なんか知らないけど知らない間に誰かの栄養になってる。 これはecoなのでは?えすでぃーじーずなのでは??と思っている。 Twitter上に高校〜現在に至るまでの自己ベストタイムを載せた。 俺こんなにスゲーんだぜ!!と言いたいわけではない。 今思えばタイムも出ないし故障して走れないのに陸上大好きだったなぁ、何がそんなに楽しいと感じていたんだろう?という旨である。 普段の呟きなんぞ5いいねも付けばいい方だ。 しかし、自己ベストと稚拙な文で150いいねを越えた。中には「素晴
以前に役所へ手続きの確認をした。 正式には書類提出が必要だが、提出の有無は把握していないので出さないことで問題があるわけではない。 との回答。 うんうん 凄く好きだ、グレーゾーン。 曖昧な線引き、もはや線引きされていないのではないか?? つまりそれ自体が形骸化しており もう用を成さないが何かの時に「やってますよ、ほら」といえる。 避難口確保。 安全対策バッチリでよい。 ぬか漬けを漬けるためのぬかどこ この製品に対して問い合わせがある会社によく来るそうだ どれ
ある時、上司に聞かれた 競技に月額どれだけお金をかけているか ある程度把握していたつもりだが改めて見積もった 概算で5、6万だ 謎が1つ解けた 貯金ができない道理だ これで身に覚えのない決済がされているのかと毎月疑わなくて済む 社会に出て6年目 社会人だけで月々5万と計算しても 1年で60万 5年で300万だ ソシャゲで300万突っ込むやつがいたらどう思うか 狂ってる と思うだろう ゲームにそんなにお金突っ込んで何になるんだい? そう言いたくなるはずだ
趣味に没頭している 古代魚やらイモリやら飼い始めた 肉食なので生き餌としてメダカやエビをあたえる すると一定数の反応で「残酷だ」と言われる まあ分からなくもない、目の前で命がなくなり、生殺与奪を意のままにしているからだ ただどことなく違和感を覚える なぜか? まず「残酷だ」と言われた状況だが、食事中だった 残酷だと言ってきた相手はハンバーグを食べていた あれ??今食べてるのって牛、豚をしめて死体を分解してミンチにしたのを固めて焼いたやつなんだけど? それはい
定期更新のタイミングが来た これがなかなか億劫 なぜだろうか めんどくさいのはもちろんあるが、それだけではない億劫さを感じる。 その期間はその場所に居続けなければならない という風に感じるからだ。 逃げられない感じ。 別に半年間同じ場所に住み、同じ生活を繰り返すことは難しくないし気が付いたらそうなっているはず。だけど期間を意識させられ閉じ込められている閉塞感、束縛感がある。 別に引っ越して定期を変えれば良いわけだし、実際は特に束縛はない。 ただ家に3時間普段いると
無料券、〇〇個お買い上げで1個無料、無料サービス 魅力のある言葉だ 機内サービスのドリンク 手元にはペットボトルの水 いかがですか?と聞かれついつい「無料なら貰わなければ損だ」という気持ちが湧き上がり、元々存在しなかった欲求を無理やり湧かそうとする しかしどことなく不快だ いらないものを手に入れた それを想像するとやっぱりいらない いらないですと伝える 内心もったいないなぁと思いつつ 少しスッキリする なんか豊かだ いつからだろうか そういうのにガッツか
今までの経験上、意気込みと成果は比例しない かつては意気込みの強さ、想いの強さが結果に結びつくと思っていた。 何かの際に奇跡的な力を発揮する 最後に競り勝つのは気持ち。 ラストスパートで心が折れていれば負ける確率は格段に上がるし火事場の馬鹿力が出ることもある。 しかしながらそれは絶対ではない。 レースは誰よりも早く定められた距離を走りきった方が勝ち、極めてシンプル。 まずその大前提を忘れてはならない。 そこかへと繋がるアプローチが作戦であり練習だ。 昨年大幅の自己
例えば旅行に行くとする。行きたいスポットを1つ2つあげて、それまでの移動手段、経路、食事など細かいところは全て丸投げしてしまう。 だから1人で旅行するときはグダグダになる。 例外はない。 笑笑 誰かと旅行に行く際には細かいところは丸投げだ。だから相手の段取りがうまくいかないと振り回される可能性はある。 しかし丸投げをしたからには振り回される覚悟を持たなくてはならない。段取りの悪さに不満を出すのはナンセンスだ。だったらお前はやれのという話だ。丸投げと振り回し。振り回した
果たしてそうなのだろうか そうではないのだろうか 先に私自身の考えを述べたい どうでもいい 笑笑 それでは進めていきたい 集団に属していると自分自身が確信を持って正しい言える選択が集団の方針とズレることがある。 もちろん自分自身の選択が最終的に正しくて属する集団の目指すゴールに辿り着くための最適解だとしてもだ。 そこでぶつかったとしよう。 自分の選択を通そうとすることを否定された場合にそれを無視して通すと「あいつはわがままだ」「素直さがない」という評価を受けて
赤白のアイツ 小学生のころ全く見つからなかったが26歳になってやってみるとかなり早く見つかる 友だちが次々に見つけていたのに自分は全く見つけられない そんな劣等感を伴った本「ウォーリーを探せ」 たまたま宿舎に置いてあり探してみた そこでちょっと不思議に思ったのが 視界に入っているのに有効視野に入っているのになんで見つけられないんだろう?詳しく専門的な話をすれば色々とあるのだろうが、無知なので分からない だからかもしれないがちょっと不思議に感じた ウォーリーを見つけて
こうあるべきだ!! とにかくこうなんだよ!! というものが意外と多い これは良くも悪くもあり思考を停止した状態で何かを判断するのに長けている ただ些か不都合な点が多い それもそのはず自分が不利益を被ることが美徳とされている風土で作られているからだ 何かにつけて欲求を我慢することでどんな的外れな我慢でも何かが得られると考えている 的外れな我慢で欲した何かを得ようと取引しようという魂胆だ もちろん取引が成立するわけはない しかしながらこれで失敗すると我慢したことが美化
相手から褒められたとき 「いやいや、そんなことないですよ」と言いがち 私自身も良く言っていた、いや言っているかもしれない 多分日本の教育や文化の影響があると思う 謙虚であることが良しとされ出る杭は打たれる 結果として相手に褒められても「いやいや」と否定してしまう 経験上この「いやいや」には特段の意味を持って使っていない、もはや反射的に出てしまうもので枕詞だ ではなぜ言ってしまうのか 冒頭で述べたような背景があるとして、これを言うことによって発生するメリットは何なのだ
午前に予定が終わりだらだらする午後 ヒマだ、、、 何かしたいが中途半端な時間とモチベーション それでも何かをしていないともったいない気がして焦る あー 何かしなくちゃ!!となっているけど なんでこんなに焦っているのだろう この「何かしなくちゃ」には1文が隠れていて (明日仕事で今日は大切な休暇なのに)「何かしなくちゃ」(勿体ない) あっ!! 2文!!笑 この謎の焦りの正体は貴重な自由時間が刻一刻と減っていく焦り そして何もしないことによって何かを失って
人には人の事情があることは分かる、それを察して気遣うのも悪いことではないと思う。しかし、自分には自分の都合があることも忘れてはいけないと感じた。譲れないものは譲らなくていい。
悩んでいる時、なにかを模索している時にしばしば本屋に入る。多くの人がそうではなかろうか。私自身も本屋に入り、題名をみて突き刺さる本があれば軽く内容に目をとおす。 ふと気がついたが、自分の持っている意見、考えに近いものを手に取っていた。 偶然だろうか? よく人にアドバイスをする時、相手が聞き入れる態勢になっているかを判断し、なっていれば一声掛けるようにしている。 聞き入れ態勢ができていない時は自分の意見を強く持っているため他の意見に拒絶している時が多いのである。 当然な