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揺らぐこと、震わせること。

笑ってしまうような話なのですが、
いっとき吉本ばなな先生にどハマりしていて
(今でも大好きです!)、

先生が寄稿していた
10ページばかりの文章が読みたいがために
200ページのスピ本を購入し、

先生の文章の箇所ばかり
繰り返し読んでいたことがあります。


そこに書かれていたのは、


生来の自分を押し殺すことで
現代社会に順応していった
(と思っていた)ものの

それがどうしてもうまくいかなくなり、
どん底にいたところを、

ある考え方に出会い実践することで
自信を取り戻し、
自分らしく輝けるようになった


という、
吉本ばなな先生ご自身の体験談でした。


人の目を気にしては
自身の光を自ら消していってしまう
日本人にとって、

この考え方はかなり有効ではないだろうか

みんなが幸せになるホ・オポノポノより抜粋



この言葉に心を揺り動かされた私は、
先生の寄稿文を貪るように3回ほど読んだのち

本の最初のページに戻り、
残りの190ページを読んでみました。


そこに書かれていたのは、
ハワイに古来から伝わる思考法でした。

若干のトンデモ感は拭えなかったものの、
「水と言葉を大事にする」
ということは理解しました。


本に書かれていた内容を
1週間ほど実践してみたものの、
それを継続するには
私はちょっと忙しすぎたようです。

そのうち億劫になり、
忘れるようになり、
再開するのもなんだか後ろめたく、
忙しない日常のなかで
本の内容を思い出すことを
諦めてしまいました。



諦めずに継続していたら、
もしかしたら私の人生は
今とは異なっていたのかもしれません。

でも、かつての私と同じように、

「これをやれば人生が変わる!」

と物珍しい本に飛びついたものの、
やがて飽きてしまって
いつしか本棚の隅っこに
本が追いやられている・・・

こんな状態の方も多いのではないでしょうか。



人生を変える、
とってもいい方法に思えて着手したのに、

どうして、明日も明後日もその先も、
変わらない日々が続いているのでしょうか・・・



一方で、去年の今頃の私が
現在ただいまの自分を見たならば、
あまりの変わりように
泡吹いて気絶するかもしれません。

その違いはなんなのだろう?


3ヶ月の勉強会参加を終えて



今回、参加しているライティングの勉強会が
一定の区切り(3ヶ月)となることから、


卒業制作として、

私の理念である
「祈承天結」
を深掘りする記事を書こう、と思いました。



・・・思ったのですが、
なかなか筆が進みません。


実はこの文章を書くのは、
書いては消し、
消しては書きを繰り返して4回目です。



勉強会の主宰者のひとりである
だいちゃん先生とも約束したのに、
しかもその約束のとき、


「書きまーす。
 ハイ、なんとかなるっしょ~アッハッハ」


と余裕ぶっこいていたのに。


いただいたテーマに関する資料も読み返して
ハコガキ(全体の構成)も
キチンと考えて挑んでいるのに。


いっこうに文章が進みません。



時代劇の拷問のシーンで、
正座した両脚の上に
石の板を置くのがあるじゃないですか、
だんだん板の枚数を増やしていく
痛そうなやつ。

パソコンのキーボードを打つ私の両手の上にも
あの板が乗っかってるんじゃないかってくらい
重かったです。


頭重心で文章を組み合わせるのではなく、
身体の内側から湧き上がってきたものを
取り出していきなさいよ、
という天からのメッセージなのかもしれない。

そう思った師走の私は、
書き直し4回目の文章を
自由に書いてみることにしました。
もういいよ、フリーダムで、さ。


なので、

「え?なぜ急に吉本ばなな!?」

という出だしで始まった理由は特になく、
ふと、
「文章」「セールスライティング」という
枠をぷかぷかとたゆたってみたところ、
吉本ばなな先生のあの文章が
思い浮かんだからなのです。

最後まで出来の悪い生徒なのです。



言葉の背景や理由を感じ尽くして、
尽くしきったその先に
表現というものがあるのに、
ぴゃっと取り出してしまうんですよね。・・・

・・・忍耐。

勉強会修了後はおろか、
恐らく来世まで持ち越すであろう、
私の課題でもあります。


揺れては戻った3ヶ月



「課題」、と言えば、
勉強会に参加している期間は

「~しかない」

「どうせ~だから」

という思考と向き合った
3ヶ月間でもありました。


お金を出してライティングの勉強会に
参加するくらいです、
皆さん才能にあふれていて、
実績とかもすごくて、
取り組む姿勢も前傾姿勢なんですよ。


ドヒャーってなりました。


対して、
才能もビジネス経験もなにもない私。・・・

「場違いだな、自分・・・」

と思うことも幾度となくありました。


毎朝4時に起きなければいけない関係で、
なかなか22時からの勉強会に
参加できません。



皆さん、お仕事をしながら
頑張って参加しているのに。

私ったら、根性なしです。



年齢のせいにもしました。


今さら勉強しても身につくのだろうか?
内心(なんでBBAがいるわけ?)って
思われてるんだろうな。

そんなことも脳裏に浮かべてみました。

全然。
皆さんがそんなこと思わないのは
分かっているのに。


揺らぎます。

毎日、ぐらぐら。

揺れっぱなし。


一日のなかでも振れ幅はやっぱりあって、

「私ったらすごい、がんばってるジャン」

と思う朝もあれば、

「ねえバカなの?調子ぶっこいてるよね?」

と思う昼もあるんです。

(そして夜は爆睡します)


こんな、どうしようもない私でも

カンダタの蜘蛛の糸レベルで
皆さんの後にしがみついてこれたのは、

やっぱり、

「理念」があったから。

祈承天結(きしょうてんけつ)、
という理念。


心が「ねるねるねるね」の出来損ないのように

不自然にべっとり甘ったるく飽和しても。


理念を思い出すことで、

また、
勉強会に参加してみようと思う
きっかけになった
主宰者のお二人の話を思い出すことで、

「・・・っしゃ、がんばろう」

と自分を立て直すことができるんです。



そして・・・

『人の目を気にしては
 自身の光を自ら消していってしまう』

冒頭に紹介した、吉本ばなな先生の文章。


私が課題として感じている

「~しかない」

「どうせ~だから」

って、まさにこの
『人の目を気にして』だなと思うんです。

外的自己を取り繕う自分。



(他の人と比べて)~しかない。

(他の人と比べて)どうせ~だから。

これって、完全に自分の妄想です。


妄想なのに、
そのときは、そう思ってしまう。



分かってるのに。

やっかいですね。

ホント、やっかいなんです。心って。

揺れるんです。

ぐら、ぐら。

でも、そのたんびに思い出すんです。
理念と、熱を。

そして、寄せては返す波のように、
じぶんの真ん中へと、戻ってくる。




全然関係ないけど、
『ぐりとぐら』の黄色いカステラの絵に
唾を飲み込んだのは
幼い日の私だけではないと思います。


スターコンセプトを炙り出す「プチプチ」



勉強会では、

「まずはスターコンセプト(理念)を
 見つけましょう」

と、人生の棚卸をするところから始めます。


そこから、人生全般に共通するテーマや
課題などといったものを見つけ、
理念へと昇華させていく。


勉強会の期間3ヶ月のうち、
1~2ヶ月はこの期間に充てられます。



ライティングの勉強会というと、

「継続案件を獲得するためには・・・」

とか、

「マネタイズがどうたら・・・」

とか、そういう
「「「ザ・ビジネス!」」」を
イメージされる方が多いと思うんです。



でも、
まずは「理念」。



この大切さは、
私が揺れまくり、ぶれまくっても
ホームポジションに
戻れるようになったことで
重々感じています。



理念がなかったら
糸が切れた凧みたいに
翻弄されちゃいますからね、
時代の流れに。

その時々のトレンドや
その場の思いつきに流され、

いつまでもいつまでも
自分のほんとうの居場所、
ほんとうのビジネスを探して
さまようことになってしまいます。



私が、吉本ばなな先生の文章がステキ!
という理由だけで
ハワイの思考を取り入れようとしたけれど
うまくいかなかったのって、

これが原因なんですよね、結局。

理念がなかったんです。

だから、「社会」が吹かせる風に
身を任せるしかなかった。


理念の大切さに気がついた今となっては、

  • 痩せたいのにジム通いが続かない

  • お金を稼ぎたいのに行動が継続できない

  • 最後の恋がしたいのに出会いがない

こういったことも、
理念がないことが原因なのかなと
思う次第です。


そう考えてみると、


勉強会に参加して
枝葉の話を始める前に、
どしんと太い根を張らせるきっかけを
作っていただけるのって
本当ありがたいです。


「じゃあ、肝心の

 『理念を見つける過程』

 って、どんな感じなの?」


気になりますよね。



・・・

正直、辛いです。吐くほど。



なぜなら、理念を見つけるための棚卸は
顔を覆いたくなるような自分や、
幼い日の塞がれた記憶を
見つめ直す機会でもあるからです。



当時の感情を追体験して、
あの時の自分を俯瞰し、
認め、なだめていく作業。


緩衝材のプチプチを想像してください。

1なだめが1プチだとしたなら。


ひとつふたつなら、楽しいです。

プチプチ好きな方なら、
5列くらいは無心でプチれるかもしれません。


でも、その作業がプチプチ5mくらい、
いや、年齢メートル分あったとしたら、・・・


それにプラスして、
そんな「ザンネンな自分」を
勉強会の仲間に見せることの葛藤。

ある意味、すっぽんぽんになるよりも
覚悟がいることです。



だから最初に、
飛び込む勇気を補充するために、
note7日間チャレンジがあるんですね。


このnoteを使って、7日間、
自分が普段感じていることや
棚卸の途中で気が付いたことを書いていく。

人生の棚卸・・・「プチプチ」を
深めるためにも。



大丈夫。

ここのみんなは誰も否定しないから。

同じ道を歩んでいく仲間だから。


心に安心を植え付ける期間。



個人的に、
私はこの期間が一番大事だと思っています。

noteの書き手である受講者も、
そして、
そのnote7日間チャレンジを見守る
先輩受講生たちにとっても。

だから、他の人のチャレンジを
全力で応援しています。


それによって、
最初は上ッ面をすべるような「棚卸」が
だんだんと深まり、高まっていくから。


理念「祈承天結」のイメージ



そういえば
私が理念として掲げている
「祈承天結」という言葉。

これは、勉強会に参加して1ヶ月目、
note7日間チャレンジを経て
人生の棚卸を終えたある日、
爆睡後にふうっと降りてきたものなんです。

熟考を重ねた末に
導き出した答えではないんです。


なので、降りてきちゃったものに対して、
何らかの道筋をつけてあげないといけない。



誰かに

「祈承天結ってどういう意味なんですか?」

って聞かれたときに端的に答えられる文章。


それが正直まだ出来ていなくて・・・


イメージはあるんです。



勉強会の合宿で、
京都の石清水八幡宮という神社に
皆で参拝したときのこと。

お参りをしている最中に、
あるビジョンが浮かんだんです。


戦を終え、
神社の境内の途中で力尽き、
参拝することなく倒れてしまった
名も知らぬ戦国の武士。

ボロボロの鎧、血で濡れて固まった髪、
折れてしまった刀。・・・


何を祈ろうとしていたのか?

いや、
死が近づいて徐々に視界が暗くなるなかで

「何を祈っていたのか」。



日本を始めこの世界って、
こういった報われない想い・願い・祈りを
地層にして、
その上に私たちが立っていると思うんです。


継承されなかった祈りが
未完了のままでうずくまっていて、
それが今の社会の空気を
創り出しているんじゃないかなと。



私たちの心のなかも同じで、
過去の未完了の想いや感情が地層になって、
しらばっくれながら、
ごまかしながら日々を生きている。


その「未完了」が
私たちの雰囲気、空気感の要素の
一つになっているんだと。


そういった未完了の想いや感情って、
たいていが家族関係、両親との関係性から
出発することが多いと思うんです。


そして両親も、
さらにその両親から影響を受けていて・・・


そうやって辿るうちに、
私が石清水八幡宮でビジョンが浮かんだ
戦国時代や

もっとさかのぼって平安時代、
果ては縄文時代や
マンモスを追いかけていた頃まで続いていく。


そう考えてみると、
私たちの未完了の想いや感情は、
心の内側だけ・自分だけの出来事ではなく、

私たちのご先祖さまや、
ご先祖さまが生きた時代背景まで
影響を受けていることになります。

心の内側と、外側はリンクしているのだと。


でも、心の内外がリンクしているのであれば、

私たちの心のなかを
浄化して透き通らせていくことで、
巡り巡って
世界もきれいになっていくんじゃないか。

そんなことも考えるんです。


それは小さな一滴かもしれないけれど、

現代を生きる私たちが、
自分たちの心の内側にある
「未完了の想いや感情」を
見つけて、認め、なだめて完了・・・
「鎮まらせる」ことで、

地層となって折り重なった
過去の報われない想い・願い・祈りが
徐々に、徐々に浄化され、

未来をより明るいものへと
繋げることができるのではないか。・・・


そして、私の書く文章や表現で
誰かの内側にある「未完了」をノックして、
浄化へと繋げるきっかけ作りが
できないだろうか。



私の元に降りてきた
「祈承天結」という言葉に対して、
こういうイメージを抱いているんです。


ものすごーーーく端的にいうと、

「祈承天結」イコール

「文章で日本を浄化する」。


・・・なんですけど、
さすがにこれでは短すぎる。
50文字くらいで、
うまいことまとめられないかな。


あと少し、もうちょっと、なんとかしたい。


ちなみに「世界を浄化」じゃなくて
「日本を浄化」としている理由は、

単純に、私が英語がニガテだからです・・・汗


ライターが勉強会に参加する意義



そして、ここまで書いてきて
気が付いたんだけど、

私の勉強会で行っている
「スターコンセプト」、
理念を見つけるための人生の棚卸って、

自分の心の内側を
一気に浄化していく作業でもありますね・・・!


私の「文章で日本を浄化する」が
一滴、一滴の試みだとしたら、

この「スターコンセプトを見つけるための
人生の棚卸」って、
台風や津波のような力強さがある。


「いやめっちゃ怖いじゃん、台風や津波って」


怖いからこそ、
一緒に取り組んでいく
仲間の存在が大事なんだなと・・・


勉強会に参加して
最後の最後に気が付くという。

やっぱり、
最後まで出来の悪い生徒なのです。笑



あなたがもしもライティングを学んでいて、
なんだか行き詰まりを感じていて、

「あーこれからどうしよう」

って

「ライティング 勉強会」

「ライティング コミュニティ」

なんてキーワードで検索して
このnoteに辿り着いたのだとしたら、

勉強会は参加しないよりは
参加したほうが良いと思います。



でも、参加しているメンバーが

「他人を蹴落としてでも
 上にのし上がってやろう」

って感じじゃなくて、

「一緒にがんばろう」

って雰囲気があるところがオススメ。


それで、できれば、

「この勉強会に参加すれば
 案件がばしばしとれる!」

「お金をガンガン稼げます!」

なんてマユツバなことを言っていないところ。


人それぞれライティングに対して
向き合うテーマがあるし、
それって必ずしも
売り上げに直接リンクするものではないから。


あなたにとって
より学びとなる勉強会への
ご縁がつながっていることを願っています。


私が参加している勉強会
「ライティングギャラクシー」のリンク先も
ご参考までに↓↓↓下に貼っておきます。


上の文章で
「お金をガンガン稼げます!」って
マユツバなことを言っている勉強会には
参加しないほうがいいって書きましたが、

舌の根が乾かないうちに言ってしまうと、

私がライター活動2ヶ月目にして
文字単価8円、

活動開始から半年程度で
最高文字単価24円の案件に
お世話になれたのは

ライティングギャラクシーを主宰する
とよぴー社長、だいちゃん先生の
おかげなのは事実だし、


それよりも何よりも
私の人生の棚卸に付き合ってくれて
スターコンセプト(理念)を
降ろしてくれたのも、

主宰者のお二人のほか、
一緒に参加する仲間のおかげだから。


オンラインミーティングの開催時間が22時と
夜遅いのだけはネックですが
(笑・11時開催の日もあります)、
それ以外はオススメです。



もしもあなたが
ライティングの勉強会を探していて
この記事に辿り着いたなら、
一度チェックしてみてくださいね。


揺れるからこそ震わせることができる



以上が私の
「勉強会に参加して3か月目の卒業制作」
です。



これを書いたから終わり、ではなくて、
これからが本当の始まりなんだと思います。



「文章を書くのが好きだから」
という理由で始めたライティングも、

エッセイから始まり、
SEOライティングを学びつつ、
先日から
セールスライティングへのチャレンジを
始めました。

ライティングのジャンルによって
「言葉」に対する感覚が異なり、

また、さまざまなジャンルを経験することで、
ほかのジャンルの文章にも
良い影響を与えていると思います。



今後も、
ぐらぐらと揺れ続けると思います。

でも、

理念と仲間がそばにいるからこそ、
揺れることで成長できるんだと、

揺れることができるからこそ
心を震わせる体験ができるのだとうぬぼれて
ライター活動を続けていきたいです。



最後までお付き合いくださり
ありがとうございました。


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