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数と帰納と演繹とアブダクションの不思議不思議

 西原宏夫さんのメルマガ9月11日「ギブを重ねることで意味のある存在になる」を読んでこの本をすぐ買った。買った理由は数字に対する怯え癖が強くて、そろそろいい加減何とかしたいから。会社、肩書、実績、大学、収入、それからただの疑問や質問を叱責に感じる、数と失敗への怯え癖。とにかく人にも場所にも相当緊張して疲れる。でも、理由はないけど、もう一歩進めば数の方が少しマシになりそうな気がしていて。
 そんな理由でこの本を手に取る人はいなさそうだし、私はこの本だけなら手に取らなかったはず。メルマガを見て、この本は私に要る気がすると思ったから手に取れた。

 それが「帰納と演繹とアブダクション」にどう関係するのかというと、9月13日の知的好奇心向上委員会ICUC「025「科学哲学と自分という雑誌を作ること」」。duction にdeという接頭語が付くと演繹、inが付くと帰納、abは推論または拉致、proは生産、英語にするとわかりやすいって話があった。
 英単語をほとんど覚えてない私でもduction周りだけ記憶できて嬉しかったんだけど、これが「あえて数からおりる働き方」にも出てきた。小さな帰納と小さな演繹でアブダクションを活かす。

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 とは言っても速読の反対、超ゆっくり読なので、まだ読んでるのはこの辺り。

 帰納法(induction)で仮説(abduction)を、仮説から演繹法(deduction)で他に用いて仮説を検証するのが大事ですと書いてある辺り。日本人は帰納法は不得意なので、まずはメモを取る事から始めましょうとつづく。

 「だからそこが出来たら苦労しないんだって!」と言いたくなる箇所はいくつかあった。あったんだけど、それは例えばメモを取ることで帰納法の訓練になるけど、どこを大事だと思ってメモするのかが分からないってことなので、分からずともこれが帰納法の訓練になると思いながらメモを取り、時々帰納してみて、上手く帰納しないならメモの勘所なり帰納の仕方をやり直していくってことを繰り返して体験しないとダメなのであって。経験を少なく少なくして生きてきた後遺症は痛い。

 本の中ではアブダクションの例と共に、だから「メモの魔力」が売れてる理由がわかるとも。本を閉じてTwitterを開くと今度はツミアゲ書店からこのツイート。以前からツミアゲさんには「メモの魔力」の図解があることは知ってたけど。このタイミングでのツイートと拝見、不思議。

 メモという行為は抽象化、帰納の始まり。抽象化する=わかりやすくすることで欠けるものがあると教えてもらってから、どちらかというとやっちゃイケナイくらいに思ってた気がする。視野の狭め方が極端なのも悪い癖だな。信用できる人が言ったことは信用していいけど、盲信しないこと。
 そうは聞いたけど自分だったらこう考えるを先に、それから信用する人だったらどう考えるかなと思いつつ、メモをとるようにしてみようかな。

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