【読書】『校閲ガール』に頭の上がらぬ編集ガール(私)。
『校閲ガール ア・ラ・モード』が文庫化したため、なんとなくためらっていた『校閲ガール』シリーズにようやく手が伸びた。
そして結果的に、自己嫌悪の唸りを上げながら二冊を一気読みすることになった。
ドラマ、「地味にスゴい!校閲ガール河野悦子」は本当に面白かった。そこだけは誤解をしないでいただきたい。石原さとみも可愛かったし。ちくしょう、あれで同い年か!
ただ、ドラマを見ながら「校閲さんはこんなことしないよねー、でもフィクションだからオッケーオッケー」「都合がいいな! まぁドラマだから面白くしなきゃね」と突っ込んでしまったところが全部、原作では「こんなことしてない」し、「都合のいいことなんて起きてない」のだ。
要するに、おそらく、だいぶリアルな物語だった。それでいてきちんと面白かった。
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ドラマにより、校閲者という職業の知名度と、校閲部という部署の存在は格段に上がったのではないかと思う。でも、その中であまり語られていない話がある。
原作ではチラリと触れられていたので引用すると、
しかし出版社の中でも、一部の出版社にしか存在しない部署がある。それが「校閲部」である。
(『校閲ガール』より)
校閲ガールのドラマを見て、「出版社には校閲っていう仕事があるのね!なるほど!」と思った皆様に声を大にして伝えたい。
大手出版社を除いて、ほとんどの中小出版社には、校閲部が存在してません!!
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編集プロダクションという、出版社からお金をもらって、本の「中身」だけを作る会社にいたかつての私は、校閲という存在を知ってはいたものの、雲の上の存在として見上げるのも時間が惜しいから、下を向いて原稿読もう、という生活を送っていた。
「校閲はこちらでやといます」と、フリーの校閲さんや校閲会社をつけてくれる出版社はまだ経営が順調な方で(それでも「こんなに校閲チェックが入るなんて、どんな本の作り方してるんですか!」と怒ってくる会社がよくあった。理不尽)、たいていは
「校閲つけらんないから、死ぬ気でチェックしろ(意訳)」
という注文が入り、ライターガール編集ガール校閲ガールの一人三ガールを兼ねる羽目になる。
校正記号の書き方がめちゃくちゃ上手くなる五年間だった。
しかし、そんな私も転職し、衝撃の事態に遭遇することになる。
「この会社(中小企業だけど)、校閲部がある……!!」
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校閲ガール・悦子は、文芸編集者である宿敵、貝塚にこんな文句を言っている。
それに何度も言ってるけど、こっちのゲラ恥じらいもなくノーチェックで作家にスローインすんのやめてくんない? 迷惑なんですけど!
(『校閲ガール』より)
基本的に編集は、校正ゲラをそのまま著者に渡さない。丁寧な口調に直して転記したり、いらないところは消したりする。そもそも校閲にゲラを渡すのも、一度は自分で校正・校閲を行ってからだ。それをやっていないと明言されている時点で、「おまえのせいで編集者の評判が悪くなる!!」と貝塚の胸ぐらを掴みがくがくさせたい気持ちでいっぱいなのだが……。
この本を読んで、はっ、としたのだ。
私、最近校閲さんに甘えすぎてない?
表記揺れ(同じ言葉なのに、漢字とひらがな、カタカナの統一がされていないこと)チェックは校閲さんがしてくれるし、と思ってチェックが甘くなってない?
文中に出てきた計算問題、解かないでもなんとかなる、だって校閲さんがいるから! なんて思ってない?
人は、楽な環境に慣れる。貝塚の胸ぐらをそっと降ろして、自分を省みる。
身近に校閲ガールがいなかった、あの頃の自分。
一字一句を、目を皿にしてじっくり読み込んでいた自分。
今の私は、本当に恵まれている。
だけど、何かが貧相になった気もする。大変贅沢な話ですけれども。
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ところで……。
どうして校閲者は、作家に会わないことが暗黙のルールなのだろう?
本郷大作や是永是之と顔を合わせる悦子は、校閲業界では異端児かもしれないけれど、よくよく考えたら、別にそれによって起こる不都合は何一つないのでは? と思ってしまうのだ。
なんなら「この人がいなかったらこの本は出てません!」と、飲み会セッティングしたい勢いだ。
出版業界にはまだまだ、甲子園は夏に行わねばならない、というくらい理由がわからないルールが多数存在している。
『校閲ガール ア・ラ・モード』では、雑誌編集者や文芸編集者、悦子以外の校閲者の胸のうちも明かされ、一気読みすれば、互いの関係性などがよくわかる仕様になっている。
読めば読むほど、自分と、自分のいる世界に疑問を問いかけ直したくなる。
私的、編集者必読書だと思うのだ。