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こわいママが怒る訳

「ママ、こわい?」
 子どもに尋ねたら、5歳の息子が間髪入れずに首を縦に振り、2歳の娘が「こわい」と呟いた。
 確かに私はこわいのである。ここ数日を振り返っても怒鳴っていない日はないし、普段はちょっとお茶目なママ、くらいのキャラクターでいるが、子どもがやっちゃいけないことをやれば、すぐに真顔になる。ただ、こわいと言っても、ここで「こわい」と口にしてもこわくない、くらいのこわいレベルだと強調しておきたい(ややこしいですね)。

「叱らない育児」なんて都市伝説だと疑っている。子どもがある程度自由に動く術を身に着けてから、彼らを叱らずにいられる日など一日もなかったような気がするのに。
 一応、二人がこれをしたらママは𠮟りますよ、という基準が存在していて、それは「危ないこと」「痛いこと」「人に迷惑をかけること」「嘘をつくこと」。この四つは、事あるごとに子どもたちにも言い聞かせている。
 が、時折、冷静に考えるとこの四つにはカテゴライズされない、しかし私は既に怒鳴ってしまった!みたいな状況もあって、それは大抵、「叱る」より「怒る」が勝っている時なのだ。

 無数の物の本は世の親たちに「こんなふうに怒ってはいけません」「そんなときはこう言いましょう」と語りかけているけれど、それがうまくいっていたらこんなに育児に悩む人はいないのだと思う。
 自分は正しく叱れているのかな?といつだってビクビクしていて、一方で正しい叱り方って何さ、と考えてみたりする。
 こんなときは何て言えばいいのだ、とググりかけては、そんな目の前の子どもたちを見ずに求めた「一般的」な回答が、この子たちを幸せにしてくれるのか?と疑問に思ってみたりもする。

ただ、一つだけ自信があるとするならば、間違いと気づいたときにはきちんと謝っている、ということだ。
「ごめん。こんなに怒ることじゃなかった」
「今のはママが悪かった、怒ったのは間違いです。すみません」
 きちんと目を見て謝って時に頭も下げる母を見て、子どもたちは「うん」「いいよ」と言ってくれる。
 これが仮に友人だとしたら、いくら謝ってくれたとしても、何度も間違えては怒り、間違えては怒る人など縁切り必須である。
 子どもに限らず、身近な人であればあるほど、口から出る言葉が心と直結してしまいがちだ。

 その日はたくさん声を荒げてしまったなぁ、という夜、ベッドに寝転びながら「ママもホントはさ、二人を怒りたくないんだよね」とごちてみた。

 怒るのも疲れるしさ、怒らなくていいなら怒りたくないもん。でもやっぱり、二人がお約束破ったときとか、人に迷惑かけてるときに、そのままにはできないし。二人に元気で幸せな人生を送ってほしいなーって思うと、これはやらないほうがいいよね、これは止めたほうがいいよねってことが出てきちゃうんだよ。二人がどうでもいい人だったら怒らないけど、大事だし、大好きだし。覚えていてほしいのは、怒ってても好きだよってこと。大好きだから怒っちゃうし、怒ってても大好きなんだよ。

 すると息子は「じゃあさ」と尋ねる。
「大好きなのに、なんで『もう知らない!』とか『もういちくん(息子)と話さない!』って言うの?」
「それは……」
 息子の口を通して聞く、自分の言葉の子どもっぽさにあ然とした。息子が大好きなお友達にそんな事を言っていたら、間違いなく私はたしなめる。

「……何でだろうね」

 本当に、叱りたくも、怒りたくもないのにね。


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