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【オリジナル&リメイク比較】CUBEとは何だったのか?襲い掛かる罠の意味とは? CUBE(1997)と日本版CUBEをみた感想。映画レビュー的なもの

※ネタバレ注意※
本記事は、『CUBE(1997)』(オリジナル版)と日本版リメイク『CUBE 一度入ったら、最後』の一部ネタバレを含みます。(特にリメイク版)
既に、鑑賞済みの方、元々見る気がない方、に向けて書いております。
これから楽しみにされている方は、映画を見た後で、是非お読み頂けますと幸いです。
※ネタバレ注意※

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今年の10月22日に、映画『CUBE(1997)』のリメイク『CUBE 一度入ったら、最後』が公開されました。
恥ずかしながら、オリジナルを見たことが無かった私は、良い機会と考えて、とりあえずNetflixでオリジナル版を見ました。
予想以上にこれが面白く、基本的にグロ描写の多い映画は痛そうだから嫌いなのですが、(だから見てなかったのですが、最近は耐性が付いてきました。大人ですね。)思ったよりサスペンスが作りこまれていて、キューブの怖さに少しハマりました。
そこで、リメイク版の改変も気になり映画館。普段は、絶対見ると決めている映画以外は、ネットで前評判を見て決めるのですが、今回は勢いで映画館へ凸。一度入ったら、最後、個人的今年のワースト候補となるCUBEリメイクを見ることになりました。

本記事では、リメイク版のサゲよりも、私が感動したオリジナル版の良さをメインに語りたいと思います。
リメイク版については、どの様に良さをなくしてしまったのか、最後に少しだけ話すことにします。

また、冒頭にも述べましたが、本記事は内容の性質上、オリジナル版『CUBE(1997)』と日本版リメイク『CUBE 一度入ったら、最後』の一部ネタバレを含みます。(特にリメイク版)ご了承ください。

では、まずどちらの話をするにしても、CUBEがどんな話か、ざっくりと説明させてください。ネタバレとか全く気にしないから、とりあえずCUBEの話を読んでみたい、変わり者のために、両方に共通する設定とあらすじをお書きします。
どちらか一方でも見たことがある方は飛ばしてもらって大丈夫です。

◆設定とあらすじ
年齢・性別・職業がバラバラな登場人物達は目が覚めると、無機質な立方体の部屋にいます。立方体の6面すべてに扉があり、一見すると全く同じ立方体の部屋につながっています。ところが、この部屋の中には、侵入者を死に至らしめる残酷なトラップがしかけられている部屋もあるため、無防備に進んでいくことは危険。とはいえ、一か所にとどまっていては脱出できません。閉じ込められた彼らは自然と集団行動をとることに。
脱出の鍵となるのは、すべての部屋に割り振られた謎の番号。。。
死と隣り合わせの緊迫感の中、他人と協力して進むが、小さな軋轢がとんでもない事態へ物語を進めていく

てな感じです。
『SAW』みたいな、いわゆる密室サスペンスを想像していただければ、雰囲気はそれに近いです。

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では、オリジナル版CUBEで私が気に入った部分のお話をさせてください。
何故、オリジナル版を楽しいと感じたのか、結論だけ言うと、凄く怖かったからです。
それは、グロいトラップが迫ってくるから、とかじゃなくて、
キューブの成り立ちとそれが表現するもの、
それが登場人物達の状況と上手くリンクしていて、リアルな絶望感を感じたからです。
できる限り、その絶望感を伝えるために、物語の順を追って説明させてください。

オリジナルでは、登場人物達がキューブ内で目覚めてからというもの、度々キューブの目的が話題になります。
謎の立方体に閉じ込められて、殺されそうになる人たちにとっては、脱出を考えるうえでも、この話題は自然なことだと思います。目的が分かれば、それは何か脱出のヒントになるかもしれませんしね。後は、単純に「何で私が?」という思いにもなるはず。
序盤のやり取りでは、「頭のおかしい金持ちの道楽」だと言う者や「政府の陰謀による人体実験か何かよ」という者など憶測が飛びます。
もちろん答えは後になるまで分かりません。そういうプロットです。しかし、ここで大切なのは、“誰かの思惑で”ここに閉じ込められているということを信じて疑っていません。そして、その“誰か”を打ち負かすことこそが脱出と同義であり、皆に共通の敵がいるといこと。彼らはそれを元に団結できるのです。

そんなこんなで、彼らは「誰か」という出口に辿り着くためキューブを進んでいきます。
ところが1人だけ、何となくやる気のないやつがいるんですね。手伝えと言われれば、手伝うが、自分は無気力、どこか諦めているニヒリスト。これは周りの士気を下げます。当然衝突になるのですが、そこでこいつが何ととんでもないことを言います。
「出口なんてない」
そんなことをポロッと口にします。
やる気ない上に、お前何か知ってるな、と。
もちろんみんなが咎めます、知っていることを話せ、と。
実はこの男、キューブの外殻の設計に携わっていたという衝撃の事実
当然、非難轟々。黒幕は誰だ?誰にやとわれていた?目的は何だ?知っていることをすべて話せという流れへ。
ところが、本人も何も知らないとのこと。外殻の設計に携わっただけで、計画したものには会ったこともないし、この仕事はオフィスから出ることもなく片付いた案件で、特に質問なんてしなかったとのこと。
他の詳細も同様に、様々の人が下請けとして受注した部位のみを、目の前の仕事を片付ける形で携わったであろうことを説明する。そんなもんだろ、と。
さらに、企画者などは当に関わっていない。降ってきた目の前の仕事をこなしている人だけで回っている。つまり、黒幕や目的など存在せず、ただキューブがあり、それが動き続けているだけ。当初の担当者がいなくなろうが、一度プロジェクトが始まったら仕事が割り振られ、動き続けるだけ。途中で止めたらプロジェクトの意味がなくなってしまうから。でも、実のところとっくに意味なんてない。
こんな恐ろしい事実を告げる。
これを知った彼らは絶望する。自分たちの境遇を責める先もいないし、その責任の矛先など存在しない。やっつける相手のいない大きなシステム。ただの不運。

この絶望感は、自分が見ていた時もぞっとした。
みんなが与えられた仕事だけをこなしていった結果であって、それぞれ自分の仕事にしか責任はない。“誰か”が裏で糸を引いているわけではない。賢い人がそこから利益を得ることや、運の悪い人は不利益を被ることだってあるだろう。一時的には、誰かが悪者に見えるかもしれないが、その人がいなくなったところで現状は何も変わらない。そして、誰か1人の力で何かを変えることすら叶わない。
どうしようもないじゃないかと。
そして、これが社会の仕組みそのものを比喩的に、かなり凶暴な形で、表現しているように思えた。(近年だと『ジョーカー』や『天気の子』などはこの弱者側の話として描かれています。)

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天気の子

逃げることも、変えることもでずに襲い掛かる不条理が、その責任の矛先をどこにも向けることが出来ない。状況を受け入れて、ベストを尽くすしかないこの映画が、凄い怖いと同時に、「ああ、人生だ」と思ったのです。
この映画が出した結論(オチ)については、手放しで賛成するつもりはないです。(オチは是非、映画で見てみてください!)
でも、キューブという設定を思いついたときに、その説明を、人生に落とし込んだこと、そこは素直に、称賛に値すると思っています!

私は『CUBE』のような極端なシチュエーションサスペンスでは、基本的に何か寓話的要素があるほうが面白いと思っています。
(最近だと、スペイン映画の『プラットフォーム』が分かりやすい例だと思います。資本主義の格差社会を風刺した映画に見えます。)

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でないと、ただのフィクション止まりだと感じてしまいます。
見る側に伝わるかどうかは別として、リアルが含まれるからこそフィクションの意味があると思います。
『CUBE』はその辺のバランスが良かったと思っていて、だから高く評価しています。


◆「CUBE 一度は行ったら、最後」
結論から申し上げますと、日本版リメイク(以降、リメイク)ではキューブの成り立ちについては一切触れられませんでした。その代わりに、別のものをキューブの恐怖とリンクさせる試みをしたようでした。

その別のものとは、主人公の過去の過ちによるトラウマ
(劇中に、主人公のフラッシュバックとして、父親に虐待されて自殺した弟の姿が何度も移されます。そして終盤では、主人公は弟を助けることができず、自殺に責任を感じていることが分かります。)
リメイクとオリジナルの大きな違いとして、主人公が設定されていることでした。
オリジナルでは敢えて主人公を立てないことで、見ている人自身がその身でキューブを体験できる臨場感があったように感じます。
逆にリメイクで主人公を立てた理由は、前半で語ったキューブの恐怖性を主人公のトラウマと重ねる方向に持っていきたかったからだと思います。

過去の過ちは誰にでもありますし、それから逃れることは出来ません。できるのは、明日はより良い自分になるために前に進むことだけです。
トラウマから逃れられることのできない状況の比喩としてキューブを使うことは、別にありだと思います。上手い!と感心することはないですが、なしだとは思いません。

じゃあ、このトラウマが何を意味しているかを考えました。
リメイクでは主人公と同行する人の中に子供がいます。彼もまた虐待を受けており、「大人が嫌いだ」と話します。主人公はこの子供を生かすことでトラウマ(=キューブ)に打ち勝とうとします。また、他の登場人物には、会社役員で指示を出すだけで何もしない大人(「子供や若者が嫌い」と自分から言います。)と人当たりの良いフリーター(会社役員の態度に我慢できず、最後には「社会が悪いんだ」と言ってブチ切れて暴れます。)がいて、度々衝突し問題を起こします。

執拗な大人サゲ描写からして、リメイクでは、【悪い大人】がキューブの悪と重なるように描かれていると思います。【悪い大人】とは具体的に、社会では上手く立ち回って、溜まったストレスは子供や部下にぶつける大人です。
ここまで考えて思ったのは、
そりゃ虐待する人なんて最低だし、キューブの餌食になるべきだけど、それをこの映画で描く必然性を全く感じないし、無理やり感が凄い。
ひどいですね、でも、じゃあどうするの?
まあ、つまりはキューブの怖さを落とし込めていないので、見てる私は、キューブのトラップにハラハラする合間に、そこまで興味ない人のトラウマ克服を見せられるわけです。
キューブで起きている状況と全く関係の無い心理描写には、関心はしませんでした。

他にもノイズを上げたらきりがないです。
・柄本時生のミスリード
・死体の靴は使わないの?
・都合上この辺で、斎藤工は感動的にさようなら
・岡田将生に全部セリフで言わせちゃうんだ
・杏いる意味なし
など

とまあ、個人的には映画館で映画を見ながら、
これはオリジナルのキューブが作られたように、みんなが目の前の仕事をしたがために出来てしまったもの。(日本版のアダプテーションともなれば、人間ドラマを強調するのも分かる)俳優陣の演技はみんな素晴らしい。監督だって、一人で全部決めたわけじゃないさ、きっと。誰の責任でもないのだ。今俺は、ただこの映画を見るしかない。そうか、副題の意味はそういうことか、こちらへのメッセージだったのか。
じゃあ、俺にできることは、この体験を記事にすることしかない。頑張るよ。
と、皆さんに駄文を押し付ける結論となってしまいました。

これからも、映画を見て何か感じることがあれば、noteで共有していきたいと思います。
今後はできるだけ、絶賛の記事を書くよう心掛けますので、どうかお付き合いください。

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