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登り竜は赤レンガを超えて〜MIGHTY CROWNが刻んだ道標

2023年6月25日、横浜は最後の「爆発」を飾った。

日本のレゲエ界における一大イベント「横浜レゲエ祭」
1995年、たった150人程度の動員数で始まったこのフェスは、2000年代には”ハマスタ”を満員にするほどのモンスターとなった。

その後は会場確保が不能になる年があったりパンデミックを挟んだりと、紆余曲折を経つつも「日本最大のレゲエフェス」として、その地位を不動のものとしてきた。

そして、6年ぶりに開催された今年は横浜赤レンガ倉庫を会場とし、3万人以上を動員してその健在ぶりを衆目の下に晒した。

今年の開催には特別な意味があった。
なぜなら、レゲエ祭は今年が最後の開催となったからだ。
レゲエ祭の開祖にして、日本のレゲエ界最強の生き証人である「MIGHTY CROWN」が活動休止を発表しているからだ。

MIGHTY CROWNは、ポップスでは見られない「サウンド」と呼ばれる形態で活動している音楽グループだ。
「サウンド」とは、レゲエの本場ジャマイカで生まれたグループ形態で、平たく言えば「音楽で客を踊らせ盛り上げるセレクター(他ジャンルでいうDJ)集団」である。

1991年に、MASTA SIMONSAMI-Tの兄弟によって結成され、現在はオールディーズ楽曲に造詣の深いCOJIE、海外支部として活躍するアフリカ系メンバーのNINJAの4人で活動している。
その他にも、SUPER-GやCAPTAIN-Cといった、レゲエシーンでは名の知れた強力なセレクターが在籍していたことでも知られる。

左からMASTA SIMON、SAMI-T、COJIE、NINJA

かねてから俺は主張しているのだが、彼らは「日本で最も過小評価されている音楽グループ」。
日本語ロックで言う「はっぴいえんど」と並び称されるべきグループだと思っている。

彼らの活動は日本のレゲエシーンの黎明期〜成長期に重なる。
同時期に活動していたサウンドのほとんどが日本を拠点にしていた中、中華系のルーツを持っていた彼らは英語が堪能であったことから、活動の早い段階からジャマイカ・ニューヨークといった、当時はまだ日本人にとって活動のハードルが高かった地域を次々とフィールドにしていく。

本場の荒くれたシーンに揉まれた彼らは、快挙を成し遂げる。

1999年、NYで開催されたサウンドクラッシュの世界大会「WORLD CLASH」で、アジア系サウンドとして初めて優勝するのである。

サウンドクラッシュとは、参加した複数のサウンドのうち、どのサウンドが最も客を盛り上げられるかを競うイベントのことで、特にジャマイカでは1950年代から盛んに行われていた。
勝利のために、ダブプレートと呼ばれる1点ものの音源を大量に用意したり、曲と連携したMC(客に向けて行う曲紹介などのスピーチ)の腕を磨いたりと、サウンドは採算度外視で人生を賭けた準備を行う。

サウンドクラッシュで勝利を収めることは並大抵のことではない。
豊富な音楽知識、セレクターとMCとの連携、選曲のタイミング、さらには当日の観客の空気感、それらが全て、運良く噛み合わなければ栄冠は無い。
ましてや、アジア人がサウンドとして活動していることすら知られていなかった90年代、耳の肥えた荒っぽいアフリカ系の観客を実力でねじ伏せることが、彼らには求められていた。

だが、彼らはそれをやってのけた。
当日の様子は現在でも簡単に聴くことができる。

対戦相手となったKillamanjaro (前年チャンピオン)、Tony Matterhorn、Bass Odyssey は、全て当時からジャマイカ全土を沸かせていた一流サウンドである。
相撲で例えるなら、小学生から相撲をやっていた横綱・大関陣に、レスリングしかやってこなかった新弟子が挑むようなものだ。

この音の戦争を制したのは、その新弟子だった。
大金星どころではないこのジャイアントキリングは、すぐさま世界中のストリートで話題となり、日本のレゲエシーンが世界に注目されるきっかけとなった。

それ以降、MIGHTY CROWNはこういった世界での主要サウンドクラッシュのタイトルを8個獲得している(マイナーなものも含めると20個以上とも言われる)。
この流れは後進の日本のサウンドにも引き継がれ、今や日本は世界で2番目のレゲエ市場となっている。

彼らが日本のレゲエシーン、もといストリートのシーンに与えた影響は計り知れない。
レゲエ祭の成長については先ほども触れたが、ヒップホップやロックフェスの現場にも積極的に参入し、サウンドカルチャーを軸にしながらもジャンルに壁を作らないスタイルで、音楽を浴びる喜びを数十万、数百万のリスナーに伝えてきた。

フェスによく足を運ぶ方であれば、一度はやったことがあるだろう、あの「タオル振り」。
これも、最初に始めたのは実はMIGHTY CROWNなのである。
彼らはこのような形で、サウンドクラッシュのようなディープな空間からフェスのようなアッパーでメジャーなイベントまで、日本における「音の現場」の雛形を自身で作ってきたと言っても過言ではない。

現在では甲子園の応援にまで取り入れられるタオル振り(毎日新聞 2017年8月13日)

そんな彼らは、今年7月に開かれる「FAR EAST REGGAE CRUISE」をもって活動を休止する。

世界最大級の豪華客船を借り切って横浜からチェジュ島までを周遊する、間違いなく日本のポピュラー音楽史上最大のイベントと言ってもいいかもしれない。
船と野外という点では動員数などの点で比較はできないかもしれないが、複数日にわたって一つの音楽ジャンルを鳴らし続けるイベントという点では、その意義は1971年の全日本(中津川)フォークジャンボリーにも匹敵すると俺は思っている。

MIGHTY CROWNがこういったイベントを行うことは二度とないかもしれないが、今後これをベースとして、日本でもクルーズで音楽を楽しむカルチャーが芽生え、広がっていくかもしれない。
「横浜レゲエ祭」で彼らが証明したように。

残念ながら、「Rolling Stone Japan」を除いて、このクルーズを積極的に取り上げ取材した音楽メディアは今日まで皆無である。
MIGHTY CROWNへの不当なまでの過小評価ぶりがここにも表れていると言えるが、きっと彼らは近い将来、己の不見識を恥じることになるはずだ。
彼らが音楽カルチャーに残したもの、そしてこれから見せつけてくるものは、決して無視されたり数行程度のYahooニュースで済まされて良いものではない。

MIGHTY CROWNが作ったレゲエシーンの総決算ともなった今年のレゲエ祭。
そこから生み出された「バイブス」は、ステージを、観客席を超え、会場の外にまで波状に広がっていった。
関東のストリートカルチャーの震源が、今も昔も変わらず「横浜」に在り続けていることをまざまざと見せつける二夜となったのではないだろうか。

MIGHTY CROWNという一匹の巨大な龍が、その鋭すぎる爪で深々と抉った「カルチャー」という轍。
それはきっと、現代のシステムの中で様々な生きづらさを抱え漂流している、エネルギーに溢れた魂たちを導く道標となってくれるはずだ。

あの日赤レンガに刻まれた伝説は、この先も何があろうと永劫消えることはないだろう。


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