朝のジョギングで頭を整理するはずが、リスを見ては子供を重ねてしまう
こんばんは。子育て中だとなかなか写真を撮るタイミングも整理する時間もないのに、なぜかリスの写真が最近溜まっています。
もっと子供の写真を撮っておきたいと思うのですが、小学生も中学年になると日常の風景は決め顔をするようになってきて写真を撮る頻度が少し減ってきました。
ちょっと反省して、もう少しママ友を見習って日常の一コマを撮ろうと思うのですが、なぜか当たり前すぎる日常が貴重なことに気づけません。今日もリビングでミニボールを使ってJリーグやWカップが繰り広げられているのですが、私はゆっくり本を読みたいのに下(リビング)がうるさいなくらいにしか思っていない自分がいます。
自分の子供時代は両親にも可愛いとか大好きと言われたことは全くなく、親にも大好きだといった記憶がないのですが、今の時代の子供がうちの子供も含めて普通に「大好き」と言ってくれるのは欧米化や自己肯定感を育てる風潮だからでしょうか。昭和の時代をひきづった自分としては、たまに怒って「大嫌い」とか「うるさい」と言われ腹が立つのも帳消しにしてくれます。
なんだかんだ言っても子ども達はまだ自分(母)がいないと心配なのか、ちょっと帰りが遅くなると家の外で待っていてくれたりする可愛げがあります。去年は、帰ってくる頃に雪が駐車場に積もらないように二人で雪かきしながら待っていてくれたことがありました。自分の子供時代は親が帰ってきたら、テレビをさっと消して玄関に出向いたり(小学生時代)、自室に逃げたり(中学生時代)、大したことをしていなかったので、子供達の方がよっぽど気遣いがあるのでもう少し怒らず褒めてあげた方がいいなと書いていて思いました。
親になる覚悟をたいして持たず親になったと気付いたタイプ(私)で、教育論も子育て論も持ち合わせていないのですが、それでも借り物の思想じゃないものを自然の中で考える時間に朝のジョギングがなっているのかなと思います。
もっとビジネスアイディアとかが思い浮かんで、シングルマザーが朝のジョギング中のアイディアを機に起業して成功みたいなストーリーをNoteに書けたらいいなと密かに思っていますが、今はこの自然と子育てを満喫していようと思います。
明日も良い一日を!