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『海に眠るダイヤモンド』、そして昭和という異世界転生の物語

『海に眠るダイヤモンド』というドラマが大好きだった。野木さんの脚本はもちろんのこと、塚原監督のドラマ『Nのために』も本当に大好きだったので、このドラマが日曜劇場で見られるとはじめて聞いたときとても嬉しかった。実際見てみると、青春群像劇として本当に素敵なドラマになっていたと思う。

PLANETS批評座談会でもあれこれ語ったのでよければぜひ。

私はなにより主役三組のキャラクターがみんな好きで、野木さんの脚本の女優輝かせ力はいつも最高! と思いつつ見ていた(これはドラマの本筋とはあまり関係ないことだけど、野木脚本の真髄って女優の当てがきにあるのではないかしらといつも思う。『俺物語!!』で永野芽郁ちゃんを発掘したり『図書館戦争』の榮倉奈々さまや『逃げ恥』の石田ゆり子さまや『アンナチュラル』の石原さとみさまの魅力再発見を成し遂げたりした手腕は只者ではない。大石静が男性俳優の発見がうまい脚本家だとすると野木亜紀子は女性俳優の発見がうまい脚本家だと常々思っている……って余談でした)。今回も杉咲花土屋太鳳池田エライザの三人の演技に惚れ惚れしつつ見ていた。

一方で、このドラマが素晴らしいなと思えば思うほど、同時に端島と新宿という舞台の行き来でうまれた本作の物語で、気になるところがあった。

それは、これが昭和30年と平成30年を行き来する物語であるということだ。


本作は昭和の端島(軍艦島)で働く人々の記憶を、現代の新宿で出会ったふたりが見つめ直す物語である。

昭和日本の高度経済成長期を支えた石炭ーー端島という場所で生産できるエネルギー。それは時代が下るとともに必要とされなくなり、鉱山は閉じられる。だけどたしかに石炭が出ることを祈りながら生きていた人たちは存在していて、そういう人の誠意や情熱がなかったことになるわけではない。嘘だとわかっていてもフィクションが人の心を動かすように、石炭の島でなされた約束が一面のコスモス畑を生み出すように。

生産性がなかったとしても、誰かの生きた証が、なかったことになるわけではない。ーーこれはそういう物語だったと思う。

しかし同時に思うのは、端島と新宿は、この物語だともうなんか別の国かな? 異世界かな? と思うほど途切れた場所となっている、ということだ。昭和30年の端島は、平成30年を生きる玲央や朝子にとって、もはやユートピアのようになっている。鉄平と玲央を同じ神木隆之介が演じていることもあって、ある意味、玲央が過去に戻って転生するかのような、「逆転生もの」のように私には見えた。異世界転生ではなく昭和転生の物語。

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