#6 社長の給料を「一銭も出せない」もがいた時代
私たちNUTSは、東京の青山で23年間オンラインショップを営み続けてきました。その始まりは、オリジナルで作った腕時計や、仕入れてきたデザイン雑貨の販売。
雑貨の仕入れは、実際にヨーロッパで買い付けもするなど、まだあまり知られていない“良いもの”を多様な方法でお客さんへ届けてきました。
順風満帆、華やかな道ばかり歩んできたかのように思えますが、売上の面では底を見た苦しい時期もあったといいます。そんな状況を代表・ヌマオは、どう乗り越えてきたのでしょう。また、そこから学べることはあるのでしょうか。
本連載は、老舗EC事業者としてのNUTSの足跡を辿りながら、社会人の大先輩・ヌマオに20代の社会人ビギナー・カタヒラが“働くこと”について訊き、考えるという企画。
6回目は、NUTSが会社として強くなれた“ターニングポイント”と、実体験に基づく教訓を紹介します。働き方に悩む大人に少しでも届けばいいなと思いながら綴っていきます。
●こんな人におすすめ
・経営者の話を聞いてみたい人
・将来の仕事に悩む人
・オンラインショップを日常的に利用する人
どん底期を乗り越え、強くなれた理由
「2001年の11月にアレッシィ専門ECがオープンしたじゃない(詳しくは→)。そこからぐんぐん売上が伸びていきました。
2007年くらいかな、アレッシィがもの凄く順調でした。でも、2008年からNUTS本体の売上が落ち始めるんです。それで2010年はどん底。アレッシィも伸び止まりしてしまいました。
その年は、4〜5ヶ月くらい自分の給料を一銭も出せなかったですね。」
会社として厳しい時期もあったことを教えてくれたヌマオさん。その時期に起きたいくつかの出来事が、会社の命運を変えたといいます。
「2011年の9月、“SEIKOクロック”の専門店もオープンしました。今までもお話ししてきたように、昔からのよしみでSEIKOに知っていた人もいて、『これからはECの時代だ』っていうことで一緒に始めることになったんです。
そんな時、2013年1月かな。アレッシィ専門店をいきなり閉店しなきゃいけなくなりました。
それはアレッシィの日本の代理店が、それまでと別の会社に変わったことが大きな理由。その新しい代理店の会社に『ECは全て自社でやっていく』と言われてしまいました。そして、NUTSにはもう商品を卸せないとまでなってしまったんです。
『今までこれだけ頑張ってやってきたのに、冗談じゃない。』
こちらも主張したんだけど受け入れてもらえないまま、アレッシィとの取引がなくなりました。
こうして今まであった売上が突然消え去ったんです。」
「でも、NUTSのアレッシィショップには、けっこうお客さんが付いてくれていました。
このままではいつも買ってくれていたお客さんに申し訳が立たないし、これだけお客さんがいるのに勿体無いから、当時、楽天市場でアレッシイの並行輸入をしてた2社に『うちのお店買いませんか?』って(笑)向こうもびっくりしてた。
その結果、その内の1社にお店ごと売ることにしたんです。これには新しい代理店も驚いていたね。
でもこの決断をしたしたことで、お客さんもこのままアレッシィが買えるし我々にもいくらかお金が入ったからwin-winでした。」
今やっと見えてきた、“会社を続けるコツ”
「そうやってアレッシイのショップを畳むことになった直後に、今度はSEIKOクロックのオンラインショップが伸びていきました。
伸びたきっかけはいくつかあったんだけど、なんとかしなきゃと思って勉強を始めたのが大きかったんじゃないかな。水上さん*という人のEC勉強会に参加して、学んだことを実践したらそれまでのピークよりもさらに伸びました。
その後SEIKOのお店をYahoo!にも出して。はじめの内はそうでもなかったんだけど、PayPayモールが始まってからは毎年最高売上を更新しています。」
「いまになって思うのは、“調子がいい時に次の手を打っておくべき”だということ。
僕らの場合はたまたまNUTSの売上が良い時に、アレッシイのお店をはじめた。アレッシイがいいときに、SEIKOクロックのお店をはじめた。
こんな形で、会社が好調だった時に新しく起動させたものに、後になって助けられたんです。
だから僕は会社経営において、伸びていて順調な時にこそ新しいことにチャレンジしておくべきだって身をもって感じています。」
*水上浩一(ランチェスター戦略のウェブ活用・地域活性化コンサルタント)
大手上場企業、大規模小売店から生産者直売店舗等地域活性化までジャンルを問わず短期間で劇的なネットショップの売上アップ、コンサルティングの実績がある。
著書に「ネットショップ勝利の法則 ランチェスター戦略」(マイナビ出版)、「SEOに強い!ネットショップの教科書」(マイナビ出版)。
調子がいい時に次の手を打つ——。
なるほど、と感心すると同時に、痛いところを突かれたという気持ち。これは会社経営だけでなく、仕事や人生、全てのことに言えるのだと思います。
例えばですが、仕事が安定している時こそ新しい勉強をして次のチャンスに備えたり、平々凡々幸せな生活を送っている時こそ環境を変えてみたり。
なぜ私がこう考えるかというと、世の中はずっと変わり続けているから。季節ごとに服装や生活スタイルを変えるのと同じように、時間の経過につれて考え方や方法を変えることが自然の流れのように思います。
これはあくまで想像ですが、小さな変化にも“乗っかれる”人は、ふと人生を振り返った時に納得のいくものだと感じられるのではないでしょうか。
かつてのECは人手が必要だった
取引先を失う経験をしつつも、NUTSの売上は回復し、ここ数年は過去最高益を更新し続けているそう。ヌマオさんは長年ECを続けてきからこそ、見えてきたことがあります。
「現在の売上は、初期(2007年頃)の良かった時の、2倍弱くらい。
それに加えて面白いのは、スタッフの人数。かつて好調だった時、スタッフは最大13人いましたが、いまは過去最高益でありながら5人。
なぜそういうことが可能かというと、昔よりデジタルのシステムが整っているから。
かつては受注出荷だけでも時間がかかりました。受注して、ヤマトの伝票書いて…って事務処理だけでも人手がいるんです。でも今は受注して伝票を出すまでの作業は、パソコンさえあれば1人で出来てしまうでしょ?
ECの世界では、いかに人を少なく、効率よくやれるかっていうのが大事なんですよ。」
皆が売れないと言った、“25万円の時計”を売る
時系列が少し前後しますが、NUTSで売ったなかでもう一つ印象に残っている商品があるとのこと。これは数々のお話を伺ってきた中で、一番ヌマオさんらしさを感じさせるエピソードでした。
「2005年の12月に、SEIKOウォッチが25万円のデジタル時計を200個限定で出すことになったんです。“電子ペーパー”という新しい技術の時計だからものすごく高かった。
最初は売るつもりなんてなかったんだけど、企画したSEIKO時代の後輩が、営業部に『こんなのは売れない』って言われたらしく。でも、作る数量は決まってたから困ってたんです。
それで僕のところに『売れないですかね』って泣きついてきました。値段は高いといえば高いんだけど、かつてないデジタルウォッチだったから『いいよ、うちで頑張ってみるよ』って売ることにしたんです。
そしたら発売の時に、テレビのニュース番組で取り上げられて。『世界で初めての技術の時計が出る』と。そしたら反響が大きかったみたいで、公式のプロモーション用サイトからNUTSのサイトに流入がどんどん増えて売れ始めたんです。
結果早い段階で50個ほど売れたら、今まで見向きもしなかった他の小売店からクレームが入ったんだって(笑)『なんでNUTSにばかりその商品を渡すんだ』って(笑)
当時はテレビの効果は絶大でしたね。全国ネットで情報を出せるから、みんなに面白いと思ってもらえれば、全国からサイトに集中してくるもんね。
それに流入先であるページも丁寧に用意してたから、全て成功に終わったんだと思う。」
読んでくださる方には恐縮ですが、すこし身内的なお話をします。
ヌマオさんは本当に人望の厚い方です。
私は一緒に働かせていただくようになって数年ですが、ヌマオさんの周りには人が集まる印象が強い。それはお人柄によるものだと思いますが、なかでも、NOとあまり仰らないことも大きな理由であると感じています。当然、イエスマンという意味ではなく、リスクとのバランスをとりながら『とにかくやってみよう』と言ってくださることが多いのです。
このような上の方からの一言は部下にとって本当に心強く、働く上での支えになることは言うまでもありません。このお話に出てくる後輩の方も、きっとヌマオさんに絶大な信頼を抱いていたのだと思います。
私もいつしか人をマネジメントするような立場になれるのなら、ヌマオさんのような器を持っていたいと思うばかりです。
最後に、まだインターネットの未来がまだ不透明だった、90〜00年代にECを始めたことに不安はなかったのかと訊くとこのような返答が。
「正直、インターネットがどうなるのかは半信半疑でしかなかった。でもその当時は、これに賭けるしかなかったからね。」
大きな覚悟を持ってECの世界を歩んできたヌマオさん。いま目の前にあるものを信じることの大切さに気付かされます。
(取材 編集・カタヒラ)
【過去の連載記事】