その①『ディープダンジョンIII』
クソゲー万歳!!
このところレトロゲームファンとして、改めてファミコンソフトを蒐集している。300円(フリマ最安値)のクソゲーを、ここまでプレイするとは思わなかったけれど。そのタイトルは、『ディープダンジョンIII』。ファミコンの3DダンジョンRPGとしては割に知られている作品だが、なにしろ出来が悪い。それなのにどういうわけか、中盤まで一気にプレイしてしまった。
まず街の中を徘徊し(現実なら職質されること受け合い)、宿とか寺院とか武器屋を巡って装備を整え、初めての戦闘へと挑み、ハイ全滅。……何をするだァーーッ 許さんッ! ……いや落ち着け、クソゲーだということは、わかっていたはずだ。ちゃんと道具も買って、セーブもして、もう一度。……全滅。……そうだこのゲームでも、命を落とせばリセットするのを繰り返せば……やったッ!初めてのレベルアップ! ……あんまし強くならない……。それでもお金が貯まったので、ちくちくと装備を強化して……。
レベルアップ時に新しい魔法を覚えられるかどうかは重要。本作では「寺院」や「修行場」に足を運んで魔法を習わねばならない。さっそく「寺院」に行くと、「レベルがあがれば またくるといい」。そ、そうですか……。では「修行場」では……ゴ、ゴールドが足りなかった……。さあ、もう一度モンスターと戦いに行くか……(高い確率で返り討ちに遭う)。
それでもこういった、厳しいゲームをプレイしてしまうのは、なぜだろう? 別に筆者がMだからではない。それも少しあるが(あるんかい)、一番の理由は「いくら難しくても結局のところ、やり直しが効く」からではないだろうか。失敗したら、リセットしてもう一度。どうしても勝てない敵には、攻略情報を集めて対処。レベルが上がればごく僅かとはいえ、確実に前進できる。 間違っても構わないから、試行錯誤ができる。疲れたら、プレイを中断しても構わない。画面の向こう側だからこそ、われわれは安心してヒドい目に遭えるのだ。現実のほうが、よほど「無理ゲー」ではないか? 敵にボコられる自分のパーティーを眺めながら、ふとそんなことを考えてしまう。
あ、「ブーメラン」を拾ったぞ。さっそく狩人に持たせて……ん? えーと……明日は選挙じゃないか? 投票に行かなくちゃ。