の証言で結託します。当然ハンナはそれを1度は否定しますが、筆跡鑑定を求められたところで、リーダーだったと認めてしまうのです。
(それは事実ではありません。なぜならハンナは文盲だから)
ある秘密を隠し通したためとは―――
文盲だったことです。
Q1。終身刑を背負ってまでハンナはなぜ文盲を隠したかったのでしょうか?
マイケルに文盲を悟られたくないという女心が終身刑より勝った。
という見方もあるようですが、僕はそれは違うと思います。
基本姿勢として事実を正直に告白していたハンナ。
結果どうなろうと覚悟はしていたのでしょう。
ハンナは裁判長の「死ぬと分かっていて、なぜ鍵を開けなかったのか?」
という問いに「私の仕事は看守だから」と答えています。
それは罪の意識がなかったわけでも文盲だから善悪の判断もできなかったわけでもなく、あの時、あの状況ではほかに選択の余地はなかった・・と。
もしまた同じ状況になれば、同じことを繰り返すだろう・・といっているのです。
だけどそこに罪がないとは思っていないのです。
罪の意識に苦しんでいたからこその、序盤の奇行で、15歳のマイケルとあっさり寝たのもその1つでしょう。
文盲を隠したいというより・・もちろんそれも生まれながらのコンプレックスとして脈々と身に染みついていたのでしょうが、
文盲を暴露してまで罪を逃れる気はなかったのだと思います。
罪の意識にずっと苦しんでいたんだと思います。
刑を受け入れる覚悟はあったのです。
Q2。最後、ハンナはなぜ自殺したのでしょうか?
刑期が終了し、身元引受人として面会にやってきたマイケル。
20年ぶりの再会です。
ハンナは喜びを隠しきれずマイケルの手を握ろうとしますが・・
マイケルはその手をさっと引っ込めて・・
「過去の事をどう思ってる?」
結局20年経っても不信感はぬぐえていなかったのですね。
マイケルにとって15歳の時、純粋にハンナを愛していた。
アウシュビッツの看守だったと知り、虐殺に関与していた
と知ってから、ずっと不信感がぬぐえなかったのです。
ならばあの獄中のハンナに送った朗読の録音テープ。
あれは何だったのか?愛ではなかったの?
獄中のハンナにとってそれは生きる希望だったのに・・・。
ハンナにとってマイケルへの愛は獄中から芽生え始めたのではないかな。
もともとは死んでもいいぐらいの気で、罪を受け入れ、あえて自ら獄中生活を選んだはずだったのに・・。マイケルの朗読テープで、また生きる希望が湧いてきてしまった。
という事ではないでしょうか。
しかしあそこでマイケルがハンナの手を握らず「その過去じゃない」といった言葉が、
そんな淡い希望を打ち砕いてしまったのでしょう。
マイケルにとっては15歳の時がハンナへの愛のピークで、その後はずっと不信感に苛まれていたのですね。
結局、テープに録音していた時のマイケルの気持ちも、ただの同情だった事になってしまう。
観てる僕もガッカリでした。そしてハンナも・・・。
すべてを水に流して受け止めて(手を握って)あげればよかったのに。
マイケルにはそれができなかった。冷静になればそれも当然の話で・・
やはり「あの過去」はどうしようもなく重い過去だったのです。
これはナチス問題、いや、戦争そのものの根源の話だという気がします。
現代の人間が仕事に対して責任を全うしようとする精神と実は近いのではないかな。
好き嫌いとか善悪は関係ない。それが仕事だから責任を果たす。
特に勤勉な日本人やドイツ人が陥りやすいところで。
何かのきっかけでひとたび戦争が仕事になってしまえば
あとは勤勉に責務を果たすだけなのです。