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短編小説#8 End Summer 後編
夕刻。美しい夕陽を横目に高速道路を走っていた。疲労困憊のわたしは助手席で眠気と戦っていた。車から流れるバラード曲が眠りを誘う。双葉も眠いはずなのにひとつも文句を言わずに慣れない運転をしてくれている。彼氏ができるとしたらこんな男がいいな。
「湯崎は将来の夢とかあるのか?」
双葉は落ち着いた声でそう言った。わたしは「んー」と唸る。
「俺は教師になりたいんだ。あわよくば水泳部の顧問にもなりたい。湯崎は?」
「わたしはアイドルになりたかったなぁ。踊って歌ってちやほやされるアイドルに」
初めて口に出した心の奥底に閉じ込めていた夢。ほこりの被った夢。小さい頃の夢の話じゃない、今の話だ。わたしはアイドルになりたい。親に勧められた公務員じゃなくてアイドルに。
「いいじゃん。今日の湯崎はアイドルみたいに可愛いよ。ずっとドキドキしてる」
「それ吊り橋効果なんじゃないの?」
「多分違うと思う。湯崎がテントウムシの水着姿のときはこんな気持ちにはならなかったからな」
「はったおすぞ」
それから車を走らせて数時間、双葉から最後にどこへ行きたいか訊ねられて学校の屋上を選んだ。まだ線香花火が残っている。屋上で花火がしたい気分だった。空も暗くなってきているしさぞ花火がキレイに見えるだろう。
「金属バットで校舎のガラスを割るとか双葉って案外、大胆なんだね」
「一度やってみたかったんだよな」
学校の窓ガラスを割って侵入。真っ暗で誰もいない学校は幽霊でも現れそうな雰囲気があった。階段を上ると服が引っ張られている気がした。やはり夜間の学校には科学では説明できないこの世の理から外れたモノが現れるんだ。わたしは興奮して振り返る。双葉だった。
「何してんの」
双葉はわたしの服の端っこを摘まんでいた。興味本位で双葉の手を振り払ってみたが、迷子を恐れる子供のように再び服を摘まむ。
「湯崎はお化けとか怖くないのか?」
「むしろ会いたいくらい」
「会ってどうするんだよ」
「死後について聞きたい。どんな感じなのか知りたいなぁ」
「ははっ……まあそうだな」
双葉は軽く笑う。それ以降、屋上のドアをあけるまで双葉は一度も喋らなかった。
――ミーン。
屋上は風が強く吹いていて心地よかった。この風じゃあ線香花火は無理だ。わたしはレジャーシート並みのタオルケットを広げて仰向けになる。双葉も隣に寝ころがる。
「夏が終わっちゃうね」
「そうだな」
夏が終わる。もうじき八月が終わる。
彼は「最期の夏はどうでしたか湯崎選手」と、マイクを持っている素振りでわたしに質問する。最期ぐらい悪ふざけに付き合ってやろう。
「えぇそうですねぇ、勉強漬けの毎日でした。数学に英語に現代文、科学に歴史の過去問をひたすら解いてましたよ。それがわたしのプロフェッショナルです」
「さすが成績優秀の湯崎選手だ。偉いですね」
「頭がおかしくなりそうだったからね。先のない未来に何をしても無意味だと思うと何もしたくなくなって、でも何もしないと不安で怖くて。現実を受け入れられなくて考えたくなくて、わたしは勉強ばかりしていた」
わたしは星を掴むように手を伸ばした。双葉は何も言わずにわたしの手を握ってくれた。彼の優しさに目頭が熱くなる。
「死にたくないなあ……」
『地球に巨大隕石が落下する』、NASAから全世界に向けて発表されたのは八月の上旬ごろだった。
その隕石は地球の大きさを半分ほどでアジアを中心に衝突する。衝突する日は八月三十一日。ミサイルや人工衛星をぶつけても無駄に終わった。夏休みの最終日が人類滅亡の最期の日であった。今も頭上には隕石が見える。真っ赤に燃えた隕石が。きっとあと十数時間で衝突するのだろう。
「両親も友人も、みんな家に籠ってセックスだよ」
「……」
それが動物の本能なのだろう。死に際になると種を残そうと本能が働きかけて性欲があがる。それに性交は一種の麻薬でもある。ひとときの快楽が死ぬことを忘れられるのだろう。
「俺も湯崎と同じようなもんだ。現実逃避であの市民プールで毎日のように泳いでた。そしたら夏休み最終日になってた」
「本当に死ぬのかな、わたしたち」
「死ぬでしょ。あれを見たら誰だって死を覚悟するよ」
「やりたいことも沢山あったんだけどなぁ。結婚もしてみたかった」
「俺も大学で遊んで、遊んで、遊びたかった」
「己に素直でよろしい」
もうすぐ死ぬ実感がないから涙は出ない。双葉も星を眺めるみたいに隕石を見つめていた。
「湯崎、好きだ」
唐突の告白にわたしの思考は一瞬止まる。告白なんて生まれて一度もされたことがなかったため素直に嬉しかった。吊り橋効果だろうが嬉しかった。
「ん、ありがとう。わたしも今日一日過ごして双葉が好きになったよ」
「だったら」
「セックスはしない」
双葉は言葉を詰まらせる。図星だったか。
「俺は童貞のまま死ぬかぁ…」
「いいじゃんそれで。セックスしたら双葉満足しちゃうでしょ。満足しちゃったら生まれ変わったときに私たちが結ばれることが無くなっちゃうかもしれないじゃん。後悔があるほうが、心残りがあるほうが、また来世も一緒になる可能性が高くなるんだよ。自然と惹かれあうんだよ。もう会えないなんてそんなの嫌だよ」
「湯崎……」
「セックスはしません。でもキスはしてあげます」
「ほんとか!」
双葉は顔を近づけてくる。唇を尖らせてそのままキスする勢いだった。ロマンチックが欠けたキスはお断りだ。ビタンッ。彼のほっぺをひっぱたたいてやった。
「――!?」
赤らめた頬を触りながら唖然とする双葉。彼の間抜け顔が面白くて鼻で笑ってしまう。
「目を閉じて。わたしがする」
彼に身体を近づけてゆっくりと押し倒す。
彼はされるがままで簡単に押し倒すことができた。
初めての接吻。温かくてしょっぱい味がする。
わたしと彼は意識を失うまで唇を重ね続けた。
――。