心の空腹を潤すための読書
東京には魔境がある。
名を青山ブックセンターと言う。
一度迷い込んだら、時を忘れて数多の創造物に囚われ、易々と抜け出すことはできない。
魅惑的に恐ろしい書物の森だ。
本日も懲りずに意気揚々と迷い込んだところ、ふと視線を感じた。
キョロキョロして目が合った本がこちら。
天才はいない。
天才になる習慣
があるだけだ。
というキャチコピーみたいなタイトルの本かと思ったら、目を凝らせば横っちょにちんまりとインプット・ルーティンと書いてある。どうやらこちらがタイトルのようだ。
珍しい本である。しかも、売れる本に仕立てるにあたって欠かせないと言われる帯がない。大体の本はあれやこれやとそれっぽいコピーを著名人に書いてもらうことに躍起になるというのに。やはり、今どき稀な本だ。
偶然の出会いで本を買うのも大人ならではの粋である。
なんだか気になったので、購入後珍しくそそくさと魔境を後にし、帰宅して瞬く間に読了。
…面白い。面白いじゃないか!
興奮冷めやらぬ読了感のまま改めて、まじまじと表紙を見つめる。
帯はない。推薦文もない。
…潔すぎん?
もうちょいさぁ、なんかさ〜。こうさ、なんちゅーか、欲を出してもいいんじゃないの?
いや、禅の本とかならわかるよ?simple is ZEN!みたいな。でも、もはや禅の本の方がもっと助平心が行間からはみ出してるよ?ビジネスパーソン必読とか帯にぶら下げちゃって自己啓発にすり寄ってさ。それくらいのことはするよ?うん。チラッとでいいんだ、チラッとで。チラリズム程度の下心ならバチも当たらないとぼくは思うな。てか、色気になったりもするかもよ?
と、0.25秒くらいで過ぎったMy煩悩。
文体もものすごくストイックで廉直な著者のお人柄が滲み出ていたからこそ、多くの人に届いて欲しい本だなと思ったので、ここからは手前勝手に本書を推させてもらう。
WHY:創造性が高まる裏技大全がここに
本書の主題である、
『創造性を高めるためにはインプットが不可欠である』
に途轍もない共感を覚えたからだ。当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれないが、創造のノウハウは、主にアウトプットに着眼したものばかりが巷に広まっている。
一世風靡してわからんちんなことになってしまったデザイン思考、speed is 正義!な資本主義競争には不向きなシステム思考が一時期はよく蔓延っていた。
反対にこの本は、インプットのノウハウを徹底的に形式化しているのだ。
話は逸れるようだが、日本にある社会人向けの最高峰の教育機関である東大EMP(学費は600万円...!!)は半年間で100冊の専門図書が入学者に課されることで有名だ。
しかも、入学者の多くが「このリストが手に入るだけで600万円の価値があった」と語るらしい。
賢い人はインプットへの意識精度が高すぎて、ちょっと脳が沸いているようにも見える。
本書の中で『自分を賢くしないものを、自分の目と耳と口に入れない』と公言していた著者からも限りなく高い意識精度を感じた。
そんな彼が選んだ良質なクリエイション・リストが、この本では惜しみなく紹介されている。
美意識の大盤振る舞いだ。
WHO:さびしくないフリは上手な都会人へ
一方でこの大盤振る舞いスケールに圧倒されたり、インプット精度の高さにタジタジになる人も一定数いるように思われる。「そもそも読書習慣がないねん...」という人もいる。
それでも読んで欲しい本である。
では、どんな人に読んで欲しいか?
さびしい人。
この一言に尽きる。
都市に暮らす人々の生活に個人主義が底流して久しいが、この流れは間違いなく人の心にあらゆるスキマを作っている。
こういったスキマから最も滲み出やすい感情が、さびしさだ。
望もうが望むまいが、さびしさは常にぼくたちと共にある。
自覚していようがいまいが、誰しも適度にさびしさを騙し誤魔化し生きている。
さびしい時、人は空腹であると錯覚するらしい。
間食を止められなかったり、嗜好品に頼り過ぎてしまう自分に心当たりはないだろうか。
それは肉体の空腹ではない。心が訴えている空腹は食べ物では効かないのだ。
余談だが、都会で暮らす若者が抱える無機質なさびしさの実態数が、水タバコ屋の数だと思っている。
心の空腹を覚えやすい人たちの特徴として↓が挙げられる。
エトセトラエトセトラ。
そして、この空腹症状への処方箋こそが、読書という文字群としての栄養だ。
何より有難いことに、この栄養はいくら摂取しても決して身体に害がない。
読書には百利あって一害もないのだが、明確な弱点がある。
それは、遅効性。
要するに、効き目がゆっくりなのだ
疼くさびしさと効き目の遅さは非常に相性が悪い。
ぼくたちが誤魔化しが効きそうなものに飛びつくのは、即効性があるからだ。
酒もタバコもポテチも港区のお友達もぜーんぶソッコーで快をくれそうだ。
が、たいていの即効性には後悔という副産物もあるのを忘れてはいけない。
すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなることは自明だが、
すぐに役に立たないけれど重要なことを今から続けることが、未来の自分への最大の贈り物であることを、ぼくたちはしょっちゅう忘れてしまう。
こういうと「いや、読書とかはもういい。十分勉強したし」とか言う人が一定数いる。
「一時期すごい本を読み漁って〜」とか「めちゃくちゃ色んな本から勉強して〜」とか抜かす者どもを度々見かける機会があった。
断言するが、深い学びを体験した人は口が裂けてもそんなことは言わない。
学びの深淵とは、
いかに自分がまだ何も知らないか。人類がわかっていない領域がどれほど広大かを思い知ることに他ならないのだから。
中には、”読まれている”と直観してしまう本すらある...らしい。
ひた隠しにしてきた感情の源泉、半可通な態度で覆ってきた浅知恵、己の自覚と無自覚の間で揺れ動く未必の違和感。
未完の言葉として内面に漂うあらゆる小さな気づきの種を強制発芽させるような本を捲り捲る読書体験は、知的蹂躙といって差し支えないだろう。
本を読みたいと思っている人はたくさんいるが、読まれちまったと感じるほどの本との出会いを知る人はちっとも見かけない。
出会うためには、本を手に取り続けるしかない。
それでも運命の出会いがあるとは、限らない。
ファムファタール的確率だ。
こちらの全てを見通すような観察眼と暴力的知性を兼ね備えた、シャーロックホームズみたいな本などそうはない。あってたまるか。身が持たない。
…シャーロックホームズといえば世界で1番有名な物語だ。著書のコナンドイルはSFの古典というべき『失われた世界』を書いたが、それはフランスの作家ジュールヴェルヌの影響を受けたからだ。そのヴェルヌが『アドリア海の復讐』を書いたのは、アレクサンドルデュマを尊敬していたからだ。そして、デュマの『モンテクリスト伯』を日本で翻案したのが『萬朝報』を 主催した黒岩涙香。 彼は『明治バベルの塔』と言う小説に作中人物として登場する。その小説の作者山田風太郎が『戦中派闇市日記』の中で、ただ一言「愚策」と述べて、切って捨てた小説が『鬼火』と言う小説で、それを書いたのが横溝正史。彼は若き日新成年と言う雑誌の編集長だったが、彼と腕を組んで新青年の編集に携わった編集者が『アンドロギュノスの裔』の渡辺温。 彼は仕事で訪れた神戸で、乗っていた自動車が電車と衝突して死を遂げる。その死を『春寒』という文庫を描いて追悼したのが、渡辺から原稿を依頼されていた谷崎潤一郎。その谷崎を雑誌上で批判して、文学上の論争を展開したのが芥川龍之介だが、芥川は論争の数ヶ月後に自殺を遂げる。その自殺前後の様子を踏まえて書かれたのが、内田百聞の『山高帽子』で、 そういった百聞の文章を称賛したのが三島由紀夫。三島が22歳の時にあって「僕はあなたが嫌いだ」と面と向かって言ってのけたのが太宰治。太宰は自殺する1年前、1人の男のために追悼文を書き、「君はよくやった」と述べた。太宰にそう言われた男は結核で死んだ織田作之助だ。
ちなみにここまでの文章塊は森見登美彦が代表作『夜は短し歩けよ乙女』に出てくる月の裏側から来たような顔貌の古本市の神様のお言葉のほぼ引き合いである。
ちなみに、森見の最新作は『シャーロック・ホームズの凱旋』である。読まれたし。
という風にホームズにもファムファタールにも出会えなくとも、心の空腹を満たす読書習慣は、体内に縦横無尽な知の宝庫、教養の生態系が創出されるという有難い副産物がおまけでついてくる。
手当たり次第に読み漁るのではなく、体系的に読まねばならないのは言うまでもない。
とはいえ、選り好みする過剰摂取はよろしくない。健康に必要なのは、栄養バランスだ。
ビジネス書で身に付く実践知も大事だが、思想やアートを知ることで滲む教養も捨てたものではない。美への生態的理解は、世界を面白がれる力に直結する。
では、何から摂取すればいいのか?その答えが全て↓に書いてある。本だけでも100冊の選書が掲載されている。
え?そういうお前はこの中の何冊読んでるのかって?
にさちゅ。