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別れの時間が与えてくれるもの
昨日、一昨日でおばあちゃんの通夜・告別式に参列しました。
祖母は大切な親族の1人で、亡くなったのは悲しい。
だけど正直、年に1回しか会わないし、子供の時から人見知りだった私は、祖母と絡んだ記憶があまり多くなくて。
大人になってからも、そこまで積極的に親戚たちと喋るタイプでもなかった。
そのせいなのか、棺の中の顔を見ても、会場に飾ってある思い出の品を見ても、特に悲しい泣ける!とかはなかった。
亡くなった時にみんなで立ち会ったし、もう2週間経っているから、他の親族たちも誰も泣いたりはしていなかった。
お寺のお坊さんがお経をあげてくれる間も、この言葉の意味や儀式ってなんなんだろうな?とかずっと考えていた。
改めて考えると、呪文のような言葉を長々歌うように捧げ、決まった一連の動作をして、この儀式って不思議だよなぁ、と。
そんなこと考えて、悲しい気持ちはあまりなかった。
だけど最後にお花入れたりするあの瞬間だけ、そこまで悲しい!とか感じてなかったはずなのに、勝手に涙が出るんだよね。
あぁ、もうこれで本当に最後だ、って頭で考えて認識するよりも先に感情が反応するのかもな。
棺の中に、前にプレゼントした俳句の詩集を入れてあげたかった。
外を散歩して花や景色を見て俳句を読むのが好きだった祖母。
コロナ禍に外出できなくて、楽しみが減っていると聞いて、せめて写真で花や景色を楽しんでもらえれば、と思って写真付きの俳句集を送った。
同居する叔父から、「むさぼるように毎日読んで喜んでるよ」と聞いて、送ってよかったと思ったことがある。
でも、本はいれられないとのことだった。
俳句を詠んで入れたかったけど、俳句のことは難しくてわからない・・。
普通に手紙を書いて入れることにした。
今までなかなか喋らなかった分、手紙書いて入れることができてよかった。
そして、本当に最後のお別れ。
炉の中に棺が入っていくのを見ると、胸がきゅっとなる。
焼骨が終わるとみんなやたら冷静になるよね。
骨の解説とか聞いて、なるほどーとか、105歳の割に骨がしっかりしてるねー、とか。
歯が残ってるねーとか。
けっこうあっさり受け入れられる。
葬式って故人を見送るためのものでもあるけど、残った側は故人がいなくなったことを受け入れて、これからは故人がいない日常でも前向いて進むための儀式でもあるんだな、とか改めて思った。
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