「取引の愛ではなく体験の拡張をサポートする愛」U理論翻訳者 由佐さんが考える新しいパートナーシップ
現在立ち上げているパートナーシップにフォーカスしたカップルカウンセリングサービスyadorigiのパートナーである由佐美加子さんにインタビューを行った。
ぼくの知る限り、由佐美加子という人ほど深い愛と希望を絶やさずに持って人間という生き物を探求し続けている物好きはいない。
MIT上級講師ピーター・センゲ氏が提唱する「学習する組織」と出会って以降、彼女は人と組織の進化の手法を追い求め続けている。
米国ケースウェスタンリザーブ大学経営大学院で組織開発修士号を最高成績で修了し、その後には翻訳者としてU理論を日本にもたらした。
そんな一見華やかに見えるプロフィールからは見えてこない物語もまたある。
最初はリクルートで研修を作ることから彼女の探求は始まった。
「元々研修が嫌いだったの。本当に人が変わっていく研修って全然ないと思っていたから。でも、業界全体の構造を把握するために、まずは自分が受けてみないとダメだなと思って。自己啓発からヒーリングから人の変容を促すというくくりのものは片っ端から何でも受けまくったのね。それである時、システム思考というものが面白いという話を聞いて。
それを日本でプログラムにしてやっている会社の社長と会った時に『由佐さん、これからのリーダーはDoingではなくてBeingですよ』って言われたのがなんだか分かんないけど刺さったのね。」
その一言が彼女が個人の変容を促すプログラムを作りたいと思うきっかけになった。
そして、現在彼女が提唱しているメンタルモデルという概念にもそこで出会うことになる。
「学習する組織のシステム思考を元にリーダーシップのプログラムを作っていく中で、セルフマスタリーという領域を知って。その中にメンタルモデルという概念があったんだよね。人間というのは元々思い込みと前提を通して世界を見ていて、リーダーの変容というのはその思い込みに自覚的になっていくのが欠かせませんって書いてあったの。それで、ほほ〜んと思って。あと、学習する組織の中には氷山モデルというものも提唱されていて。要は人間が見ている出来事は氷山の一角にしか過ぎなくて、水面下にはパターンと構造とメンタルモデルがあるっていう風に書いてあったの。一番深い根っこには、何かしらの信念のようなものが絶対にあるっていうことだったのね。だから、氷山の上つまり出来事をなんとかしようっていうのが対症療法で一番深い信念にアプローチするのが抜本療法だって書いてあって、なるほど確かになぁってすっごく思ったの。」
それからしばらくしてU理論の原著が出た。
後に彼女が和訳することになるイノベーションを起こすための思考プロセスを明らかにしたものだ。
「U理論はさ、オットーがマッキンゼーと組んで世界中の芸術家や経営者、研究者、起業家とインタビューや対話を重ねて見出したもの。そのインタビューの中でハノーバー再保険という会社の元CEOが『組織に介入して起こすインパクトは介入者の内面の状態に依る』って言ってたわけ。この言葉も私にとってはかなり啓示的で、ほぉっ!って思ったの。笑」
学習する組織やU理論、そして啓示的な言葉を胸に彼女は研修を作ったり、エンゲージメントのアセスメントも開発して全社導入したり様々な形で学びを昇華させていった。
それでも、彼女が感じた手応えは十分と言えるものではなかった。
「なんというか一瞬良くなるんだけど、結局また揺り戻されちゃうっていう感覚がすごくあった。組織の問題はまた形を変えてやってくるしね。その時に課題解決というものの限界を感じ始めたのね。色んなことをやってみたんだけど本当に何が変わっていくのかっていうのが良く分かんなくなっちゃって。それでどうしたもんかなと思ってメンタルモデルというものに立ち返ってみたんだけど、そこには外側のアクションで変えられないものは内側に目を向けるしかないって書いてあってさ。じゃあ、それ具体的にどうすればいいんだ!と思って。笑
内側って何かもわかんないし、メンタルモデルというものが具体的にどう外側の現実と繋がっているかもわからない。だから自分で感じて見つけていこうと思った。今に至る個人の中にあるメンタルモデルを紐解いていこうとしている原点は、そこからだよね。」
今日に至るまで彼女は1000人を超える個人の内面を紐解いている。
このインタビューの直前までも予定時間を越えてまで個人セッションをやっていた。
疲れた顔ひとつせずに誰かとのセッションを終えた彼女を見て、改めて本当に人間が好きなんだなぁと思ったりもした。
最近のセッションの中にはパートナーシップに関する痛みを扱うケースも少なくないと言う。
「人が生きている時期によってどんな相手とパートナーシップを組むかというのがあると思ってる。
何かが”ない”という痛みをもう感じないようにするための行動を回避行動と呼んでいるんだけど、”ない”ということは”あるはずだ”があるからそこに痛みを感じる。
だから、痛みとつながることによって自分の願いを見つけることができるんじゃないかと。
メンタルモデルの”痛み”を回避する時期は互いに回避行動をやり合う。その場合は痛みを刺激し合うよね。
もしも人間を“進化していきたい生き物だ”と仮説を置いてみると、パートナーは内面にある痛みの統合をサポートする役割を担う存在になると思うのね。だから、痛みが反応しやすいパートナーを選んでいるはず。
例えば、何かをしないと愛されないというメンタルモデルの人と結局自分はひとりで生きていくしかないというメンタルモデルの人がパートナーシップを組んだ場合で考えてみると。
愛されるために尽くすという行為を繰り返すけど、ひとりで生きていくためにそれを受け取らないみたいなメカニズムが発生して、最終的に疲れたり傷だらけになってさよならするみたいな。
喧嘩やすれ違いとかそして離婚とかっていう風に互いに不本意なことを直面させ合う関係性は、自己統合のために起きているという解釈もできるんじゃないかな。」
現代日本においては、3組に1組は離婚すると言われ離婚大国と揶揄されていた時期もあったが最近は離婚率も増加していないという。
それはそもそも結婚というものにまで踏み切った人たちの絶対数が少ないから。
結婚しないと離婚もできないから当然だと皮肉を笑い飛ばしていた3度離婚を経験した知り合いの経営者の寂しそうな笑みを思いだした。
ぼくの周りにいる人生の諸先輩方はかなりの割合で離婚を経験している。
「映画やドラマにあるいわゆる”幸せ”を体現するだけがパートナーシップだけじゃないよね。その時期に一緒にいることが互いの統合のために必要だから今一緒にいるという考え方でいいじゃんって思う。
旅みたいなもんなんじゃないかな。一定の時期を一緒に旅するという感じで。暗黒期のようでもそれは互いに進化するために必要だから一緒にいる、そして役目を終えたら解散という風なイメージ。そう捉えると、離婚はダメなこと。我慢が利いていなくて悪いことだという解釈にならない。死ぬまでに一緒にいるという価値観に絶対的に重きを置く必要もないよね。」
パートナーシップは、人生という旅路の中で互いに進化を促すためのプロジェクトだと彼女は言った。
言わずもがな、結婚というものへの考え方は多様に拡がっている。
20代のうちに結婚して子供を作るということが幸せだという価値観を強く持っている人もいれば、”どうせ離婚する”という風に結婚に対しての諦めのようなものからひとりで生きると言い切る人も多いなと感じる。
それでも、数年前には【結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです】というコピーに共感の嵐が巻き起こったりと、本当は誰かと一緒に生きていくことへの希望を諦めたくない人も多いのではないかと思ったりもするのだ。
「生存を安定させるためのインフラとか道具として結婚やパートナーシップを見立てられてるってのがあるよね。どーゆー人と組んだら安全でどーゆー自分だったら安心して生きていけるかってところからパートナシップを見てるのがあるよ。ひとりで生きてるのが不安だから誰か探すとか、40歳を過ぎても子供がいないとか不安だからというニーズを満たす為の手段として見立てられるのが嫌だから結婚しないという風に言っている人もいる。
でも、家族やパートナーシップの形も変わっていくと思って。家族というシステムはこれまでは生存を安定させるものだったと思うんだけど、これからは家族というシステムの中にいる各個人の進化を促すためのものになっていくんじゃないかなと思ったりする。」
安定したいから年収の高い相手がいい。子供が欲しいから早いうちに結婚する。
結婚というつながりを得る前にしていた正当化が、結婚後は枷になったり武器になったりする諸刃の剣的な側面もあるのではないか。
相手の年収にメリットを感じて結婚した人が、結婚後はそれを維持する為の相手の仕事の忙しさに寂しさを感じるとか。
寂しさは忘れた頃にカタチを変えて襲ってくる。
「例えばさ、パートナーが今月で仕事辞めてどう生きていきたいか少し考えたいって言った場合にさ。それは困る、なぜならお金を入れてくれないと家庭が立ち行かなくなるからと言う反応と。わかった、じゃあしばらくの間は自分が稼ぐから支援するよという反応だったら後者の方がいいなって私は思うんだ。前者のパートナーシップは生存の為の取引愛のようなもので、後者は体験の幅を拡がるように支えるという感じの愛だなって受け取れるよね。取引愛は自分のダメなところはあなたが埋めてくださいねというものだから、その取引の天秤が崩れた瞬間に破綻する。愛というのはパートナーの進化を促す行為のことを指すと思う。それは無条件のものでないと相手と本当の意味ではつながれない。
経験を限定させるパートナーシップを組むのか、体験を拡大させるパートナーシップを組むのかで人生の質とかって凄く変わっていくんじゃないかと思う。」
無条件の愛。
恐ろしく高尚で遥か彼方にあるようなものに見える。
ツチノコと同じようにその存在をぼくはまだ視認も肯定もできていないが、それってどんなものなのだろうか。
「わかりやすく言ったら、まずはちゃんと自分と結婚するということだよ。結婚もつながりだよね。自分の中にどんなものがあってもいいと感じて自分自身とつながること。
”何があってもいい”に立つこと。そうすれば自分の中にあるいろんな感情を否定することも抑圧することも誰かに押し付けることもなく、ただつながれる。
すると次第に男だからこうしなければとか女はこうあるべきだとかそういうものもなくなっていくしどんな形で何があってもいいってなるから役割が固定化されることもなくなる。
LGBTQの人たちの存在も当たり前になって、こういう男と女なんていう二元論的な考え方もどうなの?ってなってきてるのが今だし。
人間にとって1番の状態って、どんなエネルギーも自在に使えることだと思うから。
役割が固定化されてしまうとそこに責任とが義務とか色んな重しが乗ってしまって新しい体験ができなくなってしまうこともあるよね。
毎日同じ人が料理をする必要もないし、ずっと同じ人がお金を稼いでくることもない。
新しい体験をして進化するというのが人間という生命の喜びだと思うから。それを分かち合えるパートナーシップが新しく出てくるんじゃないかなと思う。何よりも大切なのは、自分が自分とつながること。」
自分と結婚したくないのに自分と結婚してくれるパートナーを見つけるために躍起になるって確かにちょっと順序がおかしい気もする。
かくいう彼女もパートナーシップや結婚に関しては理論や考えで終わっていない実践家だ。
結婚というものへの憧れや期待が年々砂塵のように風化していっている身としては、彼女がなぜ結婚に至ったのかにも何故今も結婚し続けているのかにもとても興味があった。
「私は元々結婚というカタチに期待も希望も何もなかった。でも、彼と出会った時にここでもし彼とパートナーシップを組まなかったら彼の人生は全く違うものになるという感覚があった。私が彼を支えられたら彼は世の中にすごく光を放つだろうなっていう可能性はなんでかわかんないけどすごく感じたのね。それと一緒に息子を授かったというのを大切にして結婚しただけ。
その後もいわゆる母親とか妻みたいな役割をやったことって恐らく一回もなくて、ただ自分でいるという感覚を貫いた。そのことでパートナーである彼のことを物凄く傷つけたりしたこともあると思うし血みどろにして申し訳ないと思ったりもした。自分を貫くってのは同時に人を傷つけるっていうことも伴うし、正直途中で妥協した方がいいかなって思ったこともある。それでも私は自分を貫くという風にしか生きれなかったけど、今も家族として一緒にいるってのは変わってない。
さっきも言ったように私は結婚ってプロジェクトだと思ってるから。笑
いつ解散してもいいよねって話はパートナーとしてるし、いつかカタチが変わるかもしれないけど。でも、たぶんずっとつながりはあると思う。」
彼女からの惜しみないサポートを受けて創り上げているyadorigiという事業を11月末にリリースする。
その前にぼく個人として彼女の中にあるパートナーシップ観を改めて聞いてみたくてこのインタビューを行った。
彼女の口から出る言葉たちは淀みがなく暖かい。
それゆえに文字として落とし込むことでその暖かさを取り零してしまいそうだったのはぼくの力量不足でもある。
面白いインタビューほど文字にする難しさを突きつけられるものだ。