視点が変わってる。たぶんやけど。
昨日、本屋さんで見つけた「風と行く者」を夢中で読んでいた一日。
本を読む合間に会議に出て、掃除をして、ジャージャー麺を作る。
主人公が中年女性で、腕利きの用心棒というこの異色のファンタジーとわたしが出会ったのは、何年前だろう。
そして、いま向かっている机の横の本棚をふと見上げて気づいた。
わたし、この本持ってたわ(笑)
偕成社の児童書の装丁で出版されたソフトカバーのやつ。
ストーリーがぜんぜん記憶になくって、びっくりするほど号泣しながら読んだ。自分の記憶力のなさに改めて驚くけど、新鮮な気持ちで読めたのは、ある意味オトクなのかもしれない。
それにしても、このシリーズを読んできて、こんなに号泣したことがあっただろうか、というぐらい声を上げて泣いた。
こみ上げるのは、決まって主人公バルサの回想の中での、養父であるジグロとのシーンだ。
養父ジグロは、親友の娘であるバルサを助けるために、国を捨て、バルサを育てながら護衛士をする。回想の中の十代半ばのバルサは、護衛士見習いとしてジグロと共に、命を懸ける。
このシリーズは、第一作目「精霊の守り人」の時点で、ジグロはすでに故人だが、シリーズを通して、ジグロとの思い出に、かなり多くのページが割かれている。わたしはこれまで、それらのシーンをバルサ目線で読んできたような気がする。厳しくも暖かい養父への感謝と、自分のために祖国を捨てたことを償いたいけれど、その方法が分からないというもどかしさ。
けれど今回は、いつの間にかジグロ目線で読んでいた。自分が年頃の娘であることなど思ったこともなく、幸せになるということを体中で拒否している棒きれのような少女。未熟であるにもかかわらず、必死でジグロの命を守ろうとする娘。その娘に、ひとを殺すことを教えこむことでしか愛情を示すことができない自分。
トシをとったということなのか、わたしが見たいと思うものが変わったのか。いや、もしかして覚えていないだけで、前回読んだときも同じところで号泣していたのかもしれない疑惑も、捨てきれない。。
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