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西新宿70年代の未来都市を歩く|独立日記 本屋への道 058

2025.2.8(土)

今日から4連休。今年は1日休めば4連休になるチャンスタイムが2月と3月にある。どちらも休みを取るつもり。"本屋である"時間を増やしたい。

朝起きてメルカリをチェック。大雪で大丈夫だろうかと心配していた方に、無事に届いたみたいだ。ほっとする。発送準備。商品をOPP袋に入れて、ひとことメッセージを書いた付箋を貼る。

着替えてコンビニにダッシュする。店舗での発送作業もだんだん慣れてきた。2つ同時に出すときに、間違えないようにするのが意外と神経使う。

近所のステーキ屋さんの店先に「ご自由にお持ちください」というコーナーができていて、可愛いキーホルダーとスーベニールスプーンがあったよと、同僚に聞いたので行ってみる。もうなくなっていた。残念。キッチュでいい感じだったのに。

東中野から中野坂上を通って、西新宿までぶらぶら散歩することに。

狭隘な住宅街を抜けて大通りに出るまでの道のりを、googleマップでナビしてもらった。来たことのない場所に連れていかれた。古いカーナビに導かれる不思議な場所みたいだ。

公園の中の不思議な光景

まるで白昼夢を見ているような雰囲気だった。近所なのに一度も来たことのない小さな公園。

見事に蔵だ

近づいてみると、古い立派な蔵が四戸前、並んでいる。

何が入ってるんだろう

町内会のものだろうか。神輿などが入っているのかもしれない。そういえばここは新宿区だろうか、中野区だろうか。ちょうど区界のあたりだった気がする。たぶん中野だろう。

引っ越してきたばかりの頃、新宿区にも町内会があるということに驚いた。冬の夜に「火の用心マッチ1本火事の元」と、拍子木を打ち鳴らして歩く音が聞こえることもあった。近所の神社では、観光客の向けではない、地元民のためのひっそりとした祭りもやっている。

公園を抜けて中野坂上方面へ向かう。

〈パーク坂上〉1971年竣工

マンションの建て書きの文字がいい感じだった。抹茶と白玉だんごみたいな色合いのタイルも、美味しそうで目を惹くエントランスだなぁ。

〈ストーンミルマンション〉1979年竣工

蓮の花のレリーフが涅槃だなと思い、気になって立ち止まった。よく見ると〈ストーンミルマンション〉と書かれている。気になって近づいていったら、巨大なストーンミルがあるじゃない。

説明板的なものが見当たらなかったので調べてみると、この記事がヒット☟

神田川の淀橋から中野坂上に向かって上る青梅街道(中野坂)の途中にある石臼。かつて一帯がそばの産地であったことを記念する。石森ビル(1979年竣工)にはいまなお石森製粉株式会社の本社が置かれている。

『赤猫丸平の片付かない部屋』より引用

知らなかった。そばの産地だったのか。蕎麦屋めぐりをしてみるのも面白いかもしれない。近所の蕎麦屋にふらっと入って、天ぷらで一杯やったりするの最高だなぁ。休日の昼間からね。今度やってみよう。

〈マンション中野坂上〉1974年竣工

窓が可愛い。『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造の口みたいである。

鳩のひなたぼっこ

〈淀橋〉に立って神田川を見る。目の前が、鳩のオアシスになっている。

〈淀橋〉の横にある立入禁止の不思議な橋

人間と鳩との攻防が見受けられる貼り紙。うん。大変だろうな。ふん。掃除の手間も増えるし。私は鳥好の散歩者なのでのんきなものだが、ご近所さんにはたまったものではないだろう。エサはあげません。

フェンスで覆われていて立入禁止になっている。なんのための橋なんだろう。町には小さな謎が埋め込まれているから、楽しい。

「ヨドバシカメラ」にも名残を留めている旧地名の「淀橋」。現在では「西新宿」に変わり副都心として様変わりしているが、一大再開発の契機となったのは〈淀橋浄水場〉の移転だった。1965年のことだ。西新宿が気になっていて、以前、調べたのだ。

現存している〈淀橋〉を渡る。

〈タリーズコーヒー 住友不動産新宿ファーストタワー店〉

タリーズに入る。住友不動産新宿ファーストタワーのテナントだ。眺めのいいチェーン店で飲む珈琲が、いまの休日の楽しみ。人がいなくなって、しんとした土日のオフィス街が好きでよく行く。今日は風が強くてひどく寒いから外には出られないけど、春になったらテラス席で読書するのもいい。

新宿副都心。巨大商業集積地。資本主義の権化のような場所で『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』を読む。本を閉じて、目を上げると空き地。ここもそうだが、西新宿の高層ビル群には「公開空地(こうかいくうち)」という場所が作られていることが多い。企業の庭のような扱いになっているのか、警備員がいたりもする。

散歩している時に気になって説明版を読んで歩いたら、みな「公開空地」と書いてあったので気づいたのだ。たくさんの不思議な人工的な空き地があるのだ。公園と通路のあいだぐらいの感じだ。調べてみると、1971年に創設された総合設計制度に基づいて設置されているらしい。

1970年以降は、新宿副都心の都市開発にともない、超高層建築物の建設が計画され、高層建築物などの高容積建築物の入口周辺は、出勤時に生じるピーク通行量人口の過密を処理するにたる緩衝空間としてのオープンスペースが必要であることから、ビル足もとに行政指導による公開空地が生みだされ、空間としての憩いを演出していった。

新宿三井ビルの三井55広場は、サンクンガーデン(沈床園)となって囲まれた空間を創出し、ケヤキの緑陰や滝などがくつろぎをもたらし、テーブル、ベンチが飲食可能な空間を演出している。その他雑木林風の京王プラザホテル、緑陰のなかの丸いベンチに特色がある新宿野村ビル、建築内部の空間であるNSビルアトリウム、新宿住友ビル他、各ビルの足元には公開空地が設けられている。

Wikipedia「公開空地」より引用

やっぱり西新宿を歩いているとよく見るのだが、他のエリアで気になったことがない。西新宿は、公開空地の聖地なのだろう。今度、西新宿の公開空地巡りをしよう。公開空地で何かするっていう企画とセットがいいかな。ちょっと考えよう。楽しい。

そんなことを考えていると、2時間があっという間に過ぎていた。西新宿を通って歌舞伎町へ向かう。

〈損保ジャパン本社ビル〉1976年竣工

安田火災海上本社ビルとして開業。シカゴにある〈ザ・ファースト・ナショナル・バンク・オブ・シカゴ本店ビル(現:チェースタワー)〉の末広がりの姿にインスパイアされて作られた。

竣工から50年が経とうとしているが、いつの時代に見ても未来的に見える。

〈西武新宿ペペ〉1977年竣工

西武新宿の駅まで来た。ペペのレンガ風の外観も最高だ。子供の頃は、西武新宿線ユーザーだったので愛着もひとしお。

今日気になって撮ったビルやマンションは、すべて70年代生まれだった。西新宿の再開発が淀橋浄水場移転の65年頃から始まり、1971年に〈京王プラザホテル〉が建設されたのを皮切りに高層建築ラッシュになったので、エリア一体に70年代のものがたくさん残されているのだ。

もう50年になるのでオールドスクールな町並みなのだが、なぜか今でも未来の景色を見ているような不思議な気持ちになった。

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