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短編小説#8 End Summer 前編

 八月三十一日は夏休み最終日。
 高校三年生であり受験生でもあるわたしの高校生活最後の夏休み。それなのに友人達との思い出作りなんて皆無で勉強漬けの毎日だった。
 
 そんなわたしは最期の夏休みを満喫したくて旅行に出かける決意をした。和室部屋のタンスから蝶々がデザインされた白いワンピースと小麦色の麦わら帽子を取りだして着替える。そしてキャリーケースに荷物をつめて家を出た。

―――ミーンミーンミーンミーン。

 深海のような碧い空。大きな入道雲。日本特有のじめっとした猛暑と蝉の求愛行動。夏休みは終わるというのに夏はまだ終わる気配はなかった。

「あちゅ……」

 汗が染み込んだワンピースが体にへばりつく。こそばゆい感覚が不快で服をぜんぶ脱ぎ捨てたくなる。それもあと少しの辛抱だ。わたしはこの不快感を洗い流すためにある場所に向かっていた。

 そこは良く言えば天使の水浴び場、またの名を市民プール。テニスコート二面ほどの小さな屋外市民プールだった。夏になると子供や健康志向のお年寄りで溢れかえるが今日は誰もない。貸し切りである。

「さてと」

 市民プール独特の匂いがする更衣室で服を脱ぎはじめる――が、誰もいないのは分かっていても、やはり全裸になって着替えるのは恥ずかしかった。タオルを忘れてしまい隠すものが何もない。わたしは恥じらいある乙女なのである。あっちこっちに視線をめぐらせながら結局、個室で水着に着替えた。

「……」

 ロクに確認もせずにタンスにあった水着を持ってきたのが間違いだった。ビキニではなくワンピースタイプの水着。そこまでは良いのだが、水着のデザインが奇抜すぎて絶句してしまった。
 
 赤色の生地に黒い点がいくつもある。テントウムシにでも変身した気分だった。

 いや、テントウムシは訂正しよう。これはイチゴ柄の水着である。まあどうせ誰もいないだから気にしする必要はない。汗を流せればそれでいい。ほなまずは準備体操をして……お?

「よう湯崎」
「……」

 わたしは天を仰いだ。それから恥ずかしくなって両手で顔を覆う。
 
 残念ながら貸し切りではなかった。わたしを湯崎と呼ぶ彼は同級生の双葉一葉《ふたばかずは》。彼は水泳部で、一か月前の全国大会で初戦敗退して引退したばかりの元部長である。陰キャのわたしと正反対の陽キャである。天使の水浴び場を汚すパーリぃーピーポー野郎だ。そんな彼はわたしに指をさしてこう言った。

「テントウムシの妖精かよw」

 そのボケに恥じらいは消え失せた。わたしは渾身の足蹴りを彼の腹部におみまいする。まるで車に跳ねられたかの如く、彼はきれいな曲線を描いてプールの中心に落ちていった。ざっぶーん。いっけなーい殺意殺意。

「おまっ、殺す気か!」

 そう叫んでいるが彼はどことなく楽しそうに笑っていた。わたしも笑っていた。

「なあ湯崎、ひとつ勝負しないか」

 彼はプールの端から端を指でさす。どうやら25メートルの泳ぎの勝負がしたいらしい。

「負けたらアイスを奢るってのはどうだ。ハンデはそうだなぁ……俺は平泳ぎにするよ。これでどうだ。こういう賭け事、お前好きだろう」
「ん」

 水中のチワワの異名を持つわたしに平泳ぎとは舐められたものだ。わたしは助走をつけて思いっきりジャンプ。彼の近くで大きな水しぶきをあげた。

―――ミーンミーンミーン。

 勝負はもちろんわたしの負け。5戦5敗の圧倒的敗北。そりゃあ全国大会に出場しているやつに水中のチワワが勝てるはずがない。でも約束は約束なのでアイス自販機で氷菓を購入して彼に投げた。平然とキャッチするところがバリむかつく。

「サンキュ。湯崎はこれからどうするんだ」

どうするもなにも旅行の途中なんだけども。目的地の設定していない一人旅だ。とりあえず夏らしいことしようかなって思ってる。花火したりスイカ割をしたり思いつくもの全部。

「え、おまえソレひとりでやるのか?」

もちろんだとも。

「でもいいな。そのキャリーケースには夏らしいことをするための道具が入ってるのか?」

コクリと頷く。この後は何しようか。アイスを咥えながら考えていると、双葉が「よし」と声を張った。

「決めた。湯崎、俺も一緒に行っていいか?」

 その時のわたしは一体どんな顔をしていただろうか。少なくとも嫌な顔はしていなかったと思う。だってわたしの顔を見て双葉が嬉しそうに笑ったから。

「そんで次はどこへ行くんだ?」

どこへ行くと言われるとパッと思いつかないな。

「湯崎が行きたいところでいいんだよ。遠いとかお金とか気にしなくていいから、心のままにさ。最期の夏休みなんだから」

それなら水族館に行きたいな。車で海辺の道を走りながらさ。

「めちゃくちゃ言うなぁ。車の運転なんてレースゲームでしかやったことないぞ。事故っても知らないからな」

 それから双葉は「ここで待ってて」と言い残して車を探しに行った。数分後、双葉が用意した車は諭吉が何千人も必要な、いわゆる高級外車であった。

「冷房が効いてた方がいいと思って、天井有りのものにした」

 さすが分かってるじゃん。キーのボタンを押すとドアが自動的に開く。その自動ドアは横でも縦でもなく斜め上に上昇する。こんな車はトランス〇ォーマーでしか見たことがない。

 思わず「おぉ~」と感嘆の声が漏れてしまう。それだけではなく座席はふかふかで、冷風はアルプス山脈の麓に吹く風のように心地よい。文句ない。

「ところで湯崎、どこの水族館に行くつもり?」

品川九景島パラダイス。それを双葉に伝えると。

「遠くないか? 池池袋にも水族館あるけど」

たしかに池池袋にも水族館はある。だけど首都高、爆走したくない?

「お、分かってるじゃん」

 双葉はエンジンをかけて猛スピードで車道に飛び出す。縁石に乗り上げたり壁にぶつかったり、数えきれないくらい心臓が飛び出しそうになったが無事に生きて水族館に着くことができた。

 水族館をひととおり見て回って、飽きたから海に入って、それから砂浜で花火をした。とりあえず夏らしいことを思い出せるかぎり堪能して双葉とあそび尽くした。

――ミーンミーン。

 

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