見出し画像

「いただきます」って防御呪文じゃね?


趣味に没頭している

古代魚やらイモリやら飼い始めた

肉食なので生き餌としてメダカやエビをあたえる

すると一定数の反応で「残酷だ」と言われる
まあ分からなくもない、目の前で命がなくなり、生殺与奪を意のままにしているからだ

ただどことなく違和感を覚える

なぜか?

まず「残酷だ」と言われた状況だが、食事中だった

残酷だと言ってきた相手はハンバーグを食べていた

あれ??今食べてるのって牛、豚をしめて死体を分解してミンチにしたのを固めて焼いたやつなんだけど?

それはいいの??笑笑

どうやらそれはいいらしい

肉食魚たちはパクんと食べる

そう考えると残酷なのはハンバーグだ

今きみがナイフとフォークで切って刺してるそのお肉だ

そうだ、何をもって残酷かどうか判断するのかがミソだ

それは直接命が尽きる瞬間を見ていたかどうかではないだろうか?

いくらミンチにされようがその過程を見ていなければ残酷ではないのだ

お店で死んだ動物の肉が切って並べられてもなんの感情も抱かず見ていられるのもそういうことだろう

ある種、防衛反応なのかも知れない

ここで題目に戻るが「いただきます」は命をいただく、生産者に感謝 が主な内容であったと思う

つまり残酷な過程を認識した上での感謝の意なのだ

生き餌をみて残酷だと思うのは「いただきます」が惰性になっているんじゃないかな?

ちなみにだが肉食魚用の人工飼料もある

じゃあそっちをやれば良いじゃないか!
このサイコ野郎!!

と思うだろうが結局その人工飼料も魚やエビを加工して作ったものなのだ

私の大好きなロックバンド
マカロニえんぴつの「生きるをする」という曲を思い出した

生きるをするためにはそういう過程がある
残酷だが通らなければならない道なのだ

いただきます をどういった感情で言おうと命は戻らない

ただ「感謝する」というワンクッションを挟むことで命を奪う行為に対してある種の正当性を持ち罪悪感を薄めているのではないかだろうか

結局は自身にかける防御呪文

流石に食材の一つ一つに命が宿りそれを食べていると認識し続けたら精神が崩壊すると思う

そう考えると「いただきます」をつくった人はえらい

おかげで今日もお肉がおいしい魚もおいしい

コスト0の防御呪文

今後もお世話になります

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?