【往復書簡】服で感じる幸福感。
ゆきさんへの返信です。
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ゆきさん、お加減いかがですか?
体調を崩しておられるとのこと。2月にはあんなに暖かい日が多かったのに、3月に入って寒い日ばかり。そら体調も崩しますよね。
はやく快復されますように。
ほんとうにそうですよね。
同じ性別、同じジェネレーション、同じ言語を使っていても、驚くほどひとりひとりの前提とする世界は異なっているんですよね。
わたしはなぜか、できるだけ端的に表現したいという欲求が強く、言葉が足りないとお叱りを受けることが多いので、安易に理解を示さず、きちんと意図を汲み取ろうとしてくださる姿勢がとても嬉しいです。
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この質問をしばらく自分の内側に置いて、生活してみました。
で、ここは「はい」と胸を張って言えるなって思ったんです。
この一週間ぐらい、人生で初めてぐらい、自分の「幸福感」の在りようについて探索してみたのですが、わたしはたぶん「安心安全な状態」であり、かつ何かしら良きもの、より満たしてくれるものがあれば、あっという間に「最高に幸福だ!」になってしまうのです。
例えばめっちゃ美味しいみそ汁を飲んだ瞬間、春の日差しを瞼に受けて深呼吸したとき、とても気持ちよいリラクゼーションを受けているとき、眠りがやってくる5秒前などの全てで「最高に幸せだ」と感じます。1ミリの嘘偽りもなく。見栄も虚勢もなく。
もちろんそこに「お気に入りの服を着た時」も入っています。入っているんですけれど、服に関しては、どうしても他人の目線というか評価が入ってこそだな、という価値観があるようです。
例えば、わたしは数年前にめっちゃ気に入って衝動買いした薄い水色のシャツを持っています。ちょっとハリのある素材でできていて、うなじのところでリボン結びをするちょっと変わったデザインのシャツなんですが、それを着た時に、オットに「割烹着みたいやな」と言われてしまい(本人は素直に感想をクチにしただけw)、それからなんとなくその服を着た時の幸福感が下がってしまいました。
服って自分が好きなだけじゃなくて、ひとに認められて初めて「最高に幸福」になれるツールのような気がします。
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これですね!
クローゼットを点検してみたら、
「特別好きじゃないけど、嫌いでもないから”まぁいっか”」「家で着るから”こんなもんでいいか”」「仕事で必要だから”この程度でOK”」という服がけっこう出てきました。
見つけたものは捨てました。
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そう言われれば、茶色の服は買いません。ブルベということもありますが、元々あまり茶色が好きではないような気がします。
ここからどんなことがわかるか、楽しみです♪
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