『ダンジョン飯』とは「ケアの倫理」の物語である
『ダンジョン飯』(九井諒子、KADOKAWA、全14巻)が完結した。名作だった……。
アニメが放送中で(オープニングの映像がとても素敵なのでそこだけでも見てほしい)、評判も上々だという。
私は『ダンジョン飯』を、徹頭徹尾、ケアの倫理の問題を扱った物語として読んだ。
そしてそんな物語がここまで人気になって、たくさんの人に読まれている状況にもすごく感動している。なぜならケアの倫理はーー多くの書籍が指摘する通りーー多くの人に無視されてきた概念だからだ。
※以下ネタバレ含みます
1 モンスターを倒す勇者の夕食を作ったのは誰か?
スウェーデン出身のジャーナリストであるカトリーン・マルサルは、『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』という著作の中で、ある問いを発した。
経済学は「お金を得るために、肉屋は肉を売り、客は肉を買うことで、ステーキを得ることができる」と考えた。つまり、肉屋はお金を得るため、客はステーキを得るために、肉とお金は交換される。それは全員自分の欲望に忠実に動くからこそ成り立つ契約である。
したがって、経済学は人間全員を利益を得たいという欲望を持った存在として考える。経済とは、人間が欲望のままに動くからこそ、成立するものなのだ。アダム・スミスはそう言ったらしい。
だが、考えてみてほしい。客が肉をステーキとして食べるには……ステーキを焼く人が必要になる。
アダム・スミスの食事は生涯母親がつくっていた。アダム・スミス自身がステーキを焼いても良かったはずなのに、母親がステーキを焼いた。それは母親が彼のケアをする役割を持っていたからだ。母親は息子からステーキを焼くお金をもらっていたわけでもないのに、息子のステーキを焼いた。みんながごはんを食べるために、誰かがステーキを焼かなければいけなかったからだ。それを人は「ケア」と呼ぶ。
ケアは経済でないものとされる。肉を買えばステーキを食べられると思っている。しかし本当は、その間に、無償でステーキを焼いている人が存在している。家族の中でおこなわれるケアは、お金にならない。それでも人々がケアをするのは、それが倫理的なふるまいだからだ。
ケアは、利己的な欲望から成り立つものではない。倫理的な義務から成り立つものだ。
まとめるとこうなる。
ーー人々の「利己的な欲望」を大前提とする経済学は、「ケアの倫理」を無視しているのではないか? 『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』はそんな問いを提示した本である。
そういう意味で、『ダンジョン飯』はきわめて本書の議論に近い物語である。この物語が最初に提示するのは、これだ。
モンスターを倒す勇者の夕食を作ったのは誰か?
……センシだ。
2『ダンジョン飯』とケアの問題
『ダンジョン飯』は、妹を助け出すために、仲間とダンジョンを冒険する勇者ライオスの物語だ。……が、この作品の根幹は、「地下には充分な食料がないので、倒したモンスターを料理して食べることにする」ところにある。
スライム、ゴーレム、大サソリ、炎竜、バジリスク。ダンジョンで出会うモンスターを料理しながら、彼らは旅をする。いくら素晴らしい魔術があっても、伝説の剣を持っていても、素敵な仲間がいても、がむしゃらに戦ってもーーごはんを食べなければ力は出ない。そしてごはんを作ってくれる人がいないと、ごはんは食べられない。
『ダンジョン飯』は、しばしば自分をケアすることの重要性を指摘する。
ごはんとは、ただの栄養補給ではない。それは自らに対するケアである。『ダンジョン飯』は常にそう説く。
睡眠をきちんと摂ったり、規則正しい生活をしたり、おいしくごはんを食べたりすること。それによってはじめて勇者は自分の力を発揮することができる。
ドラゴンを倒すために必要なのは、ドラゴンを倒すことだけではない。ドラゴンを倒すことができる体をつくることが、必要なのだ。
経済学がしばしばケアする人の存在を無視してきたように、古典的勇者ファンタジーはしばしばケアする人の存在を無視してきた。魔法で体は治癒できるし、金貨でごはんは買えるし、睡眠をとらなくてもMPは回復してきた。しかし、よくよく考えてみれば、それは人間の原理に反している。魔法で勇者を治癒するためには、そもそも魔法使いの休息が必要になる。金貨で買ったごはんを食べるためには、料理する時間や技術が必要になる。睡眠時間をとらないパーティーには、仲間は集まらないだろう(ブラックなパーティーよりもホワイトなパーティーのほうがいいに決まっている!)。
そう、『ダンジョン飯』とは、ケアの問題を扱った物語なのである。
3 翼獅子の正体とは「資本主義」のこと
さてそんな『ダンジョン飯』には、国の守り神である翼獅子というキャラクターが存在する。『ダンジョン飯』の後半、この翼獅子とライオスが対峙することになる。
翼獅子はとても面白いキャラクターである。彼は、資本主義経済の原理そのもののような存在だ。
翼獅子はアダム・スミスと同じようなことを言う。「欲望を持ち続ければ、この世界はよりよくなる」と。
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