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当たり前は当たり前じゃない。

高校生の時に誰かがTwitterで呟いていた言葉。
そうだよなぁ、と毎回考えさせられていつしか私は私の生活の理念みたいなものになっていた。
今日はここ最近でそれを強く感じられた出来事を書く。

2022.1.29 コロナの濃厚接触者となり、急遽家から出ることになった。
急激に増える感染者に危機感を覚えつつも、まさか自分の家族がなるなんて考えてもいなかった。

それまで私は実家暮しで、親と姉と犬と暮らしていた。疲れて仕事に帰ってきた時にはご飯は用意されていたし、なにかあっても誰かしらいるような環境だった。買い物や、家事だってできる人がする。車を持っていなかったのもあり親に送り迎えをしてもらうことだってあった。だから周り曰く、私は「箱入り娘」らしかった。上司から「本当に大丈夫?箱入り娘だからね。」と何度も言われた。「何も出来ないわけじゃないのに」と心の中で思いながら笑って誤魔化した。

濃厚接触者という報告を上司にした際、「あなたは離れて暮らさなきゃいけない状況です。職場近くの寮に入ってもらいます。」と連絡があり急遽夜に荷物を詰め移動。これから海外旅行へ行きますくらいの荷物だったけど実際生活していく上では最低限の荷物だった。

着いた途端、管理人のおじさんから「除菌をして」と言われ、「あなたは大丈夫なの?」「お母さんは陰性?陽性?」などなど根掘り葉掘り聞かれた。
部屋に案内される前から、「ここは元々ここの主がいたところの部屋だからね、急遽開けてもらったんだけど。汚いんだよなぁ」 と言われ入った部屋は一見綺麗そうに見えて、やはりボロボロだった。さすが築40年だけある。

電子レンジ、冷蔵庫は置いてあるのに使えない。
床や壁に変なシミが沢山ある。
埃っぽい。
蛍光灯がチカチカして切れている。
シャワーが使えないと思いきや、洗面所の蛇口の根元から水が漏れて最終的に床から水が出てくる。そのため流しで頭を洗い、体を拭く。
洗濯室はあるが部屋から出れないため洗濯は手洗い。
そんな感じで、不便なことが沢山あった。
移動するまでの日々とのギャップがありすぎて、寂しいという気持ち以前にショックが強く、来て早々泣いてしまった。

だけど考えてみれば食料は寮にいる同期に頼めば食べれるし、火や電子レンジがなくても、お湯でなんとか食べれる。
寂しくなったらSNSを使って誰かとやり取りもできるし、洗濯だって洗剤があるんだからなんとかなる。
寝床もベッドと布団、ストーブがあるので寒い訳では無い。
映画でみたキャストアウェイは、食べ飲みできるものがないので足から血を流しながら食料を探す。雨が降ったら洞窟のジメジメしたところで寝ないといけないし、話し相手も居ないので流れてきたボールに自分の血で書いた顔を書いて話しかけてた。
映画パラサイトでは真っ暗な地下室で、人が住んでいる。助けを呼ぶことが出来ないので、地上に繋がっている電気の回線を使ってモールス信号をおくる。

そんなことを考えてたら、最悪って思ってたこの環境自体もまた、当たり前ではないことに気づく。
なんて今までも今も裕福なのだろう、と考えていた。
そしてたくさんの時間があることにも気づいた。仕事に行ってないこの時間は何に使おう、自分のためだけに使える。だからこの時間を無駄にはしたくなくて部屋を一式掃除した。来た時よりも綺麗になった。最近サボっていた勉強も少しずつまた始めた。筋トレをして、汗を流している。そして今この気持ちを忘れたくなくてnoteに書いている。

やや前向きな内容を書いてるように見せているが、実は心の2割くらいは寂しくて不便でなんでこんな、、なんて考えていたのも事実。なんだか重くモヤモヤした悲しいような寂しいような辛いような感情がずっと付きまとっている感覚。これは経験した人にしか分からないと思う。

話は変わるが、大阪で見たおじさんや駅の寒いホームのベンチで寝ているおじさんがいた。ずっと俯き加減で手を合わせ小さな容器の中にお金を貰おうとしている人を見て人々は笑いながら素通りしていく。私もその中の1人だった。「可哀想」と見て見ぬふりをした。
生活が困難な人が、ここまでなった過程を私は見てきた訳では無い。もしかしたら、いい加減にお金を使ってお金が無いのか、詐欺なのか、とか人間だから少なからず思うことだってある。
でも私は彼らのことをずっと養うわけではないし少しくらい力になれたら、という気持ちで、パンの1つでもあげれたら良かったな、と思った。

お金が無い、生活ができないの根底には言葉に表せない「孤独」がありそうだった。予想だけども。

綺麗事を並べてるような内容になってしまったが、これが私の今感じていること。
そうやって考える人が増えたらもう少しみんな幸せになれるだろうか。

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