不要不急とは〜推し活ブーム〜自分のことは自分で決める
コロナ禍で
私たちは
「不要不急」の外出を控えるように言われ続けた
そしてそれは日本人特有の
「空気を読む」信者勢力が大きいせいで
控える、という表現は
次第に自然に自発的に
禁止、になっていった
飲み会、パーティーを、開いた人
それに参加した人が
非国民扱いをされた
エンタメ、アーティスト活動を
生業とする人たちが
次々と迫害されていった
路頭に迷い自らの道を見失った
それらの活動を
直に観ること、体で感じることが
生きがいになっていた人たちの
楽しみや喜び、権利までもが
塵のように扱われ
淀みなく軽視され続けた
***
昨今の「推し活ブーム」を見る
コロナ禍でみんなで生きるためにやっていた
不要不急の活度への偏った認識見解が
大きく大きく真逆の方向に覆されている
みんな満面の笑みで「推し」への気持ちを語っている
不要不急の活動する人たちがいるから
自分たちがこの社会で
生き抜いていけていることを
痛感しているんだと思う
コロナ禍の反動だけでは済まされない
地球の「流れ」がそこにある気がしてならない
***
目の前の現実は変わる
時代も社会も
都合のいいように変わっていく
個人の幸せについて考える
自由と平等は相容れるものではないとするなら
正常な社会なんていつになっても機能しないのだろう
そんな間違いだらけの社会の中で
私ができること
私たちができること
社会というモンスターに
惑わされることなく
どんな状況どんな現実が
訪れようとも
自分を信じて自分を律して覚悟を持って生きていく
自分に関する全てのことを自分で判断する
他人にも状況にも委ねない
それで上手く行かなくなったら
また自分で考えて自分で決めれば良い
その繰り返し
それが成長なんだと思う
以上、
1ヶ月ぶりの投稿で、今私の中にある文章を書いてみました。
読んでもらえたら嬉しいです。
(って、これ最初に書くやつ↑)
ありがとうございました。
合掌。
@スター@