鏡という字〜ベルニーニとガリレオ〜美しいと思えるものを写したい
「鏡」という字から 「が(我)」という字を取ると神になる。
という文言を今日一日を通して2回聞いた。
不思議だけど、私に伝えられてるメッセージなんだと思った。
家の中にある鏡をきれいに磨く。
自分の姿を映す鏡。
他人は自分の鏡。
嫌な人も好きな人も全部自分ということ。
責めても傷つけても責められても傷つけられても。
相手も、状況も、それを作っているのは全部自分。
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メルカリに出品しているものが売れないので、他の人の作品を買ってみた。
綺麗な鉛筆画のシマエナガちゃんと、仲睦まじい二羽のインコの作品2点。
きれいな絵を見ていると、だんだん心が整っていく感じがする。
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先日本を読んで、イタリアの昔のアーティストのベルニーニについての記述に触れた。
実際に彫刻作品を見たわけじゃなく、作品の写真を媒体を通して見ただけだが、
感銘を受けている自分がいた。
ベルニーニは絵画と彫刻の表現の仕方の圧倒的な違いについて論じていたらしい。
被写体を立体で表現する彫刻。
被写体を平面でしか表現することができない絵画。
みたいな?ことを言っているのだと思った。
そして、当時ベルニーニが触れたであろう、
地動説をめぐる、ガリレオやコペルニクスの見解と論文。
それが、ベルニーニの作品に
どの時点でどのような影響を与えていたのか?
地動説を巡る情勢の、どの位置にベルニーニはいたのか?ガリレオ派?何派?
ガリレオの裁判が行われていた時代にベルニーニは活躍していたんだな〜。
ここまで、ざっくりとした私の読解。
合ってるのかな?
分からないけど、ベルニーニの作品は今まで見た彫刻作品の中で、
私に一番強い印象を残した。
写真と絵画の存在を超越した、とてもしなやかで美しい作品だった。
媒体を通して写真を見ただけの私の感想(・o・;)
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他人は自分の鏡。
他人の言動で嫌な思いをしたのなら、それは自分が発した言動ということになる。
他人の悪事は自分の悪事。
他人の幸せは自分の幸せ。
それは、
言動でも絵画や彫刻作品、作った料理や、したためた手紙やおもむろに詠んだ俳句など。
自分から発したものはすべて、
自分そのものの姿ということ。
ひいては自分が産み育てている子供よ姿は私の写し鏡なのだと思う。
映す鏡と写す鏡。
私はあなたであなたは私。
ベルニーニの彫刻作品の美しさははベルニーニ自身の心。
地動説の真の姿はガリレオのそれ。ただそこにある正義。
いつの時代も、自分の姿として写したいのは、美しいと思えるものでありたいと思う。
そう思いながら生きていく。
合掌。
@スター@