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自民党総裁選2024:石破茂『保守政治家 わが政策 わが天命』を読む
総裁選2024。各候補者の政策や人物などを視て、1票を決める時がきました。そして、それぞれコメントやツッコミ、そして文句も言いたいところですが、私は、報道で誰が勝ちそうとかの前に、自分の1票はそれぞれ候補者たち本人の著作を読んでみて決めようと思います。
国会議員が本を出すことは、有権者に考えることをまとめて伝える意味で重要です。ネットと違い出版後に修正効かず、消せないことや、政策を論じるからには反対する人も必ずいるので、特に本を出すことは総裁選での立候補の必須条件だと思います。
この8月に出たばかりの『保守政治家 わが政策、わが天命』を読んでみました。
私は「安倍支持」なので、石破さんには良い感情を持っていません。というか、正直嫌いです。
しかし、著書を読んでみて、良し悪しを決めるという観点から、費用を出して買ってみました。その上での批判ですので、痛罵や誹謗中傷とは全く異なります。
9条2項が諸悪の根源。3項加憲案反対論には大賛成だったが、総裁選でナゼひっこめたのか!
私は「3項加憲案」にはむしろ積極的に反対です。なぜなら、「自衛隊というのは軍なんですか」と問われた時に、国際法的には軍隊だが、国内法的には自衛隊です」と答える今の詭弁的解釈を、明文で固定化することになるからです。 もう一つ私が懸念するのは、「これでもう憲法上3条の問題はなくなった」と言われることです。9条にはまだ大きな論点が残っています。
私は、これ大賛成。9条2項が諸悪の根源です。これ潰さない限り問題が全く解決しないどころか内閣法制局に再び「新たな迷路」を作られて全く無意味に終わるオチだからです。
今回総裁選の投票の参考に本を買って読んでみたら、この点は「そうだ!そうだ!」と賛成しました。
ところが。
総裁選で、3項追加賛成に変わってるじゃないですか。なんですかこれ。総裁選になったら、すぐに立場変えるんですか。
経済政策での軌道修正ならともかく、あれだけの「持論」が総裁選で変化されたのは、本を購入した読者として、愚弄された感を抱きました。
しかも、平和安全法制で、安倍総理は石破さんに対して「あなたが総理になってからやればいいじゃないか」と激怒しています。この内容がなぜ、総裁選の公約や政策内容に入ってないのか。現行法制がおかしいという話ではなかったのでしょうか。
安全保障に見識あるとはされていますが、スタンスがクルクル変わってないでしょうか。安倍総理が言うように、今回の総裁選でそれ訴えなかったら何なのか意味が分かりません。マスコミがこの政策面を一切追及していないことも問題あります。
安倍批判で最もカチンときた箇所、有権者が選挙で選んだ政治家が役所の妨害を制して何が悪いのか意味が分からない
本書は安倍総理についての評価が多く出てきます。
安倍総理の政治手法は、歴代の総理総裁を思い起こしても、非常に特徴的な点がいくつかあった、と思います。 まず、敵はこうだと明示して賛同者を増やし、錦の御旗は我にあり、という流れを作っていく、という方法。例えば役所相手では、「財務省は財政規律さえ守れれば国が滅んでもかまわないと思っている人たちだ」、内閣法制局について「憲法解釈さえ維持できれば国のことは考えていない」と仰られていたと言われている。 たしかに、財務省や法制局が政策的な方向性を邪魔するように思われる局面はあったでしょう。今までは私が知る限り、そういった場合でも、政府与党として話し合い、妥協点を探っていくのが常道でした。しかし安倍総理は巧みにそれを「敵」として扱い、口出しがしづらい環境を作るということに成功された。
そもそもの、民主主義の認識に相違があると思いました。選挙で選ばれた政治が、財務省や内閣法制局の妨害にナゼ「政治」が妥協を探る必要があるのか。意味が分かりませんでした。
安倍総理が財務省や内閣法制局に指示していることを、陰に日向に妨害をしてきました。回顧録にも書かれています。内閣法制局は嫌がらせで総理の会議に堂々と遅刻してくる有様です。最近では高市さんが、総務省内の捏造文書で陥れられそうになった事件すらありました。
しかも、石破さん本人も「邪魔」を認めています。「口出しがしづらい」のどころか、安倍総理が本来の政治のあるべきスタイルを提示したと思っています。
「木曜クラブ」(田中派)の回顧のページに「政策」の文字は1度も出でこなかった。愚民観の表れなのか?
角さんと田中派の想い出語り。政治家同士の人間関係のネタで何が面白いのか、読んでいて意味が分かりませんでした。
それよりも重要な点。田中派の選挙の体験談で「政策」という単語を一度も見ませんでした。
「握った手の数しか票は出ない」これが、石破さんの選挙活動の原点なのは分かりました。ダメだとは言いませんが、握手を嫌がる人は基本的にいません。政策を訴えれば、誰かは必ず反発するものです。握手ならその心配はありません。
「有権者は政策なんて分かりっこない。選ぶ基準はとにかく握手」、そういう愚民観なのかと悟りました。
私は、日本の政治家とマスコミが、選挙と政策が全く別物に扱っている状況は良くないと感じてきました。
自分の1票を決める総裁選なので引き合いに出しますが、先に読んだ河野太郎さんが米国議員事務所で働き、「選挙で政策を訴える」ことを学んだ話が印象深いものでした。ちょうど石破さんの木曜クラブでの選挙経験と対称的です。
そして河野さんのスタイルが、政策内容に反発する人もいることを承知の上で、その自身の原点を、そして自身に忠実に実施している点で、二人を比較するなら私は河野さんに軍配を上げます。
なお、私も選挙で群衆の一人で石破さんと握手してしまいました。選挙ということもありますが、物腰が丁寧で低姿勢だった点は印象に残ります。
「地方創生」に疑問。安倍総理の実績に「正論」の批判なら、地方創生担当相の自身の実績の検証は無しでいいはずない
地方創生が、総裁選の公約のようで、本書でも多く言及されてます。
しかし私が感じたのは、具体策は地方任せ、これまでの検証無し、財源の根拠無し、予算規模と想定効果の話無し。工程表なし。どこまでやるのかも無し。
しかも、巧妙なシカケがあると直感しました。「市町村の自主性」にしてあるので、国レベルで主導した自分は個別の政策での責任の対象ではないという点です。
地方創生担当相を拝命して、これを変えるために一括交付金を用意し、使い道も権限も市町村に任せます、その代わり何をやるかは市町村自身が考えて決めてください、という仕組みを作りました。
私も、この地方創生の交付金の恩恵を受けた立場ですので、偉そうなこと言うのもなんですが、体験したのでハッキリ言ってバラマキだと実感しました。オコボレにあずかっておいて言うのも申し訳ないですが。
市役所のおっさんも正直に「ありがたいけどバラマキだよね~」と言ってました。しかも、市役所で直接考えずに、コンサル頼りだったことは素直に白状しました。「コンサルって高いんだよなー。結局コンサルのための予算じゃないかと思っちゃうぐらい。」
私だけの感想ではなく、議論にも上がっていますが、これもマスコミが追求しない。不思議です。
結局、総裁選での地方創生論は、地方創生担当相時代のバラマキが再び繰り返されるということでしょう。政策の効果検証には一言も言及されてません。
安倍批判は結構ですが、安倍内閣での自身の実績をEBPMや事業評価を知らないはずないと思いますが、検証もされてません。なお、本書には事業評価やEBPMの単語は一度も出てきませんでした。
地方の悲惨な現実。田舎に住んでいて「撤退戦」を真剣に考えるべき状況だと感じています。インフラも今後の税収低下の中で維持できるのか、正直不安です。少なくとも地方創生でばらまいている状況ではないと思います。自分とは現状認識が余りにも違い過ぎます。
もっと言えば、戦後の地方への資源配分(要するに突っ込んだ金)は天文学的な数字です。少なくとも石破さんが議員活動した38年間の検証(反省点)に何も言及ありません。それで「地方創生」と言われて、戸惑いました。
「防災省」は国民保護法制の関連での言及なのか注目したがそれは無かった。
私でなくても、防災省つくる、は批判多くあり聞き飽きたぐらいです。設置法案の骨子でも明らかならいいのですが、それも明確ではありません。
実は本書で最も確認したかった点が、防災省の部分。石破さんは安全保障に詳しい(とされる)ので、国民保護法制との関連での防災省の提起ではないかと確認したかったからです。
国民保護法制で役所を作って取り組むというとマスコミに叩かれそうだから、「遠回しに防災と言っておく」という手法かと仮説たてて読みましたが、その匂いも全くありませんでした。
さらに。政策の具体性が無いのは石破さんの本の特徴です。総裁選で比較すると、河野本・高市本に比べると具体性の無さが際立っています。
ただ、石破さんだけに言うのもフェアではないので他の候補者も同じですが、安全保障には言及されてても、国民保護法の関心が低いように感じました。
安全保障に関する国会の関与の認識には賛成
安全保障について、過去の経緯についての知識が必要なことや、専門的用語の多さなどから、国会論戦にはなじまないと言われていましたが、私はそうであってはいけないと思っています。主権者である国民が選挙で選出した代表を通じて、軍事に関する予算、法律、そして行動の最終的判断・決定権を持つというシビリアン・コントロールの趣旨からしても、国会の議論は重要だと思っています。
今回の本書を読んでみての収穫の一つが、安全保障関連では同意できる点が意外に多いことです。特に原則論については同意見が多数ありましたが、ちょうど等松春夫先生の問題提起もあって、注目しました。
ただ、政軍関係の研究は、米国だと無数のように本が大量に出ているのに、比べると日本での議論が十分とは言えないとは思いました。この点政治家としての視点からの問題提起がある点は敬意を表したいところです。
一方で、政治と官僚の関係に置き換えて考えると、前述の安倍総理が内閣法制局や財務省の妨害を抑え込んだ点を否定的に捉えた点と整合性が無いと思いました。
シンガポールでのリークアンユー首相との対話での記述に父二朗氏について言及が出てこない「奇妙な不自然さ」
賢人政治家と誉れ高きリー・クアンユー首相と面会する機会を得ることができました。 当時の日本とシンガポールの関係についていろいろお話を伺っているうちに、第二次世界大戦の話になりました。 「石破さん、日本がシンガポールを占領した時に何をしたのか、知っていますか」「昭南島と命名して、神社を作ったことは知っています」「では、日本軍がどういう占領地支配を行っていたか、話してみなさい」「……申し訳ありません。それは知りません」「これからの日本を担う若い政治家がそんなことではだめだ。日本人が忘れても、シンガポール人は決して忘れないのだから」
本書は、父である石破二朗氏1908年(明治41年)~ 1981年(昭和56年)の発言が随所に出てきます。戦前の内務官僚であり、戦後建設事務次官、鳥取県知事から参議院議員を務めた二朗氏についての記述は、当時のエリート層の人物像や発想としても興味深いものです。
ところが、このシンガポールでの話で、父二朗氏に関して言及がなく私は不自然な印象を受けました。
なぜかというと、二朗氏は「シンガポールの当事者」だからです。『石破二朗回想録刊行会』によれば
1942年(昭和17年)3月陸軍第25軍軍政部
1943年(昭和18年)3月昭南軍政監部
で勤務実績があります。
25軍は開戦直後のマレー作戦、シンガポール攻略作戦で知られます。
一方でリークワンユー首相の言うのはシンガポール華僑粛清事件です。1942年2月から3月にかけて、日本軍の占領統治下にあったシンガポールで、第25軍が、華僑(中国系住民)多数を掃討作戦により殺害した事件です。
時期的に、二朗氏がシンガポール華僑粛清事件に直接関与していないにしても、「全く知らない」とは考えにくいです。
一方で、「昭和の寡黙な父」は戦場での出来事を語らなかったことは良くある「昭和の風景」です。その一つで、子息にも全く語らなかったのか。そうであれば、その心情について子息である茂氏自身も思うこともあるはずだと感じますが、この点も無いです。
不自然に、記述が無いと感じただけにいろいろ仮説を考えてしまいます。
または、父二朗氏も当時現地に居たが、全く知らないほどに小さな出来事の扱いだったのか、何も不思議に感じない感覚だったのか。むしろ25軍内部でも秘密で、これを知らせなかったのか、情報伝達に問題があったのか。防衛相を経験すればそういうことも考えるはずだと、私は推測しましたがそれも無いです。
実は、子息に何か語ってはいたが、茂氏自身が言及を避けたのか。特にあれだけ「軍事オタク」だの評されながら、「父親の戦争」に全く無関心はあり得ないだけに、どうしても腑に落ちません。
もしくは、編集の倉重篤郎氏が何か忖度だのして勝手に削除したのか。マスコミの政治部記者には不信感しかないので、この可能性は指摘したおきたいところです。
さらに、浮かんだ疑問として、シンガポールのリークワンユー首相もなぜ石破氏に対して言ったのか。日本の国会議員が来ると聞いてどんな人物かシンガポールの外務省や情報機関に調べさせ、その「当事者」の息子と知った故に強烈に言いたくなったのか。
私がなぜこの点にこだわるかというと、政治家には「自分なりの戦争体験」が必要だと思うからです。特に、世襲の政治家であればなおの事「父親の戦争」とそれに関して思ったこと、言うべきことがあるはずだと思ます。
なお、安倍総理と現職の2名の「戦争体験」も書きました。
本書で出くる「シンガポールの首相に言われて反省しました」ではなく「父親の戦争」について、まず語るべきことがあるはずです。もう語らない父二朗氏の名誉のためにも。
これを避けている方に安倍総理70年談話の成果を破壊されたくはありません。総裁選の有権者としての結論です。