永遠の旅~君からあなたへ~
✿出会い✿
「シェイクスピア好きなの?」
「…っ、うん」
あの時私は『シェイクスピア案内』
という、無機質で旅行マップのようなタイトルのハードカバーを抱えていた。
美術館の横の公園のベンチ。
風に揺れる木々がまぶしかった。
⋆⋆⋆
✿五年後、再会✿
「受付番号024の方~、一番診察室にお入りください~」
間延びする受付の女の人の声。
私は、慌てて持っていたスマートホンをバッグに乱雑に入れる。
ドンっ!
「あ、すいませんっ!」
同時に立ち上がった、隣の席に座っていた人とぶつかってしまった。
「あ、いえ。すいません。」
あ、よかった、いい人だ。
私はとっさに思ってしまった。
普通の人は人とぶつかって謝られても、返答しない。
それが最近の主流だ。
よく人にぶつかる私のデータによると、この人はいい人の類に入る。
よく人にぶつかる私の基準によって分類すると、そうなる。
「シェイクスピアの人ですよね?」
「あ……」
椅子に座ったまま見上げると、さっき待合室でぶつかった人が立っていた。
その人は、五年前に公園のベンチで話した人だった。
そう、あの、うん、シェイクスピア、だよね、うん。
頭の中で探して見つけた記憶。
五年前、私は市内の美術館で、
『地球に一番最初に生まれた生物⋆快楽植物の世界
~起源と歴史とパラレルワールド~」
という、いささか不穏な香りがしてきそうな、
展示を一人で鑑賞した後、
公園のベンチで、帆立バックにいれていた、
『シェイクスピア案内』を、開いたり閉じたりしていた。
読むと眠くなるし、閉じると読みたくなる、そんな昼下がりの公園で、
私は彼と出会った。
彼も同じ展示会を鑑賞したあとに、横の公園で人を待っていたのだという。
そして、私を見つけて声をかけてきた。
自分より幼い男の子から急に話しかけられて、戸惑う私。
「シェイクスピア好きなの?展示おもしろかったよね?」
突然話しかけられて、戸惑っていることを悟られないように、話をリードしようとして、頼りなく笑う私。
あ、心と体が分離している感覚だ。
こういうライトな時もあれば、
死にたくなるくらいの悲しみと苦しみに、
脳や心を覆われてる時に、
馬鹿みたいに口を開けて空っぽになっている腹の中。
はい、心と体が分離している状態の誕生です。
人間の脳は、鈍いようでいて、鋭敏な動きをするときがある。
それは、自分の体裁やプライドという、ちっぽけな自意識を守ろうとするときだ。
そんなときだけ脳は機敏な動きを見せる気がする。
そんな器の小さい脳に体や心を司られている人間は、
必然的にちっぽけな存在だということを思い知らされる。
「快楽植物の起源~」の知識を深めすぎたかな?
そんな感覚のヴェールに包まれる。
それがなくても私は、幼い頃から、人間について考えていた変な子供だった。
突拍子ないことを言い出すので、子供にも大人にも、変な子供扱いをされていた。
例えば、「さっき木に話しかけられたんだよ」とか。
みんなは信じてくれなかったけど、本当に校庭の鉄棒の横に立っていた木が優しく私に話しかけてくれたんだ。
生物としての植物や、サイエンスとしての地球に思いを馳せていると、
自然と人間の存在がちっぽけで疑問だらけの、凶暴な生き物に思えてくる。
「自然は偉大で尊いもの。植物は地球上のどんな神秘も知っているんだと思う。人間なんてもっと謙虚につつましく地球の恩恵に感謝しながら生きればいいと思うんだよね」
展示会終わりの私は、初対面の男の子ににそんなことを言っていた。
高校生がする小学生へのどや顔なんて、甚だしさ満開の情けない代物である。
「ふ~ん」
彼は面白いものを見るように私を見て笑ってた。
私も不思議と素直に笑えた。。
こんな風に自分の思想の偏りを笑ってくれる人に会うのは初めてだった。
楽しい気持ちになれた、五年前の公園の昼下がり。
姉の話をうのみにしたり、半信半疑になったりしながら笑う、弟みたいな彼の笑顔が印象的だった。
初めて公園のベンチで出会った時、彼は小6だった。
その五年後に2回目に会ったときの私は21歳、彼は17歳になっていた。
病院の待合室での偶然の再会。
「大きくなったね、って、なんかおばさん臭いね」
なんて、照れながら笑う私はまた余計な年季を醸し出すことになる。
「あ、ははは」
ぎこちない思春期の笑いだった。
私もわかるよ、思春期の笑い方。
私も思春期経験してるから。
そんな意味不明なマウントを心の中で取りながら、
彼の顔をじっと見てみた。
普通の高校生の男の子の顔。
やっぱり思春期じゃん。
今度は予想が当たったマウント。
どこの山に登ろうとしているのだろう、自分。
五年前公園で会った時、
小学生の彼は高校生の女の偏った話を聞いて笑ってくれた。
おおまかなその記憶と、楽しかった気持ちが色濃く残っている。
彼は、植物に限らず図鑑を見るのが好きだということを言っていた。
だから、母親と「快楽植物の起源~」の展示会に来ていたのだと、出会った時に言っていた。
小学六年生の彼の様子は子供のそれだった。
でも、17歳の彼の様子は、大人のようになっていた。
横顔が、うん、横顔の骨格の形がキレイ…。
あ、なんか成長してる。
やばい、ドキドキしてきた。
五年で人間の体と脳は急激に成長したりする。
花の成長と比較してみる。
花の命は短く儚い。
人の命は長く儚い。
短くても長くても儚いもの。
それは命は絶対に無くなるものだから。
生きることと死ぬことは儚くて、絶対に決まってること。
人間が持つ唯一の絶対。
それは生きることと死ぬことだけ。
あとは全部人間が勝手に創造したものの上で起こること。
そして、彼と私はそのまま別れた。
彼の残り香がなんだか優しく感じた。
-----------その後、私たちは、再会と別れを何度も繰り返すことになった-−−−−−-−−−−−
✿何度目かの再会のあと✿
私は彼のことが好きになっていた。
彼の笑顔が好きだった。
目が好きだった。
声が好きだった。
私のことを見つけると、ゆっくり近づいてくる彼が愛おしかった。
病院の待合室で再会してから、九年の月日が経っていた。
別れと再会を繰り返し、その度に感じる強い気持ちに、2人共着実に気づいていった。
彼の私への気持ちが伝わることもよくあった。
彼が私のことを想う時に発するエネルギーが、私の体に痺れとなって表れた。
特に再開した直後にそれはあった。
お互いがお互いのことを必要だと思うようになっていき、季節はまた巡った。
空気は冷たく、吐く息の暖かさは一瞬で消える冬。
✿三年前の再会のあと✿
私たちは付き合うことになった。
「もう離れたくない」
「俺も」
人の人生の中に存在するとかしないとか言われている、運命の糸。
私と彼はそれが生まれた時から繋がっていたんだと思った。
--−−−−−付き合って結婚するまで-−−−−−
✿四回目の再会と別れ✿
頭の中から、彼の笑顔が離れなくなっていた。
一日の終わりにお風呂に入っている時。
顔にシャワーを勢いよく当てている時。
美味しいご飯を食べて、ごちそうさまを言った後の余韻。
そんな何気ない日常の中に、彼の姿を思い浮かべる自分がいた。
✿五回目の再会も突然やってきた✿
小さな駅の待合所。
私の家の最寄り駅は、利用者が少ないので、
その日も待合所で待っているのは私だけだった。
「すいません、乗り越してしまって」
駅員室の窓口で切符を差し出している人がいた。
ふと目をやると、それは彼だった。
ドキドキが止まらない。心臓が上と下と前と後ろとに、激しく暴れ始める。
彼が私の後ろの椅子に座った。
顔と体が熱くなる。
たぶん頭の上から湯気が出ていたと思う。
目のまえが湯気でかすむ。
え?
「あの」
私は静かに後ろを振り返った。
「あ」
彼も私の顔を確認する。
「また会えたね、びっくりした!」
「うん、ほんとだね、びっくり、てか笑えるね」
「うん、私も笑える」
「こんなん笑うでしょ」
いつも偶然の再会を果たした後は、二人で笑って、近況を話して、また笑う。
そして楽しさの余韻を残して、彼は私の前から去っていくんだ。
嫌だ。
心の奥から出てきた感情。
抑えられなかった。
目の奥から涙がにじんでて来た。
「また
会いたい」
情けない表情と振り絞る声。
彼は一瞬止まって、私の顔を覗き込む。
「うん 俺も」
私はスーッと息を吐く。
差し出した彼の手を強く握った。
駅の外はまぶしいくらいの夕焼けに染まっていた。
⋆⋆⋆
✿付き合って三年目✿
彼と私は結婚した。
私30歳、彼25歳、出会って9年目の冬。
特に周囲から反対されることもなかった。
彼の家族も私も家族も私たちの結婚を心から喜んでくれた。
祝福してくれた。
歳の差は五歳。
初めて出会ったのは、
彼が小6、私が高2の春のこと。
女性の子宮の中には、生まれた時から存在している卵子があるらしい。
それは、自分の片割れともいえる子供の存在が、
母親が胎児の頃から決まっていたということ。
花も人も快楽植物も、
地球上で育まれるすべてのものの、定めはきまっているのかもしれない。
偏っていると思われていた私の思想を、
リアルな形で証明してくれた彼との出会いと愛のチカラ。
地球の命の育みの一環として、
私たちは出会った。
決まっていたその出会いに、絆に、愛情に、
私は何度も感動した。
私は素直に感謝した。
彼となら、
この地球で起きる悲しみも喜びも受け入れて、生きていける。
不完全だった自分が自分として自分の中に自分の声を聴くことができる。
⋆⋆⋆
離れ離れで生まれた命が一つになるとき、
人間はもう一度羊水から生まれ出る。
そしてまた、永遠の旅に出る。
もうあなたのを離さない。
おわり
@スター@